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今日は私の好きな石原莞爾の話を少しばかり。。石原莞爾という人は、ご存知ですか?満州事変の首謀者でもあります。「戦争の天才」「悲劇の将軍」や様々な呼ばれかたをしておりますが、東京裁判の痛快な発言は、まさしく天才かつ思想家であり漢。。今回は、こんな日本人もいた事を、簡単に綴り、主に東京裁判のエピソードに焦点をあてます。石原莞爾は、成績が抜群優秀、しかし、奇人で切れ者すぎて扱いにくい性格でした。東條英機とも確執がありました。本人を目の前にして「君には戦争指導などとても無理なので、一日も早
日本人の誇るべき文化とは、一体なんなのでしょうか。私はそれは「誠実に筋を通す」という性質であり、それこそが「侍・SAMURAI」の文化なのだと思います。今の言い方で簡単に言えば「ちゃんと責任をとる」ということ。「腹切り」に代表される武士道の文化は、まさに「しっかりと責任を取る」という文化に他なりません。今を生きる日本人は、実はまったく日本人らしくない、ということが言えます。たちが悪いことに、現代の日本人は、過去の誠実な日本人の幻影を利用し、さも自分がその文化に生きるその人であるか
【東京裁判】仲間を売った政治家Y・歴史が闇に葬った裏切りの真相|西鋭夫のフーヴァートレジャー(youtube.com)
子供たちを戦場に送るなと言う人達がいる。しかし日本が侵略を受ければ国土が戦場になり否応なしに戦場に送り込まれるのだ。戦わざるを得ないのだ。この人たちは日本が他国を侵略し攻撃することでしか戦争は起きないと思っている。東京裁判で埋め込まれた日本悪玉国家論から抜け出せないでいる。x.comx.com子供達を戦場に送るな、だと?綺麗事など所詮は机上の空論。いざ戦争になれば大人も子供も関係無く戦はざるを得ない。未来の日本を担ふのは小さな子供達。子供達に長生きして欲しくば尚更、幼少からきちんと
防衛省市ヶ谷見学ツアー最終章。防空壕を見た後は、メインパートの市ヶ谷記念館へ。旧1号館の建物のうち、幾つかメインの部屋のみ復元し、大幅に規模を縮小してモニュメントとして残しているものです。メインの部屋とは、大講堂、旧陸軍大臣室、旧便殿の間。かなり正確を期して再現されています。先日三島由紀夫が立てこもった部屋として紹介した部屋が、旧陸軍大臣室に当たります。訪問前、私が特に興味を持っていたのがこちらの旧陸軍大臣室でした。でも、実際、歴史的に多くを語りかけてきたのは大
素直なこころ人間はなぜ、争うのでしょう。聖徳太子が仏教を守りたかったために戦を起こしてしまい、兵士だけではなく民たちまでも死んでしまったことに後悔しました。戦ではなく話し合いで解決できたのではないかと悔やみました。そして「十七条憲法」を制定したのです。しかし、人間は善いか悪いか、正邪を決めたがるのです。そして、同じようなことを繰り返してしまうのです。戦争はするべきではない。争わずに解決することができないのか。人間は善悪の判断ができる。人間同士が殺し合うことは間違っ
今年に入り、何故か「2024年1月、福島瑞穂が中国で日本の侵略戦争を謝罪」、昨年8月、同党の大椿議員がXで「日本が無謀な侵略戦争を行った」と発言、歴史的事実は正反対、「大東亜戦争は自衛の戦争であった」にもかかわらず、かつての東京裁判同様、国内外で「日本を侵略国家、悪者にしたい」人々が、うごめき始めており、神罰は必ず下りますが、騙されないようにしましょう。東京裁判(※極東国際軍事裁判)とは、連合国が「日本を戦争犯罪人、侵略国家であると仕立て上げるために行った、インチキ裁判」です。194
東京。不思議な街である。長男は、自分の未来を描こうとして東京に出てきて、結局倒れた。わたしは昔、就職して東京で1年間寮住まいの研修生活を送ったが、時間の流れについて行くのが難しく、大阪生活より1.3倍のエネルギーが要った。今回の東京行きは、表向きは俳句のイベントがメイン。午後が表彰式と懇親会で、招待するなら交通費くらい出してくれと思うが、自腹である。しかも、午前中は靖国神社で俳句を作るのがノルマ。靖国なんて一生行く気はなかったのに。まぁ、参拝はしな
信じられない陰謀論・・・色々、意見はあるでしょうでも、少し調べると納得できることも沢山あります例えば、こちらも👇原爆爆破の指示を与えたのは裕◯天◯でした。そして、東京裁判で問われることになる戦争犯罪の責任を陸軍に押しつけました。…pic.twitter.com/cKLXtC5zOE—TOYO(@toyo1126Q17)May20,2024hirokoでしたメインブログはこちらからEternalEart
映画「東京裁判」40年以上前(1983年)の映画であるが、約4時間半の長編。「東京裁判」映画公開当時、極真空手創始者「大山倍達」総裁の内弟子であった私は、大山総裁から観に行くように指示を受け、確か先輩方と何組かに分かれて観に行った。当時はこの映画を観に行けと大山総裁が言われた意味がわからず^_^、内弟子として一番下っ端で雑用と稽古に追われていた日々であったため、「映画」を観れるのと、「外出」出来る事でウキウキしていた私だった^_^。当時は何故「戦争」が起きるのか、「戦争」をやる事で得