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探索日2017/12/29切り替えは1974年6月1日※新百合ヶ丘駅/多摩線新百合ヶ丘~小田急永山は新旧線切り替えと同時に開業写真右端付近が柿生駅方新旧線分岐点手前の線路が旧線の跡、1000形電車の走っているとこが現在線旧線のレールは切り替え後、いったん撤去されている現在の軌道は保線用に新たに敷かれたもの左端レールの位置が旧線跡上で書いたように、軌道は当時のものではない2000形電車の走っているとこが現在線奥の高架橋は多摩線柵のむこう沿いが廃線跡
探索日2017/11/05電化にともなう線路移設児野トンネルが新トンネルへ移行する切り替えは1986年5月(電化開業は1986年10月29日)ここは2013年にも来ているけど、トンネル踏破できなかったので再訪した右奥は児野トンネル上川口駅方口旧線は現行線手前を走っていたここが旧線跡現行トンネルは322m、旧トンネルは245m橋梁跡旧線は現行トンネル右を進む旧児野トンネル上川口駅方口廃線跡には似つかわしくないタイプの樹木
探索日2017/11/05電化にともなう線路移設多田山トンネルが新トンネルへ移行した切り替えは1983年11月30日(電化開業は1986年11月1日)あのカーブしてるとこが黒井駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくるガーダー橋跡左は現行線多田山トンネル黒井駅方口旧線は写真中央付近へ進む旧多田山トンネル黒井駅方口アーチ部分はふたをされているオリジナルはレンガ/石積みやったはず坑門前から黒井駅方面を見るモルタルが吹き付
探索日2017/11/05電化にともなう線路移設阿草トンネルが新トンネルへ移行した切り替えは1984年9月(電化開業は1986年11月1日)この先が下滝駅方新旧線分岐点旧線はこのへんにのびてくる旧線跡は川代公園キャンプ場に取り込まれた阿草川に架かっていた橋梁の西岸橋台上部はカットされている東岸の橋台も健在写真中央に橋梁跡左右に流れるのは篠山川奥に流れるのが阿草川東岸橋台上から下滝駅方面を見る橋梁
探索日2017/10/09烏川橋りょう架け替えにともなう線路移設烏川には現在までに四本の橋が架けられたそのうち初代/二代目橋梁は廃止、三代目/四代目が現行上り/下り橋梁となっている➁では二代目線跡を調査二代目線の開業は1910年(明治43年)、廃止は1972年E231系電車の走っているとこは現行上り線(三代目線)右を二代目線が並走していた線路は現行上り線その左沿いが旧下り(二代目線)跡ここが二代目線跡橋梁跡色の異なるレンガを組わせてい
探索日2017/10/09烏川橋りょう架け替えにともなう線路移設烏川には現在までに四本の橋が架けられたそのうち初代/二代目橋梁は廃止、三代目/四代目が現行上り/下り橋梁となっている①では初代線跡を調査初代線の開業は1884年(明治17年)、廃止は1910年(明治43年)倉賀野駅方新旧線分岐点初代線は右へ分かれていく痕跡はまったくない烏川北の初代線跡は一部道路になっている烏川南に残る初代線の痕跡倉庫の位置および手前のスペースが廃線跡廃止後100
どうしてこういう場所にはこういう吹き抜けがあるんだろう・・・黒部峡谷鉄道の新山彦橋そして今あたしが立っている場所が山彦橋黒部峡谷鉄道旧線となります橋を渡ると・・・トンネル昭和56年まで使われていた旧線です宇奈月ダム建設に伴い路線が新線に切り替わりました旧線跡はここまでこの先は宇奈月ダム建設により跡形が無くなっています折り返し便そして撮り鉄場所を変えて山彦展望台つぼやさんで買った温泉まんじゅうくろワンきっ
探索日2017/08/15地下化にともなう線路移設切り替えは2000年3月11日ちなみに、仙石線の前身宮城電気鉄道の仙台駅は地下にあったつまり、再び地下にもぐったということ東北本線貨物支線(宮城野貨物線)との交差地点旧線はここを走っていた現在線はこの真下現在線はここで半地下から地下に入る撮影地点が旧線跡線路橋の位置から見て、新旧線は平面的には同位置にある道路を横断し奥へ続くドーム屋根建物の場所が旧陸前原ノ町駅跡現行駅はあの真下旧陸前原
2014年5月24日、北陸OFF1日目に訪れた鉄道橋梁をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、ここの前に訪ねた向井野橋梁と夕刻のこれ。今回の記事にも関連するので、予め上記リンクから向井野橋梁の記事には目を通していただいた方がわかりやすいかと。まずはこれ。現在地はこのへん。国道8号からもこんな感じでチラ見えするが、走りながらだと大抵見逃すと思う(笑)。はい、こちらが今宵のお題。煉瓦四層巻きの鉄道橋梁!先の地図を見て気づかれるかどうかアレだが、
探索日2017/08/15切り替えは1981年11月1日の高架/複線化時※東塩釜、本塩釜駅が新線上に移転この先が陸前浜田駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる新線脇に続く路盤跡この奥でトンネルに入る新線にトンネルはない杉の入トンネル石巻駅方口中央倉庫の裏に杉の入トンネル仙台駅方口がある杉の入トンネル仙台駅方口扉があるけど施錠されている道路になった旧線跡左は現行東塩釜駅右奥へ続く道が旧線跡ここが廃線跡右の切り取りは鉄
大崩海岸を見に行った際に近くなのでちょっと寄った場所です。静岡県道416号…というより、地元民には旧国道150号って言う方が馴染みがあるのですが…そこから狭い道に入って行きまして…。東海自然歩道バイパスコースになっているみたいです。そこにこんな看板が設置されてました。ちなみに場所はここ、静岡県静岡市駿河区石部。GoogleMapに「東海道本線旧線(石部地区)」と書かれているのをつい先日見つけて来てみたのです。この辺りがその名残なんでしょうか?植物パワーでよくわかりま
何度のこの場所は通っていましたが、インターネットが普及するまではこれが池袋線の旧線跡とは知りませんでした。大人になってからも何度か通りましたが、撮れていませんでした。今回、とあるイベントに行くため、途中でこの場所を通るので車内から撮影しました。それがこちらです。考えて見えると、子供のころから見た目があまり変わっていないように見えるので、補修でもされているのでしょうか・・・
探索日2017/08/14旧松島駅を経由する、通称「山線」区間岩切~利府間を残し、1962年に廃止された1944年に開業した新線は「海線」と呼ばれる道路が旧線跡田中川を渡るレンガ橋台は鉄道時代のままガーダーもそうか仙台松島道路をくぐる田中川を渡るレンガ橋台は昔のまま橋桁は道路化の際に架けられたもの連続して田中川を渡るこっちはガーダーも残っている三陸自動車道沿いを進むここに赤沼信
探索日2017/08/14旧松島駅を経由する、通称「山線」区間岩切~利府間を残し、1962年に廃止された1944年に開業した新線は「海線」と呼ばれる左へカーブしてるとこが品井沼駅方新旧線分岐点旧線は右へ分かれていく旧線跡は道路になったこのへんで新線と交差、むこう側へ移る道路が旧線跡現在線をHB-E210系気動車が走る新線と並走根廻トンネル北口日本鉄道が1890年(明治23年)に開通させた品井沼駅方面を見る
探索日2017/08/13切り替えは1983年下り大沢田トンネルが新トンネルへ移行上り線は1957年の複線化時に追加現行上り線のむこう側を旧下り線が走っていた新下り線はさらにむこうを走っている写真左端付近が有壁駅方新旧線分岐点上り線のむこう沿いが旧下り線跡右は上り大沢田トンネル南口むこうに旧下りトンネルがあるあそこからアクセスするしかない旧下り大沢田トンネル南口坑口前から有壁駅方面を見る開通は1924年(大正13年)大
探索日2017/08/13日本鉄道が1890年(明治23年)に開通させた区間勾配緩和のため、大沢田トンネル経由の新線に移行切り替えは1924年(大正13年)10月16日現在この駅間にある有壁/清水原駅は切り替え後の開業なので、ここではないものとする上記の大沢田トンネルは1983年に廃止このむこうに有壁トンネル南口がある坑口前の切通しは池になっており、接近できんあの黒いとこはトンネル口か?旧線の切通しにはホテイアオイが群生脇からトンネルに近づこうと考え
探索日2017/08/13日本鉄道が1890年(明治23年)に開通させた区間勾配緩和のため、大沢田トンネル経由の新線に移行切り替えは1924年(大正13年)10月16日現在この駅間にある有壁/清水原駅は切り替え後の開業なので、ここではないものとする上記の大沢田トンネルは1983年廃止この先が一ノ関駅方新旧線分岐点旧線はこのへんにのびてくる砂利道および草むらが旧線跡赤屋根住宅の並びが廃線跡道路も旧線路用地か旧線はここを走っていた住宅の列
探索日2017/08/13切り替えは1966年3月21日の複線化時新線には鵜ノ木トンネルが掘られた現行線白鳥川橋りょう?奥に旧橋梁の橋台が見える一見コンクリート橋やけど中はレンガ橋脚の基礎も残っているこれもオリジナルはレンガか自然石やと思う南岸の橋台これも中はレンガのはず旧線は現在線と隣接して並走現在線右が旧線跡旧線はここから奥へ直進していた新線はカーブの先で鵜ノ木トンネルに入る奥へ続く道路の左沿い
探索日2017/08/121978~1986年に存在した北上操車場操車場敷設にともない、下り線が操車場西端に移動している操車場廃止後、移設された下り線は廃止、上下線並走にもどった北上駅方新旧線分岐点旧線は右へ分かれていく高架橋は東北新幹線斜面沿いが旧下り線跡架道橋上ここを旧下り線が走っていた段差上が旧線跡水路左沿いが旧下り線跡タイヤ置いてるとこが廃線跡ガードレール左沿いが旧下り線跡更地が北上操車場跡旧下り線はこの
ご無沙汰しております広島ネタも終わりまして、地元関東地方のネタをいきたいと思います先日用事がありまして、武蔵小山という所に行きまして、あれ、たしかここ昔地上線だったよなぁと思い出しました。歩いていると、不自然な駐輪場がどうにも、昔、鉄道用地じゃない?って感じの、縦長の空間。更に、この駐輪場の脇を歩くとあっ、やっぱり駐輪場の先に緑道公園が整備されていました多分、地上線当時、踏切があったんだろうなぁと思わせる場所。不動前駅から、武蔵小山駅に向かって、上り坂だったよなぁと思い出させる
いよいよこの旅もクライマックスを迎え、名古屋から特急「ひのとり」で大阪へ向かいます。しかもプレミアム車両の最前列で。近鉄名古屋を13時ちょうどに出発し、名古屋線を快調に走ります。近鉄八田を通過。左には先ほど乗ったJR関西本線に快速「みえ」が。富吉を通過するとき、右手の富吉車庫にクラブツーリズムの「かぎろひ」がいました。木曽川を渡ります。桑名を通過。なんでこんなところに東急が!?養老鉄道は元近鉄600系の置き換えとして、東急7000系を投
探索日2017/08/12切り替えは1967年9月15日複線化日は、滝沢~渋民が1967年9月29日、厨川~滝沢が1968年4月25日となっているまず単線で新線開業、順次複線化していったということか巣子駅は2006年の開業なので、ここでは無視する滝沢駅は新線上に移転写真中央付近が厨川駅方新旧線分岐点旧線は右の民家の位置へのびていく道路が廃線跡建物の並びが旧線跡道が旧線跡この先は林に突っ込んでおり追跡できない盛り土上が旧線跡掘
探索日2017/08/11切り替えは1968年7月12日の複線化時北側新旧線分岐点付近の急曲線緩和が線路移設の目的と思われるこの先が小鳥谷駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる奥へ続く未舗装路が旧線の跡道が廃線跡道路が廃線跡鉄道時代の築堤が残る道路がほぼ廃線跡左奥へ続く道路が旧線跡この先が一戸駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる
探索日2017/08/11切り替えは1967年12月14日の複線化時目時駅は新線上に移転金田一駅は現在の金田一温泉駅カーブしてるとこが金田一駅方新旧線分岐点旧線は写真右下へ続く左の上り線は線増された線、右の下り線がオリジナル線左の砂利道が旧線跡右は現在線金田一トンネル南口廃線跡の道旧線はここを走っていた国道4号線沿いが旧線跡段差上が廃線跡廃線跡上に来てみた鉄道時代の擁壁ここが旧線跡か?駐車スペースが廃線跡
ようこそ、いらっしゃいました!前回の続きです。朝日おおさか南北ウォーク能勢電鉄妙見線延伸100周年記念ハイキングも佳境に差し掛かります。兵庫県川西市から大阪府豊能町へここからはひたすら下ります。光風台駅初谷川渓谷に作られた、能勢電鉄妙見線で一番新しい駅です。木々に覆われた、駅の対岸には旧線跡がありますが、40年以上の歳月が経った今では、確認する事も出来ませんね。見下ろしていた列車が目線と同じ位置になって来ました。一輪だけ残った桜🌸とマルーンの列車ティラミスとマルーンが交互
さて、下牧(しももく)信号場と、その前後の単線時代の旧線探索レポートの続きです。→前編の続きですので、よろしければ先にそちらをご覧下さい。https://ameblo.jp/pon-chape/entry-12797449428.html『スイッチバック式の信号場、上越線下牧信号場跡を訪ねて【前編】』今回は現地調査です。写真がメインとなりますが、掲載枚数が多いので、前後編に分けてご紹介します。有名どころですので、諸先輩方の秀逸なレポートや写真がインターネッ…ameblo.jp大雑把な手
ようこそ、いらっしゃいました!4月1日(土)里山風景を彩るエドヒガン桜とミツマタを満喫して帰路に就きます。燦燦と降り注ぐ太陽光を浴びて里山列車が行く!里山からの列車は能勢口まで行かないので…旧線跡を歩いて清和源氏ゆかりの頼光寺へ紫陽花寺として有名な曹洞宗の寺院です。表参道に桜の花びらが整列していました。枝垂れ桜🌸桜の季節に訪れるのは初めてですね。のせでんとユキヤナギ里山の桜も桜吹雪になりつつありましたが…グッドタイミングだったかと思います。いつもありがとうございます!
今回は現地調査です。写真がメインとなりますが、掲載枚数が多いので、前後編に分けてご紹介します。有名どころですので、諸先輩方の秀逸なレポートや写真がインターネット上で多数見られますが、私も現地に足を運び往時の賑わいに思いを馳せてみたくなり、僭越ながらその際に撮影した写真をお目にかけたいと存じます。何卒、お手柔らかにご高覧頂けますと幸甚です。さて、上越線は、それまで碓氷峠越えという輸送の大きなボトルネックを擁する信越本線に頼っていた首都圏と日本海側との連絡路に代わって、より短距離で、より大き
探索日2017/05/07切り替えは1924年(大正13年)12月25日の改軌・電化時上野鉄道時代に掘られたトンネルを放棄、川側に移設新線にトンネルはない第一号隧道北口昔は現在線の位置は山すそで、トンネル前は切通しだったと思われる坑口前より千平駅方面を見る閉塞北口方面を見る第一号隧道南口雑木・雑草に覆われ坑門はほとんど見えないレンガ坑門が見える雑木をかきわけて接近坑門前は半分埋
探索日2017/05/07切り替えは1924年(大正13年)12月25日の改軌・電化時現在線が右へカーブしているとこが千平駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる旧線はここを走っていた左は現在線けもの道のようになっている廃線跡762mm軌間の軽便鉄道なので用地幅が狭い左へ曲がっていく旧線跡千平駅方面を見る右は現在線橋梁鬼ヶ沢鉄橋旧上野鉄道鬼ヶ沢鉄橋富岡市指定重要文化財に指定されている上野鉄道は上信電鉄の前身下仁田町指定