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照干一隅(しょうかんいちぐう)「社会の片隅でもよい、必要とされる人物となれ」「縁の下の力持ちになれ」という意味で、この言葉は、仏教大師最澄が求めた理想的人間像を書いたものです。人間にはタイプがあると思います。最前線で活躍するタイプもいれば、後方支援に向いているタイプもいます。どんな時でも、照干一隅の心は持っていなければならないと思います。企業でも集団でも、何時も先頭に立っているとは限りません。そんな時に「私なんかに関係ない」と言っていては、組織の一員として必要に値
ワタクシ事のために神様(の言葉)を利用し、神仏が分からなくなるほど霊格を下げてしまった女性。『霊能者がやってはいけないこと-普通に倫理編-』その女性(生霊)は初め、6月くらいにやって来ましたたしかね。もっと前だったかもだけど…1人ではありません。彼女の祖母(幽霊)同伴の元で、ですうちの孫を…ameblo.jp彼女が告げた今後の展望は、・神仏が分からなくなったことを、読者に公表しない・今後も今までと同様、執筆活動を続けるこの2点でした
〈最澄と空海に大和心を学ぶ〉「空海」今回は空海について一緒に学びます。平安時代の初め頃、最澄と空海という偉大な僧が現れます。2人とも、桓武天皇のときの遣唐使に従って、唐(中国)に渡り、今まで日本に無い、新しい考えの仏教を学んで帰りました。最澄が唐で学んできた仏教は、天台宗という教えです。空海が唐で学んだ仏教は真言宗(しんごんしゅう)といいます。帰国後「真言宗」(しんごんしゅう)という宗派を開きました。また、この真言宗を学ぶための場所として、和歌山県にある高野山に、金剛峯寺(こんごうぶじ)と
中1の歴史は、平安時代に入っています。平安京に遷都したのは794年。この年号には、有名な語呂合わせがあります。鳴くよ(794年)ウグイス平安京私もこれで教えていました。ところがこの本↑だと、「泣くよ(794年)坊さん平安京」なのです。平安京に遷都した理由を考えると、「泣くよ坊さん」の方がいいかもしれません。奈良時代には、坊さん(寺)が勢力を増し、政治に口出しするようになってきました。そのうるさい坊さん達を遠ざけるため、平安京に
こんにちは♪くりたまです。槙尾山施福寺(まきおさんせふくじ)の続きです。『槙尾山施福寺の立体曼荼羅』おはようございます♪くりたまです。槙尾山施福寺の続きです。『槙尾山施福寺心を癒やす参道』おはようございます♪くりたまです。犬鳴山七宝瀧寺(いぬなきさんしっ…ameblo.jpなで仏様肘と肩をなでなでしました寝ているのは、全ての煩悩が消え、全ての苦が無くなった状態で、悟りを開いている「涅槃(ねはん)」を現しています。弘法大師空海さん延暦二十三年(804年)、遣唐使に従って唐(中
2月初め、まだ新型コロナウイルスの影響がそれほど出ていなかった頃の行動記録ですかねてから行きたく思いながら、「それどこ?」みたいな感じでなかなか近づけなかったお寺がありました京都府向日市にある法菩提院願徳寺ですそこには美しい菩薩半跏像(伝如意輪観音像)がいらっしゃいますこの場所、地図で見ても、人から聞いても、ひとりで行ける気がしなかったお寺ですそこで、最近少し仏像に興味がわいてきたと思われる旦那と一緒に行くことにしました宝菩提院願徳寺の場所↓行き
傀儡たちが魏嬰、藍湛、聶懐桑の3人を襲います。窮した彼らが傀儡たちの群れに突撃しようとした時、笛の音が響き、傀儡たちは笛の音へ導かれていきました。笛を奏でていたのは温情。彼女により傀儡たちはいったん動かない状態になります。一方、舞天女の祠にいた3人に石像の奥から声が聞こえます。声の主は江澄。雲深不知処で姿を消した魏嬰をなじり、藍湛が魏嬰を巻き込んだと文句を言う江澄ですが、温情の号笛の音が止まっていることに気づき、みんなで温情の元へ向かいます。温情は上空に温晁の梟が飛んでいるのを目撃。警戒しま
GW最初のお出かけは、比叡山延暦寺に。戒壇院特別拝観からなので、1年半ぶりです。こむかもと朝早めに出発駐車場で少し待って受付に。比叡山は大きく三塔の地域(東塔、西塔、横川)で、分けられていてこれらを総称して、比叡山延暦寺というそうです。伝教大使最澄様が788年に創立。織田信長公の比叡山焼き討ちでも有名ですよね。まずは東塔からまだ人も少なくて大講堂から根本中堂(総本堂)に。根本中堂は、もちろまだ大改修中ですが、お堂内は見学できるようになってます。すいていたので、ゆっくりとお参り
伏見稲荷から東福寺に向かう途中にあった「伏見妙見寺」。こちらは単立の寺院。いわゆる街中のお寺という感じ。ご本尊は白蛇大弁財天女。水かけ不動明王三寶荒神地蔵菩薩鐘楼七福神奥は伝教大師(最澄)・手前は妙海像・・・ということは、天台宗系?〇伏見妙見寺京都市伏見区深草開土町85-1境内自由駐車場:なし京阪「伏見稲荷」駅より徒歩10分
B056【伝教大師(最澄)との歓談】2021年【伝教大師(最澄)との歓談】2021年公開阿山>地獄に堕ちられたと聞いたのですが?最澄>私が何をしたかその者達はわかっていないと思うもし地獄に堕ちたと思うのであれば縁者たちを探しに行き清めに行っていた手伝いを多くの人たちとしていた縁のある者達であったのなら助けに行くのが師であろうそのような時に地獄にいたと見えたのかもしれぬが確かにこの世界中には切った斬られたかの様に白か黒かの様には
今回は天神・博多界隈にある3つの天満宮のうちの二つ目鏡天満宮前回の「中洲國廣稲荷神社」裏から博多川にかかる博多ことぶき橋を渡ったところにありますホテルオークラ博多と博多リバレインの抜け道の傍らに鎮座されています博多ば日記2019SpringNo.17(発行:博多リバレイン)より昔から下川端地区で大切にされてきた鏡天満宮。神社は地面の上に建てて、地球の中心と繋がっていなければならない。そのため、神社の下
こんばんは♪くりたまです。今朝は、東京でうっすらと雪❄️が積もりました。毎朝参拝している王子神社の屋根が白くなっていました。東郷幼稚園のプランターチューリップ🌷もこの寒さにびっくりしていることでしょう昨日、東郷神社の境内で見つけたシャガのつぼみ今朝、雪の中でしっかりと咲いていました花たちが春を迎える準備をしていますね✨さて今回は、般若心経の功徳と供養についてご紹介します。先日、40代男性の方とお話しする機会がありました。その方は、30代のときに最愛の奥様を亡くされて、その時
○寒山詩を読んでいる。前回は第1回として、『凡讀我詩者(001)』を読んだ。今回が第2回で『重巖我卜居(002)』になる。原則、項楚著「寒山詩註」(中華書局2000年刊)に従って、訳していきたい。【原文】重巖我卜居(002)重巖我卜居鳥道絶人迹庭際何所有白雲抱幽石住茲凡幾年屢見春冬易寄語鐘鼎家虚名定無益【書き下し文】重巖たる我が卜居、鳥は道ふも人迹絶ゆ。庭際は何れの所にか
おはようございます出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。昨日(8月18日)は、伝教大師・最澄の誕生日でしたが、豊臣秀吉の命日でもありました『最澄と空海の密教の大きな「違い」(8/18は最澄の誕生日)』こんにちは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙し