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◆"厚化粧の標本"と言われていたタイピスト、でも実際は?こんにちは、山村です!今回は、昭和初期の働く女性の中から、タイピストをとりあげました。タイピストは、手書きの書類や口述をタイプライターで清書する専門職地道な仕事と思われがちですが、化粧やファッションが派手だったと書かれた本もあります。ここでは、なぜそんな話になったのかを考えてみました。タイピストの仕事はもともと、英語やドイツ語など外国語を清書するのがはじまりでした。外国語に堪能でないとできないため、その
こちらの帯留めは『戦前日本のジュエリー4和装用装身具(女性用)・男性用装身具編』に掲載したものですが、細かなところをアップしておりますので、冊子をご購入いただきました方にもご覧いただけましたら幸いです。横の長さ約6.1センチ、重さ16.7グラムのどっしりとした帯留めです。芥子玉真珠の流れるようなグラデーションの使い方が秀逸で、アールデコの雰囲気を残しつつも曲線を活かした気品溢れるデザインはさすが御木本製です。彫金細工が立体的になっています。中央の合成アレキサンドライトは光源の違
久しぶりの下賜品の紹介です。底に「昭和14年下賜」とありますので同年に皇室から下賜されたものですが、今のところまだはっきりとした由来がわかりません。この形の水差しは、最初は純銀製でしたが、支那事変後は貴金属が使えないため磁器製に代わったようです。以前箱付きのものがオークションに出ていたのですが、それにはある皇族女子が誰それに下賜した、と書かれてありましたので、今のところこれは皇族女子専用の下賜品ではないかと思っています。表の絵は撫子柄が最も多いのですが、その他松や梅、竹、菊、桜など多くの種類が
◆関東大震災が女学生の意識を変えた?こんにちは、山村です!以前に、「明治末期の女性の若さと結婚」というテーマで、当時の令嬢の結婚について書きましたが、今回は、昭和初期の令嬢を取り上げます。明治末期のお嬢さまの結婚について簡単におさらいすると、裕福な家に生まれて、女学校に通う「令嬢」は、数えの17から19歳ぐらいで結婚するのがあるべき姿。公家や華族、資産家など上流階級の令嬢が通う学習院女子部では、女学校にいる10代なかばのうちに結婚が決まって、続々と退学していっ
今日はこどものころに、母が作ってくれた食べ物とレストランのおはなしを。ニラ豆腐こどもの時に母が作ってくれたあったかいスープ。材料はニラ、生姜、鶏ひき肉、豆腐、ごま油、塩、固形スープ炒めたひき肉とニラと生姜に豆腐を加えて、塩ベースのスープで軽く煮込んだだけのものなんだけど冬場にこれを食べると身体がめちゃくちゃあったまってうまい。ちょっとテールスープみたいな感じも。このスープはいまもよく家で作るんだけど、スープをご飯にかけて食べるのも美味しい。とにかくニラと豆腐と鶏ひき肉の相性が抜群
◆昭和7年の脱毛クリーム。海水浴に行く女性をイメージした広告です!こんにちは、山村です!今年も暑いですね~まだ7月なのに最高気温37度(東京)とか、勘弁してほしいです。みなさんも体調を崩さないよう頑張ってくださいね今回は、前回に引き続き脱毛の歴史を、昭和初期の新聞記事や雑誌から、振り返ってみました。江戸時代や明治時代には、着物を着ていて気にならなかった腕や足、ワキなどの体毛。しかし、洋装の女性が増えてくると、ワキ毛を意識した美容アドバイスが出てきました
1週間に6日間着物を着ているいっちゃんです。Iwearkimono6daysthisweek.10月24日火曜日はいっちゃんは着物は着ていません。October,24TuesdaymydayoffandIamnotcomingtoworksoyoucannotseekimono.よろしかったらウェブショップをご覧下さい。↓https://shikiantique.theshop.jp/Pleasecheckmy
今日はさちさんとゆとお店からブルーインパルスを見て大盛り上がり気が抜けない大変な時期ですが前向きな気持ちになれましたよさて、本日はアンティークな宮古上布のご紹介です。作られた年代はわかりませんが、おそらくは戦前の華やかな時代のものかと思われます。お袖の長さも67,5cmあります。大胆に配され模様に赤、青、黄色がポイントになっています。ちょっとモダンガールな雰囲気で楽しむのもいいのでなないでしょうか帯は着物の幾何学のような雰囲気に
◆圧倒的に多い趣味は「音楽」でした!こんにちは、山村です。このところ、昭和初期の女性について調べています。大正末期から昭和初期は、モダンガールとよばれる女性たちが、最先端の洋装や化粧をしていた時期。モダンガールが話題になった頃に、洋服を仕立てて、洋風メイクができた女性の多くは、経済的に裕福な家庭のお嬢さまが多かったと思われます。そうしたお嬢さまの暮らしぶりは、『婦人画報』などの、女性誌から知ることができます。今回は、昭和5年の『婦人画報』4月号にある
2017年2月4日愛知県知多半島の常滑に来ています。陶磁器会館から、やきもの散歩道を散策していますついに、お目当ての土管坂にやってきました。30年前に来たときは、土管坂があっただけなのに、今はいろいろと整備されていました。ふるさとの坂道にも選定されているようです。右側は、昭和初期の焼酎瓶を積み上げてありますし、左側には、大きな明治期の土管が積んであります。坂道の床には「ケサワ」という土管の焼成時に使用した捨て輪の廃材を敷き詰めているよう
◆働く場所は美容院や理髪店。でも、休みは月に1日だけのハードな仕事でした。こんにちは、山村です。今回は、昭和初期の働く女性のなかから、マニキュアガールをとりあげます。昭和6年の『東京朝日新聞』に、マニキュア(美爪術)を施術する女性が紹介されています。美容室や理髪店で、お客さまに「マニキュア(手の爪のお化粧)」をほどこすのが仕事。下の写真は、その仕事風景です。『東京朝日新聞』7月2日より今でいうならネイリストですが、この記事には、当時、この職業を何