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私の祖父は93才で亡くなったのですが、祖父が生きていた時に、祖父から聞かされた話しがあります日中戦争で軍曹として戦地で戦っていた時の話しです激戦地となった島で戦っていました島の名前は聞いたのですが、忘れてしまった食べ物の無く、水は池の水や水溜りの水を飲んでいたそうですある夜、その日の夜を過ごす為の基地に到着したのですが、味方の姿が無く、きっと他の基地に移動したのだろうと思っていたらしいです夜で灯りをつけると敵に見付かる可能性もあるので、真っ暗な闇夜の中、近くの池の水を飲みに行ったので
これを買ったんですが、再びセールのページを開いて見ていたところ・・・Amazon.co.jp:Kindle本(電子書籍)499円セールKindle本(電子書籍)499円セールストアの優れたセレクションからオンラインショッピング。www.amazon.co.jp3月20日まで。講談社学術文庫の1冊が!満鉄調査部(講談社学術文庫)Amazon(アマゾン)満鉄(まんてつ)とは「南満州鉄道」のことですね。満州国にあった鉄道会
「父のこと16戦争と武者小路実篤」父は、中国で手榴弾により両足を損傷し、生死の境を彷徨ったことがあります。その時の話です。↓父のこと16戦争と武者小路実篤|向後善之実家の本棚に武者小路実篤の本が何冊かありました。その中に、「愛と死」武者小路実篤著という本がありました。その「愛と死」という題名に、小学生ですでにひねくれていた僕は、「どうせ、お涙頂戴の恋愛小説なんだろう?多分母の蔵書だな」と思って、読もうともしませんでした。しかし、中学生の頃だったか、「お父さんは、武者小路実
日本刀にはいろんな刃文があります。大別すると直刃と乱刃にわけられます。実用的にはどのような刃文が良いのか?過去に何度か書いたのですが、改めて現在の考えを書いておきたいと思います。昭和の軍刀刀匠の柴田果は乱刃でないとダメだと書いています。金属片などの硬いものに打ち付けた場合、何度やっても直刃の方が刃の欠損が大きくて乱刃の方が刃の欠けが小さい。だから軍刀は乱刃でないとダメだ、という意味の事を書いています。しかし、日中戦争に従軍した軍刀修理班の成瀬関次は中直刃が
日本の音楽界を代表するミュージシャンである桑田佳祐(サザンオールスターズ)と長渕剛は、1978(昭和53)年のデビュー以来、共に、それぞれ独自の音楽を追求しながら、着実に実績を積み重ねて来た。しかし、これまで述べて来た通り、「1983ナゴヤ事変」をキッカケとして、両者の関係は悪化の一途を辿った。そして、1994(平成6)年、桑田佳祐と長渕剛が、遂に全面衝突するに至った。大物アーティスト同士の「全面戦争」に、メディアは騒然となり、世間でも話題沸騰となったが、今回は、1994(平成
「現代刀はもろい」「現代刀は折れる・折れやすい」よく聞く言葉です。短刀を落としたら刃がパリンと割れてしまったとか、電気スタンドに当あたった時に刃が欠けてしまったとか、真偽不明ではありますが見かける話です。他にもこういう実例を挙げてくれている人もいます。『刃こぼれする現代刀』所持している現代刀で直径2㎝の青竹を斬っただけで刃こぼれしたものがあるけど、写真の様にビスケットみたく欠けた。新刀や古刀だと直径6㎝だろうが10㎝だろうが刀が…ameblo.jp>RT初めて買っ
ボクのブログに「いいね」を付けてくださった方がいらっしゃいまして、その方のブログを拝読させていただきましたら、ボクの興味を引く記事がありましたので謹んでリブログさせていただきます。X(旧Twitter)のコピペが二枚掲載されてまして、まぁ、一枚目はともかくとして、二枚目はなかなか考えさせられるというか、ある種のメッセージ性を付帯するツイートです。戦争を語るのが、戦争がいかに悲惨なものであるかを語るのが、語り部さんの役目でありますから、ネタ元である戦争が起きなければ語るべきことはなくな
本多勝一(ほんだ・かついち)昭和七年(1932年)一月二十八日長野県下伊那郡大島村に誕生。千葉大学・京都大学を経て、昭和三十四年(1959年)朝日新聞に入社、昭和四十三年(1968年)編集委員。昭和四十七年(1972年)朝日新聞社より南京大虐殺を中国において調査・研究した書『中国の旅』を発表しました。昭和十二年(1937年)十二月十三日、昭和天皇裕仁が統治していた大日本帝国の軍隊は、中華民国を侵略し南京に侵入・攻撃し、中華民国市民を虐殺しました
はじめにこんにちは今回は愛新覚羅溥儀について書きたいと思っています。めっちゃ長いので、目次を先に書いておきます。よかったら興味のあるとこだけでもどうぞ自伝と映画を比較して難しく考察したりはしません。(ていうかそんな難易度の高いこと出来ません)ただただ書きたいことを書いています。本当にただ書きたいことを書いていますそして途中箸休めに”オトナ”の話題を挟みますのでご了承ください目次・映画『ラストエンペラー』の概要と、それを観たかった理由・李香蘭について・満州について・愛新覚羅溥儀と
第2次上海事変間の、歩兵第22連隊(=永津部隊)の戦没者です。記事作成時点:47名/177名2024年9月20日時点:67名/177名1937年10月1日(12名)=陸軍歩兵伍長井川政夫=陸軍歩兵伍長三好四郎=陸軍歩兵伍長相原七郎陸軍歩兵上等兵阿部辰一陸軍歩兵伍長近藤好道陸軍歩兵伍長山下多重郎陸軍歩兵伍長岡部顯陸軍歩兵伍長石川薫陸軍歩兵上等兵藤永数好陸軍歩兵上等兵石井数男陸軍歩兵上等兵秋山義幸陸軍輜重兵一等兵渋