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老後の趣味にしたいことは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう6月5日で「ろーご」の日なのね。老後って、いつからなんだろう。超高齢社会の日本では、60代はもはや老人とは言えないんじゃないかなぁ。自分も60代なんだけど、まだ老人の自覚はありません。初老なんだな…とは思うけど(^_^;)子供の頃、校長先生や副校長先生がすごくお年寄りに見えました。小学校でも中学校でも、管理職の先生はすごくお爺さんだなぁと思ってました。でも、その頃は完全に60歳定年だったんで、あ
早稲アカの中2冬の保護者会(Zoom)で、校長先生が「勉強の計画の立てられない人は見ますので相談してください。」とおっしゃっていました。校長先生に絶大なる信頼のある我が家では「うちもぜひお願いしたいね!」ということになりました。主人が早速塾にお電話すると、「(先生にお願いすることに対して)息子さんはどう思ってますか?」と校長先生。「…嫌がってます。」校長先生、苦笑い。それでもお引き受けいただき、毎週土曜日の塾の授業終わりに校長先生のところへ伺う日々が始まりました。
我が子の文房具(鉛筆)が盗まれた事で警察に被害届を出し、それをクラス全体にお知らせした途端に批判の嵐。自分の行いが間違っていると思っていなかった私は想定外の批判の嵐に強く動揺してしまいその日の作業もままならない程にショックを受けてしまいました。批判してくる保護者と、どのように向き合うべきか佐竹さんはこのように教えてくれました。私聞いてないぞ!という典型で怒ってるわけだけど。私物破損の件が出た事に関しては素直に謝れば良いよね。LINEで話すことじ
こんばんは。春は別れと出会いの季節ですが、4月新年度になって、いろいろと移り変わりがありますね。子供達が卒業して入学するのと同じで、学校の先生たちにも、退任して新任される先生方がいらっしゃいます。特に、私学にとってと校長先生は学校の顔であり、校風や教育方針を体現する最も重要な存在だと思います。その校長先生が交代する学校がいくつかありますので、HPをご紹介しますね!どの学校も前任の校長先生が素晴らしい方ばかりだったと思います。短期間であっという間に学校改革をされた湘南白百合の林
傷害事件だったとしてもまずは相談その意見に驚き、何も言い返せませんでした。過ちを認める恐怖どう転ぶかわからない結論への不安未経験がゆえの緊張感冷静に冷静に…と言い聞かせていたもののやっぱりどこかテンパっておりました。肝心な事は聞けてなかったな…じゃあ、事前に相談していたら?どんな意見が出て、どう扱われたのかな。反対されても、被害届を出す意思だった私を結局批判したのかな?そんでやっぱり無視したかな?聞いてないぞ!的な反論にはとにかく片っ端から謝ったので最終的に責めら
2007年、2015年生まれのわんぱく兄弟を育てています!2人とも支援級を勧められた経験があるグレーっ子です。書き忘れていましたが先生からどうしてコウキが支援級なのか?を聞いた懇談の時担任からスクールカウンセラーの利用も勧められましたコウキの・持ち物や提出物の管理・勉強が苦手なこと・授業中や友だちとのやり取りでよく泣いてしまうこと「ベテランのカウンセラーさんだから、良いアドバイスがもらえると思います」と言われました。
年に1~2万円だから許す?許さない?1.出張の基本は電車移動!自動車での移動は許可制!2.事務員さんの指示どおり普通電車と新幹線で移動!3.事務員が「新幹線代は出せない!」と言った!?4.「何で新幹線代が出ないんですか!」文句を言いに行くと5.新幹線代は出るに決まっているじゃないですか?!6.ウソの書類で交通費を横領しようとしていた?7.交通費を節約しているんだ!みんなやってる!8.年に1~2万円の横領を許せる?許せない?9.さすが!交通費に敏感な事務員さん!
すごい、すごい!!下新倉小学校の藤原校長先生はオペラ歌手!子どもたちの前で、その歌声を披露し、NHKの取材を受けました!NHKの首都圏ネットワークで放送もされました😁✨校長先生の美声にも驚かされましたが、何と言っても子どもたちのコメントが素晴らしい✨いやー、校長先生、涙ものですね😂おお、子どもたちにしっかりと伝わってます!子どもの未来を大きく変えちゃいましたね!!こんな校長先生がいて、和光市の子どもたちもすくすくと育って
ブログの紹介ブログを読みに来て頂きありがとうございます広汎性発達障害の診断を受けている中学生の息子がおりますADHDの傾向が強め反抗挑戦性障害ありチック症多めに出現勉強大嫌いいじめ問題息子の事を色々ブログを始めてから改めて気付かされた毒親育ちで放置子だった私現在も続くママ友いじめ仕事や夫の事皆さんのブログを読んで感じた事その時に思っている事を書いているので話が前後したりします基本的に暗い話が多いですがよろしくお願い致しますhttps://a
※注[ただの過去の愚痴です]そして教育委員会の方を交えての話し合いが校長室で行われた。まず、校長先生の顔すでにもうかなりおっかない顔をしていた。そして校長先生はソファーにふんぞり返って腕を組むようなかっこうで座り、その片方の手の指をトントントントントン…とてもイライラしているという事が見て取れてわかったそしていざ話が始まるという時、校長先生の第一声は…校長「わっはっはっはっは!」!!??いきなり高笑いを始めた校長先生ホント大丈夫か?コイツ(校長)……校長「はっはっ
たくさんのコメントや『いいね』いつもありがとうございますコメントは全て読ませて頂いておりますがなかなか時間が取れずお返事書けずにいて申し訳ない気持ちです。とてもお勉強になるようなコメントから共感コメント、そして私の行動を間違ってないと肯定して下さるようなコメントなどとても嬉しく暖かい気持ちになりました。ありがとうございます中には『こんな事本当にあるの?』と思われてる方もいると思いますが、妄想でも何でも無く本当に実際にあった過去の出来事です。セリフは一字一句同じ…というわけではありませんが、
皆さんは、小学校の卒業記念に何かを贈ったり、残してきたこととか覚えてますか?(^^)先日、地元の先輩から、とても貴重な情報をいただきました。『昭和46年度卒業の皆様へ校庭に立派な日時計があります。「昭和46年度卒業記念」と書かれていますので、今から52年前に設置されたものです。これまでも補修を繰り返してきたと思われますが、かなり傷んできており、大きな穴が開き、ひびも入ってしまっています。この日時計には、こんな素敵なメッセージが記されています。「世界
不登校学校との関わり幸い理解ある学校理解ある先生に恵まれた娘部屋に閉じ籠り食事は一食(ひどい時は全く食べない事も)お風呂も時々(ひどい時は3日入らなかった)歯も磨かない(いつもは3分以上磨いてるのに)暗い部屋でYouTube三昧(ひどい時はYouTubeさえ見ないで布団の中にいた)部屋は汚部屋に(いつも布団まで整えて登校してたのに…)何とかなるーっと前向きだった私も流石に、これはヤバイっと。。。。先生に「夏休み明けまで休ませて下さい」とお願いしてみた「大丈夫ですよ〜
※[ただの過去の愚痴です]校長先生との話し合いはしばらく続き、教育委員会の人はしっかり私たちを見ながら聞きながらひたすらペン🖋を走らせていた。校長「いや〜、しかし困りましたねぇ。どうやらすぐに頭に血がのぼりやすい親御さんのようだ。これなら確かに息子さんの体調が安定しないのも仕方がないかもしれませんなぁ」私「誰でも自分の子供があんな事言われて傷つけられて、冷静になれる親なんていないと思いますけどね?」校長「ふん!こんな事をしている時間があるなら、少しでも息子さん(長男)のそばで看病
長女が小学校卒業するまで残りあとわずか1ヶ月というところで学務課から電話が入った。学務課「〇〇〇さん(私)、結局△△△中学校の制服の採寸、行かなかったんですね」私「はい。行きませんでしたよ」学務課「まったく…どうするおつもりだったんですか?入学式に制服間に合いませんよ?」私「そちらがこちらの話を一切聞こうとしてくれないからじゃないですかおかげさまでウチの娘(長女)は△△△中学には絶対に行かない!と言ってます。行かないところの制服を買う必要ありませんので」学務課「親子揃って頑固です
ゆきたのブログへお越しいただきありがとうございます。現在はウーバーイーツの漫画をメインとしながら、男前の嫁の漫画、スーパーカブの漫画など描いております。初めての方はこちらをどうぞ↓『【自己紹介ページ】運び屋ゆきたの漫画な日常とは?』ウーバーこんんちは、ゆきたこーすけです。今日はちょっと、自己紹介用のページを作ってみました。新規の方を想定しているので、いつもの読者さんには既視感が…ameblo.jp【すくパラ倶楽部】にて『男前!嫁日記』連載中!!
被害を受けた人が被害届を出すのは当然の権利これについて校長先生も意義なしでした。『当然の権利』を奪いたいのですから説得が支離滅裂になるのは当たり前です。会話の途中、校長も時々頭を抱えながら自分の主張が間違っている事を自覚していた様で説得しつつごめんなさい、と謝られるよく分からない状態から最終的には『私の支離滅裂なお話を聞いて頂いただけでした』と、頭を下げられた翌日の午後また校長から電話がきました。昨夜は遅くまでありがとうございまし
いよいよ試験の結果発表です。試験官たちは、離れた場所で何やら協議している。生徒たちは、リージェントストリートオールソールズ教会の前で、待機。かなり長い時間が経ち、校長先生が厳しい表情でやってきた。まずは、パドレーが不合格との発表。追試のチャンスが1回、与えられます。他、4名は合格!やったあ〜皆、抱き合って喜びます。パドレーは別の場所で、追試に向け指導を受けていた。最後に試験官から、講評。なんと、私のガイドの内容が、大変素晴らしかった、と、お褒め頂きました。
どんなに仕事を減らしてもまた休職に!1.休職から復帰した先生の担当に!2.もちろん担任にはなりません!3.中学校の先生の授業数は平均週20時間!4.週に10時間!校務分掌もなし!5.5~15分遅刻はするけど定時に帰る!6.おとなしい子が多いクラスの授業担当に!7.発音を褒められ気分のいい先生!8.何て冷たいクラスなの!9.現在、4回目の休職中!→1週間勤務で7ヶ月分の給料がもらえる!→3年7ヶ月休んでも給料とボーナスはもらえるよ!→1年7ヶ月休んで、110
今日は朝から陸の話を聞いて腹立ちました。空です、こんにちは。朝から腹立った話なんだけど…担任が、陸に「学校来ないと(情緒不安の子でクラスに入れない子を受け持つ)先生使えなくなるよ」って言ったんだって。あと、「学校来ないと、中学の校長先生になんで今まで来なかったか聞かれるよ」って言われたらしい。その話、今朝聞いて、もう学校行きたくない子への脅しにしか聞こえなかったわ陸にそういうプレッシャー与えられたのが腹立っていつもなら「頑張って学校行こう?」とか言うダメダメ母だけど、学
佐竹さんに相談し、価値観の違うもの同士がお互いの正誤を主張してもモメるだけだよ謝るべきことは堂々と丁寧に誤り今後どうするか決める事は決め、決意表明とかオカシイ事はオカシイという、認識を共通させることが大事だね。このアドバイスを受けた私は自分が被害届を出すまでの経緯を時系列にまとめ2度目の緊急保護者会に参加しました。まずは、これまでの経緯の説明を…と促されたので私が事実を知ってから被害届を出すまでを1人で説明しました。最初の緊急保護者会で
自閉っ子コロ(知的支援級・小2)の個人面談。個人面談に校長先生が登場するという、まさかの展開だったが、どうにか終了した。1つ前のブログにも書いたのだが、息子は”札付きの難あり児童”である。完全不登校から転校を経て、どうにか登校できるようになったものの、今度は、読み書き障害を疑わせる行動が酷くなっている。ところが。懐が海のように広い校長先生と、担任のスーパー講師S先生のお蔭で、面談の間じゅう、オバサン3人(つまり校長先生・S先生・私)の笑い声が響き渡るという愉快な時間だった。
たくさんのコメントや『いいね』をありがとうございます♪コメントは全て読ませて頂いております。まず、支援学級行く前に通常級での『転校』を考えるべきとの指摘がありましたが、本編では書いていませんが転校の話は何度かいろんな先生に相談していて、皆に却下されました。『嫌な事があるたびに転校を続ける気なのか?』と散々言われ学区の件もあり、先生方は皆その案は大反対でしたし、認めてもらえませんでした。転校を考えているなら支援学級へどうぞ…という解答でした。ちなみに今回のお話は当時の描写で書いているので支援
学校はすぐ近くなので、Dマネ君が校長先生とのミーティングに行った。思っていたよりも早く戻って来た。来てくれ…と言われたから、結果を聞きに言った。校長先生は、かなり話がわかる方だったらしく、こちらがアレコレ言う前に、謝罪をしはったらしくて。Dマネ君も、一度や二度ではないのです…と、証拠のEメールを見せたら、あちらが…そのスタッフの方は大丈夫ですか?って、心配までしてくださったらしく。そんなわけで、おばちゃん先生は担当から外れるらしくて、もう来ないらしい。イェイ!(≧▽≦)常連の
ご無沙汰しております。愛菜香(あいさいか)店長です。母が倒れて一ヶ月以上経過しました。その間、離婚調停や子供の盗難問題の対応母のリハビリ専門病院への転院先の手配や医療関係者との面談子供の修学旅行準備など本当に目まぐるしくバタバタしました。(精神的に)我が子の鉛筆盗難などの更新が途中で滞ったままだったのを続きはいつ更新するんですか~?と期待して下さった少数の読者さんのお声にやっと重い腰を上げます(笑)前回の内容はコチラ↓謝罪後の話し
試験日。後半の部。なぜだか、今まで1番上手くできた!予定してなかったジョークまで、私の口から出てきた。自分でも、これにはびっくり。試験官も皆も、楽しそうに笑ってくれたので、よかった。この後、さらにジョークが飛び出して、皆、笑顔に。最後の試験官の質問にも、ダジャレが飛び出した。思ってもいないジョークが、自分の口からでる不思議な体験。移動中、校長先生が、近づいてきて私に、よくやった!試験官たちもほめてるよ、と、こっそり教えてくれた。その後、私がスキップ歩きになったの
入学式でした。雨予報でしたが、良いお天気に恵まれ。桜も満開で、小僧の前途を祝してくれました。校長先生の式辞が素晴らしく、私が、一人の人間として、学ぶことを通じて小僧に望むことをその思いそのままに、でも整然とした格調高い言葉で表してくださってて本当にこの学校に来られて良かったーってなりました。日能研と一緒で「勉強」とは言わなかったのよね。「学び」って言うのよね。と、そういうとこも好きだなぁと思いました。前年度の生徒会長からも祝辞があり、これがまた語り方も内容も素ン晴らしく、
ご訪問いただきありがとうございます。いいねやフォローも励みになります。場面緘黙症のむすめ(4年生)は、特別支援学級に転籍してようやく居場所を見つけ本来の自分を取りもどしつつあります。話せる場所と人が増えてきました。定型発達のむすこ(2年生)はまさに去年のむすめ状態で不登校真っ只中です。少しずつ外の世界に目が向き始めました。わたしは『腐らない』をスローガンに日々奮闘しております。『【不登校】学校側と話し合いをしてきました①』ご訪問いただきありがとうございます。いいねやフォローも励みに
ユウ、小学校1年生。学区内小学校の特別支援級(知的クラスに)在籍。学校までは母(私)が同伴通学しています。中度知的障害で療育手帳所持。言語発達遅滞。ADHD傾向。視覚優位。病院のOTとSTに通っています。2023.7月から少しずつ言葉が出始め不明瞭さはありますがぐんとことばが増えました言葉の表出は弱いですが相手の話していることは理解が出来ます。凸凹の差がとても激しいです。好きなもの:数字、鉄道全般アルファベット、国旗、お寿司記憶力がとても良いです人見知
たくさんのコメントや『いいね』ありがとうございます支援学級に関してのいろんな方の意見を聞いてやはりこの校長先生がおかしかったのだと今更ながら確信できました。当時に皆さんの意見を聞きたかった…とか思いつつ。今でもこの当時の事を思い出すと腹が立ちます。支援学級は決して嫌な場所ではありません。ハンデのあるお子さんにとって素敵な場所です。けれど一歩間違えるとウチの長女のようにたくさんの葛藤と戦う事になります。その件も追々書き綴っていこうと思います。いつもお読み頂き感謝です♪では続きです校長先生