ブログ記事573件
<ドラマ成均館スキャンダル>ワンポイントコラム<韓国朝鮮歴史のトリビア>167.朱子学:性理学今回は満を持(じ)して朱子学:性理学について簡単に説明します。高校で世界史を教えて世界の宗教に興味を持ちました。別に宗教に入れ込んだとか入信したくなったとかでは有りません(笑)。<ダヴィンチの最後の晩餐>これ程多くの人々を魅了する思想とはどんな考えなんだろう?と言う学問的興味が湧いて来たのです。基本、マルクスの「宗教はアヘンだ」と言う命題が有る様に、私
江戸幕府が広めた「朱子学」で、商業は卑しいという思想が広まったんだ、という言い方は、間違いです。なにも「朱子学」の本に書いてあるから、商業が卑しいという考えが広まったわけではありません。逆です。農業は商業より尊い、国の根幹は農(第一次産業)であり、工(第二次産業)や商(第三次産業)はそれより価値が低い、という思想は、古代中国から連綿とあって、それが「儒教」の教えの根本なんです。その儒教のエッセンスを過激化したのが「朱子学」ですから、「士農工商」という概念(身分制度ではないが、国民はだいた
今日は朱子学の話し朱子学は儒教をベースに作られた学問だよ。じゃあ儒教って何?儒教は昔、中国の孔子って人が広めた教え。「学びて時にこれをならふ。悦ばしからずや」とか、けっこうみんな知ってるフレーズだよね。その儒教からいろんな流派(朱子学、陽明学ほか)が生まれたんだけど、そうしたグループをひっくるめて儒学っていうんだその儒学グループの一つが朱子学で、中国の朱熹って人がはじめたんだよこの朱子学を日本で紹介したのが藤原惺窩って人。藤原惺窩は言った。「自然界に天と地があるように、人間界に
塾を開校して多くの弟子も集まると、仁斎の暮らしにも多少のゆとりが生まれ、40歳を過ぎた頃に尾形宗謙(※3)の姪嘉那(かな)を娶った。※3尾形宗謙(おがたそうけん):1621年(元和7)〜1687年(貞享4)。京都の呉服商「雁金屋」5代目当主で、光琳・乾山の父。典型的な京都の上層町衆で、本阿弥家とも姻戚関係にあった。狩野派と土佐派に画を学び、光悦流の書や茶の湯にも通じる書画家でもあった。仁斎の講義は、「論語」・「孟子」・「中庸」を独自に解釈した草稿をテキストにして、非常に平易