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自己紹介ありがとうございます。はるかです。2024年4月25日にはじめて星野富弘さんを知り、ネットに偶然(必然です)あがってきた星野富弘さんの言葉や絵から溢れてくるエネルギーに導かれ「いのちより大切なもの」・・・詩画集をなぜか急遽お迎えしました。そして私の手もとに届けられたのは4月28日です。同日2024年4月28日18時32分星野富弘さんは宇宙へ帰還されました。ブログでご紹介させて頂いた翌日です。お会いしたこともなく、美術館の存在すら知らずにいました。何か託され
星野富弘さん(78)死去のニュースが夕方テレビから流れてきて、料理をしている手が止まりました。詩画集全書を買いあさり読破している“大ファン”というわけでもなく、彼の詩画集カレンダーを毎年買って飾るとか、そういう入れ込み方をしていたわけでもなく。けれど、うちに一冊しかない詩画集を最初に手にしたときから、心身にすーっと沁み込んでくるような詩文と絵は二度と忘れることのない、時として一番辛い時にこそ思い出される「花の絵」と「言の葉たち」になっていたようです。星野富弘
ハーブと風そよぐ里山星読みヒーリング庭に今年最初のオルレアの花が咲きました白くて一見か弱そうに見える花ですがたいした手入れもしてあげていないのに毎年顔を見せてくれますそして家族もうちにおいでいただく方もみんながきれいだね☆彡と言ってくれる花です数日前に詞画を長きに渡り書かれた星野富弘さんがお亡くなりになられたことを知りましたあぁとてもさみしい思いがそのニュースを聞きそして静かに思いを馳せました星野さんは今は
私が救われた方たち私が子どものころから活躍していた方たちが亡くなる度、これから先こんなすごい人たちは出てくるのだろうか・・?と思います。もちろんその時代ごとに偉大な人ないるのでしょうが、激動の時代を生きて生まれた感性というのはその時代ごとに変わっていくでしょう。詩画作家の星野富弘さんが亡くなりました。学校の先生だった星野さんは部活の指導中の落下事故で頚髄を損傷し、首から下がマヒしてしまいます。想像を絶する絶望があったでしょうが、口に筆をくわえて文や絵を書き
(富弘美術館星野富弘)群馬県の渡良瀬川渓谷にある富弘美術館に行ってきた。星野富弘さんは、1946年、群馬県勢多郡東村(現みどり市)の貧しい農家に生まれた。富弘さんの両親は太平洋戦争で焼け出され、ここ東村を頼り、わずかな棚田を開墾して一生懸命に生きてきた。貧しかったが、当時の田舎の家がどこでもそうであったように、富弘さんも学校から帰ると汗を流して農業を手伝い、一日の仕事が終わると近所の子供たちと一緒に野を駆け、木に登って思い切り遊んだ。学校の成績も運
「咲き終えて皺だらけの花が落ちたあとに小さな実が残されていた」―星野富弘さんの絵に添えられていた言葉だ。たまたま庭に咲いていた花にも実がついていた。花の後に残された「種」。小さな種もあれば、花には似つかわしくない大きな種もある。タンポポの種は、綿毛に連れられて遠く旅に出る。椿の種は、ポトンと木のそばに落ちる。どんなに美しい花でも、やがて萎れて枯れていく。真白なクチナシの花も醜く萎えていく。しかし、やがてあでやかな朱色の実をつける。「花盛り」だけが
詩歌画家の星野富弘さんが4月28日に召されました。中学校の先生だった星野さんは部活の体操指導をしていた時に頚髄を損傷して、手足を動かすことができなくなりました。24歳の時でした。絶望の日々でしたが、やがて口で筆をくわえて文字や絵を描くようになりました。*星野さんのことはよろしければこちらを。3分ほどの動画です。口に筆くわえ創作活動みどり市出身で詩画作家の星野富弘さん(78)が死去(24/04/30)www.youtube.com星野
ゼロはいくつ足してもゼロだけれど0.1でも残っていればいつか1になり百にだってなれる数学は嫌いだったけれどこの足し算をやって行こう今の私は0.1〜星野富弘さんの言葉*《幸せを運ぶ言葉》MarikoHirai*Photograph&Handwriting*誰かに言われて嬉しかった言葉涙した手紙の言葉感動したメッセージそんなもらって嬉しかった言葉を手
昨夜友達と電話でお喋りしていたら別の友人から星野富弘さんの訃報を知らせるメールが入りました!!👀‼️まさか、、急いでニュースを見ると、やはりそうでした!😢昨年のちょうど今頃、熊本の芦北、星野先生の美術館に念願叶って行ってきたばかりでしたのに、、💦詩画作家の星野富弘さん死去78歳手足の自由失い、口に筆をくわえ創作|上毛新聞社のニュースサイト群馬県みどり市出身の詩画作家、星野富弘さん=桐生市=が28日、死去した。78歳。手足の自由を失いながら、口に絵筆をくわえて詩画を描いた。四季の
昨日は詩画作家である星野富弘さんの訃報をきき、わたしは涙がとまらなかった。(精神的な)命の恩人というものがいるとしたらわたしにとってそれは星野富弘さんかもしれない。富弘美術館にわたしは何度も足を運んだ。時に「言葉など意味をなさないんじゃないか。」そう感じる時があった。けれど星野富弘さんの詩を読んだとき涙が自然にあふれて、癒され、生きる気力さえ湧いて来たことを思い出す。言葉の力を教えてくれた人だ。感謝の気持ちとともに一番好きな詩とともにご冥福をお祈りします。ニセアカシア
皆さんは・・・最近の訃報っていうと、ブライダルのお仕事をされてた桂由美さんが身近かもしれませんけども、私は、この方のことを紹介さして頂きたいと思ってます。手足が不自由ながら、口に咥えた筆で、素晴らしい詩と絵画を創作されてきた星野富弘さん。先月28日、呼吸不全のため、亡くなられました。78歳でした。星野さんは元々、中学校の先生をされてたんですけども・・・。部活動の指導中の事故によって、首から下の自由を、完全に失われてしもたんです。1972年に、群馬大学病院で入院された時か
私は今幸せです主人と猫ちゃんたちに囲まれて毎日楽しく過ごすことが出来ています嫌なことがあっても主人と猫ちゃんたちが優しい気持ちをくれます昨晩、星野富弘さんがお亡くなりになったとのニュースを聞きました私がまだ独身の頃、とある病院に星野富弘さんの詩画集が置いてあり、読み始めたら止まらなくなってしまい、看護師さんに『明日返すから1日貸してください』とお願いした事があります懐かしいな…その後一度だけ作品展に行き、一番感銘を受けた詩画のポストカードを
2003年にバスツアーで訪れた富弘美術館。『群馬日帰りバスツアー日記』今日は2003年4月に行ったバスツアーの写真UPしますでも写真が全然ないんですが。。。なんでもっと撮ってこなかったのか(笑)このバスツアーのメインは『花見』と…ameblo.jpその美術品の作者・星野富弘さんが亡くなりました。訪れた前の年に父親を亡くし、友人が独り暮らしの落ち込んでいる私に気を使ってくれて、ちょくちょくバスツアーなど誘ってくれて行きました。その時に富弘美術館へ行って壁一面、事故から間もない頃の口で書い
5月1日水曜日🌈愛に包まれた優しいあなたへ🌼きょうもブログにお越しいただきまして、本当にありがとうございます🌸今朝の地方紙に掲載されていた星野富弘さんの訃報に接し、本当に驚きました😭富弘さんがこの世に遺してくださった絵や言葉をご紹介しながら、皆さまとご一緒に偲ぶことができたらと思い、ブログを書くことにしました🍀星野富弘さま令和6年4月28日享年78歳ご冥福を心よりお祈りいたします🪷(星野富弘美術館公式サイトのプロフィールより一部を抜粋・転載させていただいております。)
今朝、たまたまインターネットで調べ物をしていて、星野富弘さんが亡くなられたことを知りました。78歳。呼吸不全のためだったようです。星野富弘さんは、クリスチャンのみならず一般の方もカレンダーや詩画集を通して広く知られていました。中学校の体育の先生で、模範演技中の事故により首から下が動かなくなり、生きる希望を失っていましたが、やがて信仰を持ち、口に筆をくわえて絵や詩を書くようになりました。富弘さんならではの視点で、優しさに溢れた言葉、多くの気づきを与えてくれる言葉を残しました
きょうもブログにお越しいただき本当にありがとうございます🍀きょうは、こちらの詩をご紹介いたします💕苺という文字の中に母という字を入れた遠い昔の人よあなたにも優しいお母さんがいたのでしょうね時代は変わりましたが今の子供たちも苺が大好きですお母さんが大好きですよ🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓🍓「おかあさん🌸」そっとつぶやくだけでつい涙ぐみそうになります🌸母を見送ってかれこれ7年が過ぎましたが思い出すたびに「ありがとう✨」と伝えたくなります🌸老若男女にかかわら
あなたの好きな人のタイプは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう好きな人のタイプは「穏やかなひと」です。今は亡き父が何でキレるか分からない人で、キレるとすごく怖い人でした。夫は父とは大違いでとても穏やかな人です。穏かな人といると自分も穏やかでいられる気がします。星野富弘さんの訃報昨日の朝刊に星野富弘さんの訃報が掲載されていて22歳でパニック障害になったとき、口に絵筆をくわえて描かれた星野さんの絵画と詩集に随分救われた日々があったことを思い出
定年退職して同じ学校で再任用となり不思議な感覚を味わう間もなく、怒涛の一週間が過ぎ去りました。4月8日【土曜日】25年前に勤務していた学校跡地で開かれている『星野富弘花の詩画展in君津』に行ってきました。詩画展会場旧多目的ホール会場旧君津市立亀山中学校50周年記念事業・校舎建築に関わる駐車場旧君津市立坂畑小学校100周年記念事業・校舎建築に関わる❲2校目に勤務した学校〕隣接した学校でした。詩画展と同時に学校統合等で廃校となった地区内の学校の思い出が飾られた部屋も、見
~2017年6月18日「石の枕」から~星野富弘さんの詩画集から。「一日にほんのひと時でも静かなものと向き合いなさいと今日も花が咲いている」両手両足が不自由になって、イエス様を知り、不自由の中で真の自由を得た。彼の人生から発せられる「マイナスがプラスにされている」十字架の福音が世界の隅々に届けられますように願う。以下五作品紹介。苺(イチゴ)という文字の中に母という字を入れた遠い音の人よあなたにも優しいお母さんがいたのでしょうね時代は変わりましたが今の子供達も皆
群馬県みどり市出身の詩画作家、星野富弘さん=桐生市=が28日、死去した。78歳。手足の自由を失いながら、口に絵筆をくわえて詩画を描いた。四季の草花を題材とした絵に、命や人生、母子の絆などへの思いを添えた作品を多く生み出し、人々の感動を呼んだ。詩画作家の星野富弘さん死去78歳手足の自由失い、口に筆をくわえ創作|上毛新聞社のニュースサイト群馬県みどり市出身の詩画作家、星野富弘さん=桐生市=が28日、死去した。78歳。手足の自由を失いながら、口に絵筆をくわえて詩画を描いた。四季の草花を題
自分の記事ですが、リブログしました。星野さんが亡くなられて、今朝この記事にポピーさんが、いいね👍️を下さいました。改めて読んでみて驚きました。先日、亡くなられた桂由美さんも同じ誕生日と教えていただいています。奇しくも同じ誕生日の方々が、誕生日の直ぐ後に他界されていらして複雑な気持ちです。ブログの中で、わたらせ渓谷鐵道乗車中に牧野富太郎博士を感じたことについて書いていました。その時の記憶は未だに鮮明です。改めてご冥福をお祈りさせていただきます🤲🛐
星野富弘さん星野富弘さん死去筆をくわえ創作-Yahoo!ニュース手足が不自由で、口にくわえた筆で詩や絵画を創作する星野富弘(ほしの・とみひろ)さんが4月28日午後6時32分、呼吸不全のため群馬県みどり市の病院で死去した。78歳。群馬県出身。後日、お別れの会を開news.yahoo.co.jp私、若い頃にこの方の絵と詩をはじめて見て心にズシンと響くほどの衝撃を受けた覚えがありますこの方は手足が不自由で口に筆を加えて作品を描いてましたきれいごとではない本音の言葉私はこんな素直に正
星野富弘さんが召天されました。子どもの頃から星野さんの本や詩集はいろいろ読みましたし、浦添美術館での絵画展に行ったこともあります。星野さんはクリスチャンですが、たくさんの方々に励ましや感動、希望を与えて下さいました。これからも星野さんのお証しや作品は、多くの方々に影響を与え続けると思います。星野さんは今、天の父なる神様のみもとに、完全な体でおられると思います☺︎感謝します☆P.S.私の母も会えたかなあ。P.S.のP.S.召天式はライブ配信されるようです。
2021年9月に娘の自転車のことを書きました。『ピカピカ自転車とタンポポ』娘の自転車。去年の4月に小学校入学のお祝いで新しい自転車を買った。それまではお兄ちゃんのおさがりの自転車に乗っていた。男の子感満載の自転車。文句も言わずに乗っ…ameblo.jpブログを書いてから2年8ヶ月…息子の自転車は成長に伴いサイズアップし、大人用の自転車は乗らなくなったので物置へ、そして娘の自転車はどんどん奥に追いやられ…。自転車カバーを掛けていたのだけれど、経年劣化でカバーがボロボロになっていまし
星野富弘さんが先月、4/28日に天に召されました。彼の詩によって多くの人が励まされた事でしょう。私もその一人で、このブログでも多くの彼の詩を紹介してきました。彼は若いころ、体育の授業中に転倒事故によって手足の自由を失い希望を失ってしまいました。しかしそのような絶望の中、彼はイエス様と出会い、希望を得て、口で筆を加えて絵と、彼の感じたままを詩に残すのでした。いつか彼と天国で会える日が来る、話を色々聞いてみたいものです。お疲れさまでした。ここに、彼の残した詩(動画のリンクの↓
ブルーベリーの花が咲きました実になってくれると良いな✨去年は鳥に食べられて3粒しか食べられなかったからそして農産物直売所でフキが出てました1束150円早速きゃらぶきにしま〜す弱火でコトコトもう少し味が染みたら良いかなぁ?𑁍𓏸𓈒𓂃❁⃘𓈒𓏸𓂃◌𓈒𓏲𓆸𓂃𓈒𓏸𑁍詩画作家の星野富弘さんがお亡くなりになったのですね。大好きな作家さんなので本当にショックです。詩画作家の星野富弘さん死去78歳手足の自由失い、口に筆をくわえ創作|上毛新聞社のニュースサイト群馬県みど
恥ずかしながら星野さんの事をよくは知らなかった訃報を知って本を見たくなった優しいタッチの花の絵その絵に寄り添うように添えられた言葉わたしは花の名前もよくわからないけどこのフワッと包みこんでくれそうな詩画集に心が癒されそうだ本屋さんに見に行ってみようか?それとも○mazon?沢山ありすぎて迷いそう、、、ご冥福をお祈りいたします。
わたしは傷を持っているでもそのきずのところからあなたのやさしさがしみてくるー星野富弘さんーIwasinjured.Butnow,yourkindnessentersthewoundandtouchesmyheart.-TomihiroHoshino-若いころに事故にあい、首から下が動かなくなった星野富弘さん。しかし、そんな悲しみの底にイエス様が来られ、本当の愛で、命で満たしてくださった。イエス様はあなたを心から愛し、命を懸けても取り戻してく
こんにちは、いつもありがとうございます。台風の影響で雨が続いていますね当該地域にお住まいの皆様どうかお気をつけ下さいませ🙏冬があり夏があり昼と夜があり晴れた日と雨の日があってひとつの花が咲くように悲しみも苦しみもあって私が私になってゆく(星野富弘)星野富弘さんご自身が絶望の淵から生きる希望を見出し沢山の方々に勇気と強さを教えて下さっています今日も普通に生きていられる事は当たり前ではない事に改めて気付かされました。生きていると伴う悲しみも苦しみも経験して今の自分が
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(新約聖書・「使徒言行録」Chapter16、§31より一部)偉大なる天の父なる神さま、あなたのとうといお名前を心より崇めて讃美致します。今週、Internetを通し、星野富弘さんの召天の報(シラセ)に接しました。星野富弘さん(以下、星野さん)は中学校の先生として勤務をされていましたが、部活動の指導のさなかの事故で両手足の自由が利かなくなるというハンディーを負われました。入院生活を余儀なくされる中で星野さんは1