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このシリーズについての説明は、(1)を参照されたし。・・・・・・方丈記冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」までは知っていたものの、それに続く「よどみに浮かぶうたかたは」のうたかた、泡沫と書くと知って驚愕した。ほうまつとしか読んでいなかった。泡沫といえば人魚姫。最初にこの話を知ったのは、いわさきちひろの絵だったためそのイメージもあってか、原色ばかりのディズニー版アリエルは苦手だったりする。私にとっていずれ消える儚いものは、水彩絵の具でやわらかに描くか、繊細なペ
平安時代中期の「枕草子」(清少納言)、鎌倉時代後期の「徒然草」(吉田兼好)と共に日本三大随筆にあげられているのが「方丈記」。方丈記は、鎌倉時代初めに鴨長明が今の伏見区日野の山中の庵(いおり)にこもり執筆し、今から800年程前の1212年(延暦2年)に完成したとされる。この方丈庵は下鴨神社の摂社・河合神社に復元されているが、かねてから気にかけていた方丈庵の跡を求め日野の山中に入った。□方丈庵跡へのコース当日午前中の明智光秀の胴塚と小栗栖の明智薮のウォークを終え、地下鉄東西線の石田駅前のファ
フランスの画家・ゴーギャンの作品に『我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか』というのがある。この作品は南太平洋の島タヒチで描かれたもの。これは、その絵画の一部となる。本来は、6メートルx2メートルといった横に長い作品だが、その中には、蛇・赤ん坊・花・頭を下げた謎めいた人物などが描かれている。彼は、生まれからして波瀾の人生を歩む。親に連れられペルーに行く航海中にが父親が亡くなりフランスに帰ったのは7歳のこと。さまざまな職に就くが、画家を目指し、海外など変転の
こんにちは。声と話し方で人生を変えるトレーナーむくもと友ゆうこです。「声が暗い」と言われます。これは、先日受講者さんから伺ったお悩みです。他にもたくさんの方から、このお悩みを聞きます。つまりは「明るい声になりたい」ということです。明るい声を出すためにはどうしたらよいのか?暗い声の原因はいくつもありますが、1、口の開きが小さいこと。2、音の高低差がないこと。この二つが一番の原因です。以前にも書いていますが、日本語の発音は母音が中心であり、口の形が最も重
今練習中の曲です実はこの「よもすがら」の歌詞はいずれも「方丈記」ではなく「新古今和歌集」の歌です。「夜もすがら独りみ山のまきの葉にくもるもすめる有明の月」一晩中独り起きていて奥山の針葉樹(槇の木)の葉に遮られた月を眺めていた。今、暁になり曇りも払われて澄んで見える有明の月が空にかかっている「あれば厭うそむけば慕う数ならぬ身と心とのなかぞゆかしき」生きていればこそのことを厭い現世を背こうとすれば慕わずにはいられない、数にも入らないようなわが身をそれを厭うたり、慕ったりする心と二
今回は射手座から始まる満月ですもうちょっとでボイドタイムなので仕事帰りに願い事を独り言普段頑張っているところを自分で過剰なまでに褒めてあげると良いらしいです毎日ピアノ練習してて偉いよ私って…当たり前なんだけどな週末の本番も楽しみにおさらい今日のタロットはスターの逆位置でした仕事の合間に鴨長明の方丈記を2日で完読普通に面白い川の流れのところは美空ひばりだし、知性と情との世渡りは夏目漱石の草枕を思い出した天災も疫病もずっと繰り返してるんですねなにはともあれみんなの願
エネルギッシュ・ジャパンであった頃、グランドキャバレーと呼ばれる社交場がありました。札幌すすきのキャバレーミカドもその一つ。中央にステージ、客席400、ホステス600人という、札幌経済を支える紳士の一大社交場。器の大きさもさることながら、総勢600人のホステスさん出勤風景は如何なものだったのか。すすきのというよりも中島公園に近く、もともとは、1971年12月に開場した中島スワローボールというボーリング場が、早々と1974年にはキャバレーミカドとなって花開き、惜しまれなが
さわやかな空気暑くなると思っていたら昼過ぎから日差しが強くなるくらいで案外過ごしやすい一日だったゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらん。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。方丈記覚えていたものと微妙に違う検索してみると、「川」は「河」、「あらん。」は「あらず。」大体の意味が分かればいいかゆめうつつ現実を見よう現実を受け入れよう現代語訳方丈記(岩波現代文庫)Amazon(アマゾン)