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「タイミング」が具現化の質と波紋域を創る全ての機は「今この瞬間」の真上にのみ在り「今この瞬間」を「今ここ」と変換してしまうと、「今わたしがすること」「今のわたしの役割り」のように「わたしだけ」に意識が集中します。「今この瞬間場」を捉え観るには、観点は「全」に配置する必要があります。「全」とは無機質に云えば「創造構造」のこと。ですので、今この瞬間「場」ごとにあります。「どういう流れで今があるか」のような「過去からの連なり」の事ではありません。「どういう流れ」というのは、
現実として「表現された景色」を超えて鏡に反射する「自らの意識の動きを観る」「観る」という事は簡単に出来るようでいて、「覚醒的な観点」で云うところの「観察」はそのコツを掴むまで必要分の時間を要します。通常の「観察」は、ただ目の前で起こる事象や現象をそのまま「ありのまま観る」事ですが、覚醒的な観点を使う「観察」は、それに加えて「自我意識の働きの全て」をありのまま観ます。意識が「観る」動作を創っているので、通常は「現象と意識」は癒着して「1つの世界」として認識されます。例えば「
創造の神髄それは「空(くう)」に触れること「点(形)」と点の狭間にある無限に近づく「点」という世界を、例えば直径10センチのコンパスで描いた「円」だと仮定すると、「今この瞬間」という点上に創る「世界」は鉛筆で描かれた円周の線の内側の空白の部分に形成されるようなイメージになります。そして、円周は「点の限界点」を示し、「今この瞬間の世界」は、その円周を超えて存在する事はなく、もし超えるならば、即座に「次の今この瞬間点の円」へ移動する。では、その「次の点」の「はじまり」となる
それが「そう在る」ことから「背景」を観る「せねばならない」型から「軸」に沿う柔軟を「やり方」「定番」等々に囚われてしまうと、「本質」が盲目になり、「型」に合わせて何かを仕上げる事ばかりに意識が集中し、肝心の「中身」が疎かになったりします。「こうすれば、誰でも出来ますよ」という「方法」「形」は、例えば購入した商品の「組み立て方」「操作説明」などにおいてはとても役立ちます。「書いてある方法通り」すれば、写真通りの商品が出来上がり、「書いてある操作通り」すれば、その商品の基
前に進もうとする時「苦」の投影が訪れる超えて「進化」をゆくか全ては一瞬の選択4月頃から多くの方が「進化の分岐点」に差し掛かっています。これまでないような「体調不良」を体験する方々もいれば、「進化への一歩」を踏み出せず、その「躊躇」という「隙」を狙って、自我システムが稼働し、「楽=わたし最高位・思い通り」への欲望から「苦の投影」を強化してしまう方々など、プロセスとしての表現の方向は様々です。その全てへ云える事は「絶好の進化チャンス」が巡り還ってきている、ということ。こうし