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『宮中新年儀式と御裳捧持者』に載ってる大正五年御裳捧持者の渡邉昭さんの体験談のインタビューを読んで…。男子大礼服は細かい規定があるんですよね。せっかくだからちょっと書いてみようかと。∬有爵者大礼服∬有爵者大礼服は華族が着用する大礼服であり、爵服とも称する。有爵者大礼服の上衣は竪襟の燕尾服型で、房のある肩章を付ける。竪襟と袖口、帽子の右側面の一部は爵位によって色が異なり、公爵は紫、侯爵は緋、伯爵は桃色、子爵は浅黄、男爵は萌黄とし、この部分に飾章の五七桐文と桐唐草文を表す。有爵者(公爵
今日、自分のブログを見ていて気づいたんですけど…。明治神宮の公式ハッシュタグランキングで1位になってるじゃないで姿⁉︎男子大礼服は4位だし…。宮中新年儀式と御裳捧持者②は46位だし。なので、『歴史を拓いた明治のドレス』と『明治宮殿のさんざめき』と『宮中新年儀式と御裳捧持者』を読み返してみました?“みやびなる明治宮殿”の巻頭写真特集が良いですね。皇后美子着用の大礼服御裳捧持者明治宮殿正殿御学問所外観皇后宮御座所写真を見るだけでテンション上がりますヽ(*^ω^*)ノあと筆者
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。元日といえば、今日は“新年祝賀の儀”があったんですね〜。去年と同様、ティアラ無しというのが寂しいですが、コロナ禍の国民へのお心遣いということですから有り難いことです。天皇・皇后両陛下のご長女の敬宮様が公務デビューを果たされたのも喜ばしいことです。あのお小さかった宮様が…と保護者的な感慨に耽ってしまいます。そして前にも何度か記事にした御裳捧持者のことも思い出してしまいます。昭和戦前期まではマント・ド・クールが新年式で着る
みんなの回答を見るそういえば『明治時代の100年?』の振り返り投稿の提案があったので…。『明治時代の生活とか』の記事を上げた後に『1億人の昭和史明治上・中・下』を読み返してみたら“明治時代の最上流階級”として紹介されてたので、なんとなく記事にしてみました?明治維新から新政府中枢となった薩摩藩主島津家は斉彬から忠義に引き継がれ、公爵に叙せられた。忠義には13人の子女があり、8人の姫は山階宮妃(3女)、久邇宮妃(7女)をはじめ、徳川家など皇族・華族に嫁した。長女・清子(22歳)越前福
『明治・大正・昭和戦前期の宮廷服』の図録の主要参考文献に『宮中新年儀式と御裳捧持者』があるので、つい両方を読み返してしまいます。それで思い出したのが実際に御裳捧持者をされた方の話。一応、記事にしてみました😅わが国でも御裳捧持は大切な役目とされ、その人選は慎重に行われた。『昭憲皇太后史』には「第一に風采端麗の者を選ぶ、次に本人の学業成績を閲し、平素の行状、両親の身分、並びに職業、家庭の有様等を調査して」とある。昭和19年の御裳捧持者、神山昭彦氏の辞令「容姿端麗だったかどうかはわかりません
『宮中新年儀式と御裳捧持者』の最初に明治天皇・昭憲皇太后、大正天皇・貞明皇后、昭和天皇・香淳皇后のお写真があって、その後に正装姿の皇族のお写真や明治宮殿の写真が載ってるんですが…。昭憲皇太后御着用大礼服(マント・ド・クール)表紙になってる昭憲皇太后の大礼服や昭憲皇太后から貰ったトレーンに合わせて作られたという朝香宮妃允子殿下の大礼服も。こんなカバーもあるんですね。スゴい豪華で贅沢な品ですね♪朝香宮鳩彦王妃允子内親王殿下ご着用の大礼服(マント・ド・クール)朝香宮妃殿下の大礼服はアール・デ
なんとなく、自分のブログの人気記事一覧を見て、ビックリしました(´⊙ω⊙`)えらい前の記事ばっかりだったんで…。それで記事を読み返してる内に、御裳捧持者の本のことを思い出して読み返してみました。宮中では明治20年(1887年)から皇后陛下ならびに親王妃殿下方はマント・ド・クールと呼ばれる洋装大礼服をお召しになって、新年の儀式にお出ましになるようになりました。このとき、皇后陛下や親王妃殿下方のお召しものの裾をお持ちしたのが御裳捧持者です。この本は、宮中新年儀式と御裳捧持者についての歴史を明
昨日は晩御飯を食べた後に、うっかり転た寝してしまって(-_-;)今更なんですけど、昨日は“明治宮殿が落成した日”でしたね~。前に『青春しょんぼりクラブ』の13巻を買った時に偶々見つけ、一緒に購入した本がありって、それで思い出したんですけどね…。皇居炎上なぜ、多くの殉職者を出したのか■中澤昭著定価(本体1,800円+税)送料324円●空襲で皇居が炎上し、多数の消防隊が犠牲になった。だが、その事実を知るものは少ない。なぜ空襲火災で皇居が炎上したのかその真相に迫る!◯NHK
先日から過去の記事を読み返しているのですが、2013年10月8日の『明治宮殿の暮らし』の中で使わなかった画像が沢山、画像フォルダ内に残っていたので、明治宮殿の画像をこの機会に公開しておこうと思います。1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で桜田門外の参謀本部が爆撃され、その火の粉が風に乗って飛び火し、明治宮殿は全焼しました…。そんなワケで、在りし日の明治宮殿を個人的に振り返りたいと思います…。明治宮殿は、旧・江戸城西の丸の跡地に建設されることが決定しました。1884(明治17