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あっという間に別れの日の朝が来ました。僕が亡くなってから翌日に葬儀代の話をして以来、僕親から連絡ありません。身内も誰1人来ませんでした。急遽、お坊さんのキャンセルをして、10時半から支度が始まるのに、僕親は10分前になっても来ません。葬儀屋さんもスタンバイしているのに、もしかして来ないつもりなんだろうか?と不安が募る中、ギリギリ到着。僕が大好きなアーティストさんの曲をかけながら、全員で棺に移動させ、花を入れ、アーティストさんのTシャツ、お気に入りだった帽子、読み切れなかったジャンプの表
こんばんは~今日は隣組の方の告別式でした。87歳のおばあちゃんでした。告別式のお手伝いで行ったのですが...式が始まり、私達隣組は、受付担当だったので、香典返しの準備等でバタバタとはしていましたが、交代しながら、お焼香等にも参列できて、喪主さんのご挨拶や、一緒に住まわれて居たお孫さんやひ孫さん達のご挨拶も隣組の控室で聞いて居たのですが....お孫さん代表のご挨拶の時は、おばあちゃん(╥﹏╥)おばあちゃん(╥﹏╥)と涙声に成り、控室で....隣組皆で貰い
昨夜は予定していたインスタライブを中止してしまい大変申し訳ございませんでした。1月17日(水)21時半~インスタライブしますので、よろしければご覧になって下さい。昨日は診療中に滋賀の麗ちゃんが永眠されたという連絡が来て、私としてはどうしても最後のお別れをしたかったので、診療終了後直ぐに滋賀に向かい最後のお別れをしてきました。苦しんだ様子もなく良いお顔だったのでとても安心して「麗ちゃん今までよく頑張ったね。ゆっくりしてね。いつかまた会えるからね。」と声をかけて、ご家族やスタッフの皆様と共
2月10日叔父の告別式だった。お通夜は欠席するつもりだったので、先に時間を気にすることなくゆっくりできる自宅での枕経に行き、告別式は繰り上げ法要までいる事に決めていた。開始は朝9時。妹と斎場で待ち合わせをした。妹とはあのお好み焼き屋さんでの一件以来会っていなかったが、枕経で久しぶりに顔を合せた。案の定ぎこちない感じでどこかよそよそしい。斎場は旦那の葬儀を行ったところで、もちろんあれ以来足を踏み入れる事はなかった。自動ドアを潜り抜け、足を一歩踏み入れた・・・パラパラとあ
火葬の日を迎えました。朝、病院の霊安室に行きました。棺に入れるお花と写真を持っていきました。お花は前日に夫と選んだのですが、赤ちゃんのための初めての買い物が棺に入れるお花なんて・・・と泣きそうになりながら選びました。写真はお互いの家族も写ったものと、赤ちゃんを諦めると決めてから夫婦で撮ったものにしました。今思うと、おなかが分かる写真をもっと撮っておけばよかったと思います。霊安室に入り、赤ちゃんを棺に移しました。赤ちゃんは退院のときに見たまま、まだ真っ赤で手足もぷっくりしていま
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。死産後、やっとピヨちゃんに会う事が出来ました。小さくて真っ赤で可愛い男の子でした。「ピヨ助」と名前をつけました。振り返り記録、前回の記事㉞してあげられる事、残せる物(1)死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死
この日記が更新されると言う事は、もうワシはこの世にいないか大変重篤な状態に陥っているか…というわけです。なぜこんなことをできるのか?○人に口無しですが・・あるじゃん〜本当はまたエイプリルフールとかいつものふざけじゃないのて思ってるんじゃないワシからのレスありません・・あしからずファッファッファ・・・・段取りのお千代言うことをお忘れかな?これは生前描いた未来日記であり、毎月月末に見直して今月も生きれたと思ったら次月の月末に設定を
1月3日にライオンのサンが22歳で亡くなりました。『ライオンの「サン」が旅立ちました。』先日、ブログのアクセス解析を見ていたら、過去に書いたライオンの記事へのアクセス数が増えていることに気づきました。嫌な予感がしました。まさかと思い、急いで東山の…ameblo.jp8日に最後のお別れに行ってきました。ライオン舎の前には献花台が用意され、既にたくさんのお花が手向けられていました。以下、ファンのみなさんがサンに寄せた送る言葉です。
1月に入ってから認知症と持病の橋本病が悪化し体調が悪くなっていた私の母。1月すぐ私と娘とで家に様子を見に行き次男とはテレビ電話で会話。私と母と話をしている時は次男の名前すら出てこなかったがテレビ電話をしたとたん「○○~!!」とすらすらと名前が出てきたのにはびっくり!!次男も会いに行きたいなと常々言っていたが叶わなかった。ちょうど母の誕生日を迎えた0時。あー。誕生日だな。連絡しようと思っていた時に義兄からの電話。嫌な予感。ばーばが危ない。今から救急車で病院に向かう。
こん〇〇はリリです。おやすみしようと思ってましたが。今の気持ち残したくてブログを買いてます。今日母を、荼毘にふしましたが全く実感がありませんただ…火葬場では棺から離れられず夫と叔父に引き剥がされました。今回手作りのお葬式でした。納棺式花は花屋で選んで購入お化粧も母の好きな色もちろん花も凄くいいお式でした。少しは喜んでくれたかな?じつは先々週に母が入院してから不眠症です。大きな大きな存在でした。いるのが当たり前わがままで贅沢で情が深い勝ち気で不
今日は外出許可を得て、おじいちゃんの告別式に参列してきました。再々発の娘の手術を見届けるかのように亡くなった義父。手術終わるのと息を引き取ったのが、ほぼ同時刻。きっと、娘の悪いのを全て引き受けて、天国に持って行ってくれた、そうとしか考えられない。いざ、最後のお別れになった時、娘に説明する。「おじいちゃんは今から天国に行くよ。そのお見送りだよ。」すると娘。「いつ帰ってくるの?」もう帰っては来られないのよ。そして、アナタはまだ絶対に行ってはいけない場所なんだよ、絶対に。お義父さん
ついてくる者…ご訪問頂き、本当に有難うございますこの日記には宗教の事が出てきます。もしかしたら不快に思われる方もいるかもしれませんでもきっと私と同じ様な思いをされている方もいるかもしれないのでありのままを書いていきます。ご理解の上、読んで頂けたら有難いです※宗教に対する批判では無いですしめやかにとり行われる…で合ってますかお葬式も、そう穏やかに進む中で会場の外で騒がしくなりましたご兄弟の中のどなたかの息子さん(旦那と
2019年5月12日(日記より・・・)妻の葬儀とうとう最後のお別れの日通夜の夜に葬儀場の従業員から『奥さんの大好物の飲み物は何ですか?』と聞かれ妻の好きな飲み物と言えば『チリ産の赤ワインミディアムボディ』かなと答えたお棺に花を入れ、最後のお別れをしていると赤ワインを手にした葬儀場の従業員が近寄ってきた妻の好きな『チリ産ミディアムボディ』だったワイングラスにそそぎ、そのワインを綿棒のようなものに浸しその浸したワインを妻の唇に当て、数滴のワインを飲ませてあげた
前回の記事はこちら『初めて死と向き合う』前回の記事はこちら『1人目の介護記録16〜ツネさんの最期〜』前回の記事はこちら『1人目の介護記録15〜がんばろうね〜』前回の記事はこちら『1人目の介護記録14…ameblo.jpツネさんの1話目『1人目の介護記録1〜ツネさんという人〜』プロローグはこちら『介護記録プロローグ』はじめまして竹内文香(あやか)と申します。3人の娘を育てながら漫画家をしています。自己紹介を書いたらとてもボ…ameblo.jp遺影にクレームつけましたなかった
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。死産後、ピヨちゃんと対面し、抱っこ・手足型・ネームバンド等…してあげられる事をし、残せる物を残しました。振り返り記録、前回の記事㉟してあげられる事、残せる物(2)死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。死産後、ピヨちゃんと思い出の時間を過ごしました。旦那も病院に到着し、親子3人で過ごす最初で最後の夜です。振り返り記録、前回の記事㊱みんなの天使死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆
帝王切開だと通常1週間入院しないといけないらしいのですが、「早く退院したいよね」って言ってくださって少し早めに退院させてもらえることになりました。退院した数日後に火葬を行いました。赤ちゃん小さいので遺骨が残らない可能性もあります、と言われました。本当はお洋服や布のおもちゃや入院中に折っていた折り紙等を入れようと思ってたけどそういうのを入れちゃうと遺骨探すのが大変になりますとの事だったのでなにも入れないことにしました。〜火葬当日〜赤ちゃんの火葬は朝一みたいな
こんにちはまあこです。胃がんステージ4で余命3か月といわれた夫は闘病約半年、4/1に亡くなりました。亡くなる前日から亡くなったときのこと見逃してしまったサインのことなど記しておきます。『亡くなる前夜のこと〜1〜』こんにちはまあこです。胃がんステージ4で余命3か月といわれた夫は闘病約半年、4/1に亡くなりました。余裕なくて書けなかったこと記録しておきます…ameblo.jp『亡くなる前夜のこと〜2〜』こんにちはまあこです。胃がん
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。「子宮内胎児死亡」を告げられてから一夜が明けました。再診察の結果も変わらず、処置に入ることになりました。振り返り記録、前回の記事㉗苦しみを感じたい死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆
明日は友達の葬儀私より二歳年上のお姉さま私より一年二ヶ月乳ガンの先輩亡くなったのはなぜだろう。
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp私が病院にひと月以上滞在していた頃、医師から「今日、明日が山場だ」と言われました。そこで叔母の家を出て、再び個室のソファーで24時間待機し、状況を見守り
※38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。くぅちゃんと一緒に過ごせる最後の夜は、朝までお部屋で一緒に過ごした。退院の日。そして火葬の日。最後のお別れの日。桐箱が部屋に届き、最後のお別れの準備。この可愛い可愛い、寝んねのくぅちゃんを見るのもあと数時間。最後にまた二人で、パパとママで、これでもかっていうくらい写真を撮った。そして小さな身体を抱っこしてぎゅっと抱き締めた。本当ならまだブカブカのお洋服を着せて、こ
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。「子宮内胎児死亡」を告げられ、人工誘発分娩の処置に入りました。外出できない私に代わって、母と姉がピヨちゃんへ贈るプレゼントを買いに行ってくれました。振り返り記録、前回の記事㉘お別れの準備(1)死産までの振り返りまとめ
皆さま、おはようございます本日もご訪問くださりありがとうございます最後の晩餐が終わりいよいよお別れの時間が近づいていますこの日は小3娘の補習の日なので娘は友達と補習へ行きましたふと見ると保護者も祖母も泣いています私はこれまでお世話になったお礼と沢山遊んでくれた感謝の気持ちを泣きながら中国語で彼女たちに伝えましたすると祖母が目を真っ赤にして部屋の奥から赤い小さな布の袋を持ってきて私に渡しましたお別れのプレゼントだそうですとっても素敵なブレスレットで
いままで、このブログをご覧いただいてありがとうございました。この記事は、最後の記事から適当な時間で自動的に公開されています。つまり、この記事が読まれている時点で、ネットに接続できない未開の土地に住んでいるか、もしくは死んでしまったかのどちらかです(笑)。これ以上このブログが更新されることはありません。何の情報もない、ただ思ったことを綴っただけのブログではありましたが、アクセス数がちょっと上下するだけで一喜一憂できるくらいには楽しませてもらいました。おそらく、最後まで
夫は脳腫瘍の症状として認知症、見当識障がいがあり闘病中ほとんど会話が成り立たなかった。たまに正気に戻る事があり話しができる時もあったがそれも短時間だけだった。その為、夫から家族の心配をするような発言はほとんどなかった。2022年9月7日緩和ケア病院に転院して5日目のこと夫が急に「長女はどうしてる?」と聞いてきた。私は「元気にしてるよ。明日病院に泊まってくれるって。」と話した。そのあと「三女はどうしてる?」と聞いてきた。私は「元気にしてるよ。家におるよ。」と答え
納棺した日の夕方、私の友人の訪問があった。共通の友人から娘の闘病の事は聞いて知っていたそうです。訃報を聞いて会いに来てくださった。引越しをして遠くなり、会うのは数年ぶりだった。友人とは家が近かった事もあり、お互いの家で子ども達をよく遊ばせたりもしていた。一緒にご飯を作って子ども達7人と食べた頃が懐かしい。娘の小学生〜高校生までを知っている友人とは、懐かしい昔話に花が咲いた。小学生の頃からご近所の方々に「チーママさーちゃん」と呼ばれるほど、しっかり者だった娘。出来すぎるほどの良い子
火葬場に着いてしまった。シンゴの親友は駐車場で待っていた。目を合わせつつも会話はしない。これからシンゴが焼かれてしまう。そんな時に何を話すことがあるんだ。きっと同じことを思っていただろう。棺がガラガラと運ばれていく。「それでは最後のお別れです」背筋がゾクッとした。手も。足も。震えていた。口が乾く。上手く息ができない。喪主の私は一番にお焼香をする。シンゴを見る。まるで他人事のように何も。何も考えられなかった。
2023.02.11(土)祖母が帰った後、今度は学生時代の友人達が来てくださった。葬儀は17日(金)に決まっていたが、家族葬でするため友人達は葬儀場には来られない。最後のお別れに来てくださった。亡くなった直後はまだ病んでいた顔だったから、友人達の弔問はお断りしていたが・・・翌日になると、以前の元気だった娘が眠っているように見えるほどお顔が戻ったので、「これなら会ってもらっても良いね」と家族で相談して、棺に入れる前に友人達に会っていただけるように連絡をした。中学と高校時代の部活仲間達
義理の息子たちに助けられて一通りの儀式が終わりました。お葬式の最中はお芝居を見ているよう。棺に納めるお花を渡されて事実を再認識させられ「いやだ」と泣きじゃくってしまいました。とらちゃんの妹さんに抱きしめられて助けられて最後のお別れ。冷たくなったとらちゃんのほっぺ硬くなった唇納得がいかない信じられない信じたくないそれでも現実はあっという間にお骨になってしまいました。眠っては目が覚めてを繰り返している夜大きな写真をとらちゃんがいつも座っていたソファに