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対鴎台公園に来ています。三条実美の別荘だった対鴎荘は、橋場(台東区)からこの地に移築されました。料亭として賑わっていたようですが、1988年(昭和63年)に取り壊されてしまいました。元は関戸駅だった聖蹟桜ヶ丘駅は、明治天皇の行幸(兎狩や鮎漁)に合わせて名を変えています。叢に建つ馬頭観音と庚申塔。三差路の分岐点にあるので、昔からこの場所にあったと思われます。公園から西へ向かい、向ノ丘橋を渡って乞田川を越えます。大栗川沿いを歩いて、鎌倉街道と交差した
え~みなさん、こんにちは。本ブログはいきなり移転→開始しましたので、ここで改めて自己紹介です。歴史作家の智本光隆(ちもとみつたか)と申します。2008年に新田義顕(新田義貞の息子)を主人公とした、『風花』(未発売)で「第14回歴史群像大賞優秀賞」を受賞し、2010年1月に大谷吉勝(大谷吉継の息子)を主人公にした、『関ヶ原群雄伝ー大谷吉勝の決意』でデビューしました。以後、『関ヶ原群雄伝シリーズ』(全3巻)大谷吉勝2010年『本能寺将星録シリーズ』(全2巻)細川
文化財てんこ盛りの狭山不動尊。そのお隣には、山口観音があります。正式名称、吾庵山金乗院放光寺(通称・山口観音)ご本尊、千手観音(行基作)の真言宗豊山派の寺院です。弘仁年間(810~824)、僧・行基が観音堂を創建。のちに弘法大師・空海が金乗院として開基。1333年(元弘3年)には、新田義貞が鎌倉攻めの際に戦勝祈願をしたといわれています。のちに義貞が奉納した白馬を模した馬が霊馬堂から睨みをきかせていました。「目が怖い~」本堂
新田義貞への哀惜は、今も昔も変わらない。その無念さを晴らすがごとく各地に史跡・墓所が。常陸・龍ヶ崎の金龍寺義貞墓所へ。昨年、群馬県太田市の金山城山麓に金龍寺を訪ねた。金山城主だった横瀬氏(後に由良氏)が、1417年先祖新田義貞供養のため開基した。横瀬氏は、越前・称念寺の義貞墓▼から分骨して金龍寺を開基したという。称念寺は義貞戦死地の灯明寺畷近くにて、壮大な墓所が営まれている。強い義貞への思いから、横瀬氏は越前から墓を上野の金龍寺に遷して開基した。横瀬氏の祖は、義貞の三男、