ブログ記事53件
私は、人の意識の世界は、「自我の世界」と「真我の世界」を行き来しているように思います。「自我の世界」だけにいる人。「真我の世界」だけにいる人。と分かれているのではなく、どちらの世界の意識を遣っているか。だと思うのです。「自我」とか「真我」とかの言葉を一切知らなくても、この世界の法則通りの生き方をしている方もたくさんいます。「自我の世界」にいても、ワクワクすることだってあるし、誰かと比較することもなく前に進んでいる人もいます。
いつの間にか、私の中で「当たり前」になってしまったのは、いつもいつも必ずそうなるから、私にとっての「当たり前」になってしまいました。「当たり前」は、潜在意識の中に貯蔵されています。じゅあ、顕在意識(認識できる私)が、「当たり前」だと思っていることとは違うのか?違うこともあれば、同じこともあります。あまりにも無意識に、空気を吸うように無意識に、喋ったり、頭の中で考えたりしていることは、「当たり前」になっています。例えば、「楽
「自我」の壁を超えると、「真我」の世界が広がっています。もともと私たちは、「真我」なので、元に戻るということになります。「自我」を知らなければ、「真我」を知ることはなかったし、「自我」の世界での辛苦がなければ、そこから脱出しようなどとは考えなかった。「自我」は、必要不可欠な存在です。「自我」だけが、この宇宙の流れに抵抗しています。ですから、自分が何かに抵抗していることに気づいたら、「自我が発動してるな。」と気づいて、自我に主導権を取らせない
主人が今内服している分子標的薬は、カボメティクスという錠剤です。この薬の副作用で一番多いのが、「下痢」です。主人は、昨年末から今年に入って、下痢になっていました。食欲もなくなり、食べたくない物が増えていました。日常生活は、いつものように送っていましたが、「横になるわ。」よくそう言っていました。この時主人は、「春までもたないかもしれない。」そう思ったと言います。普段から水分をあまりとらない人で、おまけに腎臓を一つ採っています。急激な
脳は、記憶ができます。その記憶の方法は、梅干しを食べた記憶でも、私が死にたいと思うほど悩んだ記憶であっても、同じです。脳は、私の想いには関係なく、記憶していきます。毎日の日常は、人それぞれですが、その人にとってはルーティンです。全く関係のないことを頭の中で考えていても、歯を磨く順番は、いつも通りです。毎日通る道は、スマホでゲームをしながらでも、間違わずに歩いていける。記憶に任せているからです。潜在意識に入り込んだ記憶は、そ
法則は、1㎜の狂いもなく適応されます。どんなに願っても、ガラスのコップを手から放せば、引力の法則が発動し、床に落ちた途端に割れてしまいます。どんなに願っても、太陽が西から昇ることはありません。どんなに願っても、天気をコントロールすることはできません。それと同じように、意識の世界の法則も、法則通りに適応されます。どんなに望むことを願っても叶わないのに、「みかん食べたいなぁ」と、ふと思っただけなのに、隣のおばさんが、みかんを届けてくれたり