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自分や世界の「意味づけ・紐づけ」を手離す時「今この瞬間」という「点」に全てなる振動が乗る現実の到来で新しい「事象・出来事」と出逢うたび「自我」を持つわたし達は、瞬間的に「わたし」の「意識の観点」を通して解釈をしようとします。通常、それは「無意識的な動作」ですので、呼吸や心臓の鼓動のように当然に開始します。なので「気づく間もなく」何らかの現実の発生と同時に「自我思考」がフル回転し始める。ここで、もし「観察者の観点」が立っていて「体験者である自我意識との完全剥離」が成されている
簡単に組む事も出来るエンジンですでもそれってどこが正しいのかと考えると永遠に答えが出ない気もするである程度落し所を見つけてそこに絞ってコンプリートエンヂンを造りましたエンヂンと書いているのはエンジンでは無いから血が流れていると言うイメージの造語ですだからエンヂンQの血の流れているものだからそう表現しているんですがこれ言っちゃったらかなり恥ずかしい(*ノωノ)まあ思いを込めて造っている感じでしょうか!?今迄のフィードバックの上に重ねて行く様
「どう思われるか」ではなく「自分がどう動くか」創造は「意識の在り方」の具現化プロセス「他者の目」がある事で、自我の出張りを何とか踏ん張って下げられる瞬間があるように、御自我様は、誰かの「心証を損なうこと」には強烈な急ブレーキをかけられるもの。それほど「わたし」という理想のキャラクターである事や、そのキャラとして築き上げた世界を守る事に、強い「執着」を持っているのです。人には色んな「こだわり」があるものですが、「ここは、絶対こうするものだ」「これだけは、どうしても譲れない」「
「あるがままで当然」の域に全てを配置する「これ」という何かを掴まない時全てが開花するこれまで、友人知人や諸先輩方や親族、そしてクライアント様方等々を含めて、ご縁を頂いた中には、色んな方向の「特技」を持つ方がいらっしゃったりします。それは当人にとっては「普通」な事だったりするのですが、あまり一般的にみない特技だったりします。例えば、大怪我をしてもすぐ治してしまうとか、熱を自在にコントロールして、発熱しても仕事中は下げて、帰宅したら上げるみたいな便利な事が出来たり、肉体の不