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旅行が続いて、下書きしてあった映画「東京タクシー」を載せる。映画「TOKYOタクシー」長生きしてほしいと思っている映画関係者が3人いた。山田洋次、倉本聰、仲代達矢⋯仲代達矢さんは最近亡くなった。山田洋次監督の映画を見るのは生きがいと思えるほど楽しみであった。男はつらいよや釣りバカは全て見てきた。それ以降の作品もたぶん全部見た。現在94歳TOKYOタクシーを見たが全く衰えていないのが嬉しかった。ほとんど木村拓哉の運転手と倍賞千恵子のすみれさん2人のロードムービーよようだが
金子みすゞ(1903-1930/明治36-昭和5)の最後の写真。自死の前日に写真館で撮影した「遺影」3月10日は、東京大空襲から80年目の日。10万人以上といわれる犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。勝ち目のない無謀な戦争を始めてしまった日本は、民間人に対する数え切れない空襲や原爆という超恐ろしい爆弾を落とされることでしか、戦争をやめることができなかった。ウクライナやガザの現状を見てもよくわかる。一旦戦争を始めたら、この殺し合いをなかなかやめることができない。だから
初めての両国プラプラ歩いてみました駅に隣接した両国観光案内所「-両国-江戸NOREN」。両国の観光案内(地図)を手に入れたり、江戸の町屋を模した空間には、レストラン、お土産、何と言っても、原寸大の土俵(日本相撲協会監修)が目立ちます外国人のみなさんも興味津々、もちろん私も興味津々、土俵って意外と小さいんですね、この円の中であんな大きな2人が立ち回るって、改めて、お相撲さんのスゴさを感じました。国技館内にある「相撲博物館」。現在の特別展は、第73代横綱・照ノ富士
2025年に必ず読んでおきたい一冊、それが石川智健さんの『エレガンス』です。こちらは戦後80年の記念碑的小説ということで、多くの方に届いてほしい物語になっています。テーマは【東京大空襲×洋装女性連続不審死】。戦時下に実在した警視庁の写真室巡査と「吉川線」を考案した鑑識の第一人者による歴史ミステリー。<あらすじ>空襲が激化する1945年1月、警視庁でただ一人、ライカのカメラを扱える石川光陽。写真室勤務である彼の任務は、戦禍の街並みや管内の事件現場をフィルムに収めること。折しも世間
2025年10月25日(土)小雨降る錦糸町駅に12名集合しました。初めて参加の人、病気治療中にも関わらず参加の人、三回目の参加の人など。雨なのでコースを変更して歩きます。伊藤佐千夫牧舎旧居跡駅前ロータリーに石碑と説明プレートここは伊藤佐千夫が牛3頭を飼って搾乳業をしていたところだという千葉から上京し、牧場に務めて酪農を学んだとのこと。25歳でこの辺りの土地と牛を飼って、毎日18時間働いたが、低地で水害が多く、とても苦労したようだ。その働きで次第にゆとりもできて、文
東京大空襲の当時を記録した警察官で写真家の石川光陽(こうよう)と、『吉川線』を考案した鑑識の第一人者の吉川澄一(ちょういち)という実在した2人が活躍する、異色の本格的歴史ミステリー。【あらすじ】1944年12月3日から1945年1月8日までに、計4名の遺体が警視庁管轄内で発見された。発見された遺体は全員女性で、ワンピースの他、ブラウスやジャケットとスカートを合わせた格好で、スカートはドレスにも見える長さのものだった。着飾った女性たちは首を吊っていたものの、床に足がついており、まるで自立
日本の8月は戦争の月だ。終戦から80年も・経った全ては過去のこと過ぎ去った遠い昔のこと“本当にそーなのかなぁ…🤔?”まだわずかな時間だけれどお酒と離れて私なりに知識を増やして来てこの8月にふと考えてしまう。私の両親は終戦の日は10代の若者(子ども)だった私は両親がかなり年をとってから生まれた子なので同級生と“戦争感覚”が少し違う事は当時から気づいていた母はあの年の3月浅草で“東京大空襲”にあっている私が幼少期を過ごした祖母のところでも“戦争”は薄〜くだけど
2025年11月の鑑賞リスト。例によって「DVD以外で初見のみカウント」というマイルールを適用。作品の頭には年間の通し番号をつけ、()内は月間累計を表す。さらに、個人評価を★1~5で表し、作品の公式ホームページや予告編にジャンプするURLをつけた。161(23)『TOKYOタクシー』★★★★『ハウルの動く城』コンビの倍賞千恵子と木村拓哉の再共演は、『パリタクシー』を下敷きにしながらも、柴又帝釈天から始まり、言問橋では狩野光男さんの「言問橋炎上~家族全員を亡くした橋の記憶」が使われていたり、