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愛知県尾張旭市文化会館前に甲冑を着た若武者の銅像が建っています。これは尾張旭市の御当地武将・毛受勝助家照(めんじょうしょうすけいえてる)です。>>毛受勝助家照像の地図もとは庄助と名乗っており柴田勝家に小姓として仕えた人物。勝家のもと各地を転戦し、元亀二年(1571)の長島一向一揆では17歳で参戦。一揆勢に奪われた柴田軍の馬印を取り返した功により柴田勝家より「勝」と「家」の字の両方を与えられ、勝介家照と名乗ったといわれてます。天正十一年(1583)
中学受験の頃は、息抜きに家族で毎週大河ドラマを見ていました。その当時は「麒麟が来る」途中でコロナのために撮影ができなくて中断したのも記憶の一部です。そして今年の大河は「豊臣兄弟」受験科目である日本史の勉強の足しにもなるだろうと、しばらくお休みしてた大河ドラマを家族で見始めました。しかし、お市の方が朝井長政の介錯をするなど私にとっては想像を絶する描写が多く、私だけが途中離脱。観終わった後の感想会だけ参加してます。つい昨日「今日あたり柴田勝家が死ぬはず
福井市内をちょこっと散歩。まず向かったのは柴田神社。柴田神社(北庄城址)|おすすめの観光スポット|【公式】福井県観光/旅行サイト|ふくいドットコム戦国武将、柴田勝家は織田信長から49万石を与えられ、数年の歳月をかけて居城である北庄城(きたのしょうじょう)を築いたと言われています。城を訪れたスペインの宣教師、ルイス・フロイスは九重の天守などを見て、その壮大さに感嘆しています。天正11年(15…www.fuku-e.comここは柴田勝家とお市の方が最期を迎えた北ノ庄城址。
今晩は🌙歴史人タケ海舟です❗️昨日の「豊臣兄弟!」…秀吉・秀長兄弟と市との間に築かれていた良好な関係が…遂に終わりを告げる時が訪れましたね😔秀吉の本性を見抜いた市が秀長に対して…「お前には兄を支える覚悟があるのか⁉️」という厳しい言葉を投げかけていました😱信長の天下一棟を自分がやり遂げる‼️そのためには織田家を滅ぼすことも辞さない😱たとえ立ちはだかる者が市であっても…決して容赦はしないだろう‼️秀吉の野望を阻止すべく、市はその秀吉から懇願された柴田勝家との結婚を決意‼️
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で池田鉄洋さんが演じる”米五郎佐”と言われた織田四天王の一人、丹羽長秀について『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の内容メモ1歳年上、兄のような信長に仕えた織田四天王の丹羽長秀、本能寺の変後は秀吉に従い、織田家と対峙せざるえないことに(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想今回は、信長四天王の一人、”米五郎左”こと丹羽長秀ついて<丹羽長秀年表>(『偉人・敗北からの教訓|BS11
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で宮崎あおいさんが演じるお市について『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』でみる。織田と浅井、秀吉と勝家の間を取り持つ役割を果たせずも、その血流を将軍家・天皇家に残したお市の方(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、秀吉たちも憧れる存在として描かれるであろう信長の妹・お市の方のついてです。<お市の方の年表>(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン
燃えさかる本能寺を目の前に、呆然と佇む秀長の前に、炎を抜けて、ボロボロになった一人の足軽がフラフラになって現れました。よく見るとそれは信長の近習『森乱』。秀長が倒れ込む彼を受け止めると、『殿をお守りすること、叶いませんでした…』そう言い残し、事切れました。(この着物まで着替えて、燃えさかる本能寺を突破してきた森乱なら、信長の遺体が跡形もなく燃えるように、畳を重ねた、という逸話もやってのけそうだな)これで、疑いようもなく信長がこの世を去ったのだと突きつけられた秀長。このあと、彼は、超
羽柴秀吉と柴田勝家の最終決戦『賤ヶ岳の戦い』が近づいてきましたこの契機となったのは、信長を追善する仏事と葬礼が行われる中で、秀吉があたかも自分が信長の実質的な後継者だというような様子を見せたからだと言われています柴田は、信孝と共に秀吉に対抗しようとすると、秀吉は信雄を味方に引き込み、一度は和睦したとされていますこの和睦の際に使者として越前に向かったのが小一郎でしたこの和睦、実は作戦で、時間を稼ぐ事で冬に進ませ、雪で越前の柴田勢が動けなくなるという事を狙っていました秀吉は柴田が動けないと