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探索日2017/05/04切り替えは1963年8月2日の複線化時このへんが八木原駅方新旧線分岐点旧線は左へ分かれる旧線はここへのびてきていた湾曲する線路用地が残っている現在線を211系電車が通過上写真の位置から渋川駅方面を見る線路の跡は消滅している旧線はこのへんを通過跡はない右奥が現在線午王川に架かっていた橋の跡両岸にコンクリート橋台が残る奥は現在線橋梁橋跡から八木原駅方面を見る橋台に接続していた築堤は撤去された渋川
探索日2014/05/02切り替えは1972年6月12日新線は山側を1,710mの真鶴トンネルで通過この先が真鶴駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる分岐後、新旧両線トンネルに入る左は現在線真鶴トンネル、右は旧線長坂山トンネル神戸方口さすが天下の東海道本線、石積みで複線型や「隧道」だけは読み取れる坑門前から真鶴駅方面を見る674mもあるけど、直線なので向こう口の光が見える東京駅まで94km
探索日2001/04/22八田原ダム建設にともなう線路移設切り替えは1989年4月20日この奥が河佐駅方新旧線分岐点植林のラインが旧線跡芦田川沿いのコンクリートの護岸は鉄道時代からのもんやと思う遊歩道「せせらぎの小路」になった廃線跡福塩線の駅の駅名板を模したモニュメントがあるここで使われていたもんか知らんけど、枕木が敷き詰められている歩道の橋となった第八芦田川橋りょう橋脚、橋げたは鉄道時代のもの第九芦田川橋りょうこれも人道用の橋として現役後方に八田原ダ
探索日2015/12/30切り替えは1972年5月27日の複線化時写真下付近が土気駅方新旧線分岐点旧線は、現在線より急なカーブで左へ曲がっていく209系電車左の竹やぶが旧線跡やと思う民家の並び、および道路が旧線用地ここは切通しで抜けていたけど、埋められ周囲と同じ高さになっている住宅の列がカーブしていることに注目していただきたい大網駅方面から見てみる奥へ続く民家の列がほぼ旧線跡奥へのびる道路とその左の公園、民家が廃線跡柵に囲まれた
探索日2016/08/06切り替えは1982年11月15日(12月1日?)の電化時第二刺巻トンネルが新トンネルへ移行した写真左付近が田沢湖駅方新旧線分岐点手前が旧線架道橋跡両側に橋台が残る奥は現在線現在線架道橋の銘板竣工1981年3月、新線切り替えは1982年11月田沢湖駅方の橋台刺巻駅方の橋台架道橋跡ここも橋台のみ残る現在線架道橋の銘板竣工1980年4月田沢湖駅方橋台刺巻駅方橋台(旧)第二玉川橋り
今回のシリーズは京阪電気鉄道の土居駅~旧蒲生信号所間が戦前に高架複々線になる以前の蒲生から土居までの旧線の跡を歩くという企画です。なお、今回のウォーキングの際に参考にした資料は佐藤博之(さとうひろし)氏と浅香勝輔(あさかかつすけ)氏の共著「民営鉄道の歴史がある景観III(平成11年・古今書院発行)」です。京阪電気鉄道の「守口(守口市への改称は1971年)~蒲生(後年の蒲生信号所)」間の複々線は1933年12月の急行列車線(A線・・・内側の2線)の供用開始をもって完成しました。このうち普通列
探索日2017/08/15切り替えは1981年11月1日の高架/複線化時※東塩釜、本塩釜駅が新線上に移転この先が陸前浜田駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる新線脇に続く路盤跡この奥でトンネルに入る新線にトンネルはない杉の入トンネル石巻駅方口中央倉庫の裏に杉の入トンネル仙台駅方口がある杉の入トンネル仙台駅方口扉があるけど施錠されている道路になった旧線跡左は現行東塩釜駅右奥へ続く道が旧線跡ここが廃線跡右の切り取りは鉄
探索日2017/05/02切り替えは1967年8月29日の複線化時塚山第一/第二トンネルが廃止、塚山トンネル一本にまとめられたこの先が長鳥駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる線路があったのは農機置いてるとこ左は現在線塚山トンネル西口旧線は右奥へ続く道は線路の跡やない上から見てみる砂利道が旧線跡橋梁跡塚山第一トンネル西口変わった形状のスノーシェッドが接続する水が流れてきているオリジナルの坑門長さ
探索日2015/11/22天神山トンネル付近の旧線切り替えは1966年11月30日の複線化時現在線第四笹子川橋りょうむこうに旧線第三笹子川橋りょう初狩駅方橋台が見えるあの先が初狩駅方新旧線分岐点やけど、近づく手だてはないと思う拡大投影わかりづらいけど石積み第三笹子川橋りょう笹子駅方橋台橋台の中にはアーチトンネルがあるアーチ部分はレンガ積み橋台上に来てみた現在線を211系電車3000番台が走る右端、旧線第三
今回は現地調査です。写真がメインとなりますが、掲載枚数が多いので、前後編に分けてご紹介します。有名どころですので、諸先輩方の秀逸なレポートや写真がインターネット上で多数見られますが、私も現地に足を運び往時の賑わいに思いを馳せてみたくなり、僭越ながらその際に撮影した写真をお目にかけたいと存じます。何卒、お手柔らかにご高覧頂けますと幸甚です。さて、上越線は、それまで碓氷峠越えという輸送の大きなボトルネックを擁する信越本線に頼っていた首都圏と日本海側との連絡路に代わって、より短距離で、より大き
探索日2007/06/03切り替えは1968年9月24日の複線化時鼻田トンネルが新トンネルへ移行する越後広田駅方新旧線分岐点右は現在線鼻田トンネル西口旧線は左奥へ進む右カーブしながら奥へ続く廃線跡この先にトンネルがある旧鼻田トンネル越後広田駅方口トンネル内から長鳥駅方面を見る旧鼻田トンネル長鳥駅方口こちら側は完全に自然に回帰してしまって先へ進めない
探索日2011/12/29切り替え時期は不明1947年の航空写真では、すでに新線に移行している鴨方駅方新旧線分岐点旧線は右へ分かれていくむこうが鴨方駅金光駅方面を見る雑草が茂っている部分が旧線跡オレンジコーポの位置を旧線は走っていた現在線を115系電車が走るブルーシートがかけられているとこに注目していただきたい橋台が残っている両岸に残るコンクリート橋台金光駅方の橋台複線サイズになっている線路付け替えは1924年の複線化時やと推測していたけど、旧
探索日2017/08/15地下化にともなう線路移設切り替えは2000年3月11日ちなみに、仙石線の前身宮城電気鉄道の仙台駅は地下にあったつまり、再び地下にもぐったということ東北本線貨物支線(宮城野貨物線)との交差地点旧線はここを走っていた現在線はこの真下現在線はここで半地下から地下に入る撮影地点が旧線跡線路橋の位置から見て、新旧線は平面的には同位置にある道路を横断し奥へ続くドーム屋根建物の場所が旧陸前原ノ町駅跡現行駅はあの真下旧陸前原
中央本線旧線(高蔵寺~定光寺)2007/03/17ユニチカ豊橋工場専用線2008/03/24新所原駅渡り線跡2009/03/20小野田セメント田原工場専用鉄道2009/03/21トヨタ自動車上郷センター専用線2009/03/21ユニチカ岡崎工場専用線【2009】2009/03/21東レ岡崎工場専用線2009/03/21日本油脂武豊工場専用鉄道2009/03/22日油衣浦工場構内軌道2009/03/22日本肥糧半田工場専用線(半田駅分岐)2009/03/22日
青森県青森県公共臨港線(鮫駅分岐)【前編】2015/08/07青森県公共臨港線(鮫駅分岐)【後編】2015/08/07八戸セメント八戸工場専用線2015/08/07八戸線貨物支線(湊線)2015/08/07八戸市第二魚市場線2015/08/07日東化学工業八戸事業所専用線2015/08/07日本高周波鋼業八戸工場専用線2015/08/07青森県第一専用線旧線2015/08/08青森県第一専用線2015/08/08青森県第二専用線2015/08/08
「なんだこれは・・・」山武地方誌に目を引く写真が載っていた。ガッチガチに固められた長い掘割、そしてその真ん中に土被りがほとんどない隧道がある。どういうことなんだ。道路でも鉄路でも異様としか思えないその大掘割と隧道は、かつて外房線の土気駅から大網駅の間にあったもので”土気トンネル”といい、いまは現在は埋め立てられているという。こんな不思議な景色が存在していたとは。痕跡でもなんでもいいから見たいと思い、ある日の休日、夜明けとともに土気に向かった。土気駅は外房線の中では1番標
探索日2017/05/06、10/081893年(明治26年)に開業したアプト式時代の線粘着式の新線開業と引き換えに1963年9月30日廃止軽井沢から横川にむかって歩くそうすれば下り坂で楽やからな軽井沢~熊ノ平の旧線は、大半の区間で新線下り線に流用新線下り線16号トンネル軽井沢方口脇に残る旧トンネル坑門はしっこは新トンネルに食われている新線下り線11号トンネル軽井沢方口にオリジナルトンネルのレンガ坑門新線には落石覆い接続している封鎖された碓氷第18ト
北陸本線旧線(市振~親不知)【2003】2003/03/22信越本線旧関山駅2007/03/19北陸本線旧線(直江津~谷浜)2007/03/19信越本線旧線(米山~笠島)2007/03/19北陸本線旧線(谷浜~有間川)2007/03/20北陸本線旧線(名立~筒石)2007/03/20北陸本線旧線(能生~浦本)2007/03/20北陸本線旧線(市振~親不知)【2007】2007/06/02信越本線旧線(笠島~青海川)【2007】2007/06/03信越本線旧線(青
探索日2017/03/19榊原温泉口駅~垣内信号場の区間切り替えは1973年12月18日の複線化時榊原温泉口~垣内信号場間は先行複線化されたため、新旧線を結ぶ仮設連絡線が存在するこの先が榊原温泉口駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる旧線は笹林の右へ続く手入れされている旧線跡信号機の土台廃線跡には鉄塔が立ち並ぶ梶ヶ広トンネル東口1930年(昭和5年)開業なのでレンガではないと思う
2010年8月8日、第一次宮城県探索。この日のネタで記事にしているのは、北浜隧道、井戸尻架道橋、サン・ファントンネル、女川橋、雄勝隧道、新竹の迫橋。本日ご紹介するのは、時系列では井戸尻架道橋とサン・ファントンネルの間、この日唯一の…いや、結果的にわたくしが宮城県で出会った中で唯一のアレ。…なんだが、わかるかな?答えは、これ。「煉瓦隧道」であります。現在地コチラ。地図をよく見ていただくと、ピンとくる方もおられるかも?実はこの隧道の
探索日2008/10/06曲線改良のための線路移設新線には新玉手山トンネルが掘られ、旧線の玉手山トンネルは放棄される切り替えは1992年関屋駅方新旧線分岐点9020系電車が走っているとこが現在線左は新玉出山トンネル東口、右が旧線玉手山トンネル玉手山トンネル関屋駅方口上り線のレールは留置用か保線用として残されている坑口上を走るのは国道165号線国道上から旧線跡を見るこちらにむかってくるのが旧線トンネル内から大阪上本町駅方面を見るレールはまだ続いている玉
探索日2007/03/18切り替えは1973年5月25日の複線化時田立駅が西へ1.5km移転田立駅方新旧線分岐点現在線は島田トンネルに入り、旧線は山沿いを進む旧線跡は国道19号線になっている国道の橋の下に旧線の石積み橋台が残っている国道トンネル口に保存されている旧線の石積みと314キロポスト新賤母トンネルは旧国鉄地蔵山トンネルを拡幅して完成させました。旧トンネルは明治42年に完成しました。此の石積は旧トンネル内の壁面に施工されていたものです。
探索日2014/08/11佐久間ダム建設にともなう線路移設切り替えは1955年11月11日白神駅は旧線とともに廃止されている奥は大嵐トンネルトンネル口付近が大嵐駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる右は現在の大嵐駅駅は新線切り替え時に若干移動している旧線はスバルフォレスターの右へのびていく左は現在線大原トンネルこのへんに旧大嵐駅があった左にホーム跡が残ってたらしいけど見落としたわ中部天龍大嵐間付替線完成記念哀悼新線建設工事でこれだ
今回は東京モノレール整備場前駅から出発。羽田空港拡張前の旧羽田空港駅までの旧線跡を辿ります。駅前には、詰所跡があります。拡張前は、文字通り海側には整備場や格納庫があったため、ここから先は保安区域のため、入退場のチェックポイントだったと思われます。整備場前駅から天空橋駅までの高架線。高架柱が手前2本と奥の方の意匠が異なります。もしかすると奥の方は開業時のもので、手前は新線のときに作られたものかもしれません。ここにT字路があります。ただ左折路は信号に関係なく曲がれるようになっています。さして交
探索日2017/05/02前回は坑口確認だけやった米山第八トンネルに侵入する切り替えは1969年7月25日の複線化時『信越本線旧線(青海川~鯨波)【2007】』探索日2007/06/03切り替えは1969年7月25日の複線化時米山第八トンネルは放棄、青海川トンネルが設置された青海川駅を俯瞰砂浜沿いを進んでいく旧…ameblo.jp※米山第八トンネル東口は埋められて現存しない(たぶん)青海川駅砂浜沿いを進む旧線の跡が見える左が旧線米山第八トンネル右は
探索日2007/06/04切り替えは1982年9月23日複線化を前提にした移設やけど、現行線もいまだ単線砂利道が廃線跡むこうにトンネルが見える485系電車特急いなほが走る現在線は大崎山トンネルに入る枕木が残っていた旧大崎山トンネル南口このトンネルを抜けると岬峠トンネルに入る岬峠トンネル北口間ノ内川河口に架かっていた橋りょう跡卵型アーチ橋が残る砂利道となって続く旧線跡むこうに三つのトンネルが見える左から羽越線旧線の旧間ノ内トンネル、旧国道の間ノ内トンネル、国
探索日2011/10/09切り替えは1969年9月29日の複線化時(電化は同年10月1日)筒石/能生駅が新線上に移転久比岐自転車歩行者道となった廃線跡レンガ積み橋台が残る糸魚川方の橋台北陸本線旧筒石駅跡地1969年10月1日廃止新旧駅は2kmほど離れているしかも新駅に至るには坂道を上らなければならない新線切り替えは、沿線利用者に大きな負担を強いることになる左下に記念碑ここに旧筒石駅があった頚城トンネル大藤崎斜坑入口斜坑に入れんのか?濁澄川
探索日2017/05/02切り替えは1967年6月19日の複線化時米山第六トンネル踏破すべく再訪『信越本線旧線(笠島~青海川)【2007】』探索日2007/06/03切り替えは1967年6月19日の複線化時米山第六トンネルは放棄、第一、第二笠島トンネルが設置された笠島駅中ほどが新旧線分岐…ameblo.jp笠島駅待合所の位置が西側新旧線分岐点旧線は右へ分かれていく防波堤手前を旧線は走っていた当時はすぐそこが海やった現在線第一笠島トンネルにE
今回は、中央本線の勝沼ぶどう郷駅(山梨県甲州市)付近に存在する旧線跡で、初心者でも手軽に辿れる遊歩道『大日影トンネル遊歩道』について簡単にレポートします。Wikipediaによると、大日影トンネル(全長1,367.80m)は1903年に中央本線の単線トンネルとして使用が開始され、昭和初期に電化されました。昭和40年代には複線化のため、東側に上り線用の新大日影トンネルが完成し、大日影トンネルは下り線用になりました。そして平成に入ると線形改良等のため、下り線用の新大日影第2トンネルを掘削して
探索日2014/04/19切り替えは1989年の複線化時この先が亀岡駅方新旧線分岐点旧線はこっちへ直進してくる柵の立っているとこが旧線の路盤跡西川に架かっていた橋りょうの橋台左は現在線西川橋りょう現在線を221系電車が通過奥へ続く旧線跡旧線はこのへんを通過痕跡はまったくないここに旧馬堀駅があった旧線は交差点の位置を左右に走る奥に見えるのが現在の馬堀駅右はローソン亀岡馬堀駅前店道路がほぼ廃線跡旧線は画像右