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おはようございますはい、タイトルですが大げさに書いております。地獄とまではいはないけれど、かなり衝撃を受けたのは事実それはムスコの定期健診で(NICU入院してた時からの主治医に)いきなり言われた。※ムスコ出産時の話はこちら♬いつも通り発達具合の聞き取りが終わった後で、「一度療育センターで診てもらいましょうか紹介状書きますんで。まず電話して初診予約取って下さい。」ん??ん??療育センター?
いつもお読み頂きありがとうございます約1年前の出産の記録を書いています。娘の心臓の手術が決まり、自分も子宮内感染の炎症反応が治まらず、再開腹の可能性を告げられ、ビビりまくり、泣きまくっていた私ですが・・・前回のお話はこちら↓『帝王切開後に再開腹???』いつもお読み頂きありがとうございます約1年前の出産の様子を振り返って書いています。アメトピ掲載、多くの人に読んでいただきありがとうございます赤ちゃんの未…ameblo.jp娘の動脈管開存症の手術には、違う
おはようございます今日はムスコが生まれた日について書いてみますね。ムスコが私たち夫婦のところにやってきてくれたのは今から3年以上前。妊娠生活はつわりもほとんどなく問題もほとんどなく営業の仕事をしていた私は変わらず数字に追われながらも楽しく働き、過ごすことが出来ました。問題と言えば、寝てるとき足が攣ること仕事中1度だけ気持ち悪くなったこと(吐いたりは結局1度もなかった)そのくらいでとっても平和
前回の内容と少し重複しますが…H28年10月25日仕事のお昼休みに入ったところで息子から赤ちゃんが救急車の中で生まれちゃったと連絡が入りました。詳しいことは何もわからないわかり次第連絡すると言って息子はまずお嫁ちゃんの病院に向かいました。そこである程度話を聞いて、今度は赤ちゃんの運ばれた埼玉県立小児医療センターへ息子からはうちの赤ちゃん息してないってでもなんとか大丈夫らしいから赤ちゃんにあったらまた連絡するね、と。泣いてるのかなって思うような声で電話がきました。その夜、息子
来週月曜日にギブスを外すことになりました。食事も80%〜100%取れているみたいで、顔色も良くなりました。術部の痛みもなさそうなので、痛くて泣くこともないようです。でも、いつものいっくんの笑顔は見れません。元気もありません。「あっあー」とか「あー」とか、あんなに上手にできていたお話も聞けません。まるで、心を閉ざしてしまったかのように。平日、30分間の面会が許されて私や主人が会いに行っても、「誰?」みたいなリアクション。帰り際、別れを惜しむように泣いてくれるのだけが少
平成19年春、我家に新しい家族が増えましただけど・・・ももは生まれるとき苦しくて新生児仮死で生まれました。肺からも出血して呼吸が苦しくて「低酸素性虚血性脳症」によるウエスト症候群や脳性麻痺という障がいを負ってしまいました今でもあの日の事はよく覚えています思い出すとまた辛い悲しい気持ちになるなのでなるべく考えないようにしているだって・・・・・・・・・・・。ももはここにいる!!もう少し遅かったら、ひょっとしたら今ももはここに、私のそばにいなかったかも知れま
可愛いたまる平成28年2月19日/39週3日2996㌘で世の中の仲間になりました♡そして、お腹の中では元気いっぱいでした。この前も書いたんだけど、羊水混濁で産声を上げられなくてR病院に搬送されたの。当日に聞いた病名(私はベッドの上で、救急車を追いかけて状況を確認した旦那さんが当日に聞いた診断結果)①新生児仮死②新生児感染症③呼吸障害④遷延性肺高血圧症最初はこれだけ。でもどんどん増えた。最初は2週間の入院予定だったのに…「何も問題なく無事に退院できるだろう」って言っても
いつもお読み頂きありがとうございますようやく帝王切開が終わり、病室に戻った私↓前回のお話はこちら『帝王切開の様子続き~切迫早産入院生活~』いつもお読み頂きありがとうございます帝王切開で何とか赤ちゃんを出産した私ですが前回のお話はこちら↓『いよいよ帝王切開産声は聞こえない~切迫早産入院…ameblo.jpもう20時頃。母親も心配しているだろうな~と思いながら、ストレッチャーで病室に到着すると、母親とおしゃべりをしている女医N先生
【2022年】8月25日(木)→胚盤胞5BB移植9月3日(土)→判定日(陽性)17日(土)→(6w0d)胎嚢自然排出18日(日)→(6w1d)胎盤(?)自然排出20日(火)→本来6w3dの診察日(流産確定)26日(月)→流産後の診察12月6日(火)→移植日決定12月13日(火)→移植予定日→娘コロナ発症により濃厚接触者の為キャンセル【2023年】1月10日(火)→移植日決定1月16日(月)→胚盤胞4CB移植1月26日(水)→判定日(陽性
今日の面会も次女はお昼寝中。…だったのですが呼吸器系専門の看護師さんがやってきて「お家に持って帰るタイプのやつが届いたから試してみようと思って!」とのこと。元々自発呼吸ができる子だったので、頭が良すぎる今の呼吸器だと自分の呼吸と機械の呼吸がぶつかってしまうから簡易的なものの方がいいかもとまずは1時間から。…の予定でしたが先生たちの予測に反して相性が良さげなのでとりあえず一日やってみようということになりました。呼吸器が簡易的になったので久しぶりに抱っこもできました!
36週、2600gで生まれた息子。ぎりぎり早産の週数ではあるけれど、もうほぼ正産期に近かったし、体重も十分ある。無事に生まれると思っていた。息子は重症新生児仮死だった。15分間の無呼吸。脳に障害が残る可能性は約10%と小児科の先生に言われた。10%の確率・・・こわい。一生がかかっていると思うと、10%はすごく怖かった。脳へのダメージを最小限におさえるため、新生児低温療法というのが行われた。72時間の間、33.5℃まで体温を下げる。(寒かったろうなぁ~・・・)とにかく
5月7日火曜日にGWの沖縄旅行から帰ってきたばかりでなんと!同じ週の土曜日にまたまた名古屋から福岡まで飛行機に乗ってお出かけしちゃいましたしかし、今回のお出かけは旅行ではなく治療のお話を聞きたくてハードスケジュールを強行してのお出かけですまだブログを開始したばかりで皆さんに一番シェアしたいことなかなかお伝えできていませんが今回の目的の『治療』や『重症心身障害児の子どもをもつ親としての考え方や意識の持ち方』についてこのブログを通してどんどんシェアしたいと思ってますこの『治療』
産後1か月めの頃毎朝、あれは夢じゃないんだ、、、ってぼんやり考えながらミルトンに浸けて除菌してた哺乳瓶の水気を切って搾乳の準備をしていた。産後2か月めも半分すぎて夢じゃないんだ、と思わなくなっていることにふと気づいた。こうしてひとつずつ、受けとめていくのかな。ね、なつみ。きみはここにいるんだもんね。髪ものびるし、爪ものびるし、うんちもおしっこもして、身体も大きくなっていく。あぁ、愛おしいよ。悲しいくらい。きみがすきだからこそあたりまえの未来を遠ざけてしまったこ
ご訪問ありがとうございます娘(6)→なーちゃん息子(4)→ちいくんの2児のママ、かしみやです。ちいくん、年少(3歳)の途中くらいから幼稚園で他のお友達がお箸を使っているのに触発されて「ちいくんもおはしつかいたい」と言い出したんです。一応箸セットのなかにお箸をいれておいたんですがしばらくはお箸つかうのが難しいのか、幼稚園の先生から「結局フォークとスプーンを使ってます」と言われていました。
産後1週間経った頃、面会に行くとMRIの検査結果について話したいと主治医の先生から言われた。同じ日に心理士さんにも挨拶されて何となく嫌な予感はしつつも気づかなかったことにした。その日は時間があわなくて翌日結果を聞きにくることに。翌日の木曜日、面談室に通された。昨日挨拶してくれた心理士さんと看護師さんも同席するとのことだった。結果は予想通りの「低酸素性虚血性脳症」だった。脳の写真に白い部分があるのはわかったけれど、それが何に影響するのかはわからない。次女の場合は重症に値する、そう言わ
こんにちは〜えあーです今回は、メインのお話とは違いますが番外編ということでいつも私のブログを読んでくださりありがとうございます書き始めた頃は、こんなに沢山の方に見てもらえると思ってなくて本当にビックリしています私のような経験をした人が少ないからこそもっと沢山の人に自分の経験を知って欲しい。流産や死産をし、辛い思いをしている人や私と同じ経験をした人にも見てもらいたい。そんな想いから、ブログを書き始めました。私自身、はじめ死産をした時は同じ境遇の方のブログやSNSに本
訪問の旅。いつものようになつみに会ってちょっと行ってくるねとあいさつして病院を出ました。駅に向かう道すがら、ざぁざぁ降る雨つぶがビニール傘をぼつぼつ、ぼつぼつ、たたきます。東京駅はいつも通りの混雑。東西南北、移動するひとたちでごった返していました。JR西日本とJR東日本の新幹線改札をいつもどおり間違えてきっぷを通して、ピンポーン。アアア。またやった。改札口間違えた。気を取り直して正しい改札口へ向かいました。
生後16日目にして2回目の抱っこコロナ禍の為週1回の15分ほどの面会貴重な時間でパパとママとキミの取り合い少しでも長く抱っこしたいし触れていたい長女とそっくりのお顔可愛いな〜愛おしいな〜パパとママの声は聞こえてますか?まだお腹の中と思ってるのかい?ほら目を開けてごらん?大きい声で泣かなくてもいいよ恥ずかしいならこっそりでもいいよママはいつもいつでもキミの目覚めを待ってるよ『初めての抱っこは生後13日目』キミを初めて抱っこ出来たのは生後13日目。嬉しくて嬉しくて涙が止ま
こんにちは!ほゆりです昨日の記事がなんとアメトピに掲載されました!まだ始めたばかりなのにアクセスが一気に増えてびっくり…!!恥ずかしい気持ちもありますがとっても嬉しいです!ありがとうございます↓昨日の記事はこちらです『【検査結果】染色体とMRIと聴力と』こんにちは!ほゆりです今日は、各検査の結果についてです。検査は、話を受けてから3週間くらいで結果を聞くことができました。まず、染色体検査。検査は、各染色体の個…ameblo.jpさて、そよちゃんが診断された低酸素性虚血性脳
今日は午前中に耳の検査があったらしいのですが、寝ていないとできない検査なのに次女の目はしっかり開いておしゃべりも止まらなかったそうで。。みんなで寝かしつけようとしても寝る気配がなかったためただ検査室でかわいがられて撤収してきたそうです。今日は次女の担当看護師さんがいたので、その時の様子をたくさん教えてくれました。目が大きいからみんなからかわいいと言われていた、検査で大きなヘッドホンをしたら顔が潰れてかわいかった、と。きっと誰にもそうだと思うのですが、この看護師さんは次女のことをとてもかわ
すっかり日付の感覚がなくなっていて面会中に次女の足のタグを見て気付きました。本日で5ヶ月を迎えました、おめでとう次女。近くにいないとこんなに早いのかと思いつつ、近くにいたらきっともっと早かったのかなと思ったり。今日は朝から謎の発熱をしていて心拍も高かったそうなのですが、私が面会にいくと落ち着いたと看護師さんと先生に言われました。もしかしてわかってくれているのかな。。話は変わりますが先日、長女が0〜1歳児組の頃に保育園で着ていた服を今月から保育園に通い出した姪にあげました。本当は次女の
入院2日目。外出許可が出たので昼過ぎから次女のいる病院へ。たくさん管の繋がった姿見たら泣いちゃうかなと思いながら車に揺られること30分。聞いていた通りの大きな病院だった。会陰切開の後が痛いし身体中ぼろぼろだったけど、2日ぶりの次女に早く会いたくて頑張って歩いた。NICUに入ってすぐの保育器の中に次女はいた。昨日まで口に入っていた呼吸器は抜けていた(夫談)けど、点滴だったりいろいろな管が繋がっている中ですやすや寝ている。やっと会えた気持ちの方が強くて泣きはしなかった。産まれた時と同
入院3日目。朝の退院診察の内診が痛すぎて死ぬかと思ったけど、抜糸もしてもらって夕方ごろにはだいぶ体調がましになった日。長女の時はあんまり母乳が出なくて混合でやってたし今回もだめかなと思ったら意外と出る。助産師さんに手伝ってもらってシリンジに溜めてはナースステーションに冷凍をお願いしに行くの繰り返し。その度に新生児室とか授乳室が見えて少しつらかった。入院4日目。この日は母乳バッグの使い方を教えてもらった。退院を1日早めてもらったからこの日の夜がお祝い膳だったんだけど、おめでとうござい
自費の検査費用の支払いがあったので支払いに行ったのですが、その時今後の診療予約表を渡されました。昨日にAARB、来週にARBと見慣れない単語。何かなと思って調べると聴力検査で、AARBで要検査となるとARBを行うと出てきました。まだ診断結果を言われたわけではないのですが、昨日のAARBで引っかかったのかな、耳も聴こえていないのかな…と勝手に落ち込んでしまいました。。目もどこを見ているのかわからないことが多く、もしかしたら見えていないのかもと日に日に落ち込むことばかりです。考えたくはない
今日から明日にかけて退院に向けた院内外泊です。前回は気管切開していない時だったので今回はそこを中心にお世話していきます。世間はGW。本当だったら今日は何をしよう、明日はどこへ行こうなんてみんなで話していたのかもしれない。そう思う度に生まれる数日前に戻りたいと思ってしまいます。結局は長女に我慢させてしまうことが多分一番心にきている気がします。GW明けの退院を目指して呼吸器を抱きしめながら寝る次女を眺めつつ今日明日を過ごしていきたいと思います。
少し愚痴っぽい投稿になります。苦手な方はどうか見なかったことにして戻ってください。妊娠中の写真を見る妊娠中によく行った場所へ行く妊婦さんや赤ちゃんを見る今は出産に関連することすべてを見るのがつらいです。長女を寝かしつける時、長女がはしゃぐ声に反応してかうにょうにょと忙しく動いていた胎動も今はなく、良いのか悪いのかお腹もあっという間に平たく戻ってしまいました。産んだはずなのに近くにいない。いないからこそ産んだ実感がない。本当だったら今頃寝不足でぼろぼろになりながら次女の世話をして
無事母子ともに元気に退院しました!5日間の入院中は、書きたかった出産のこと、生まれてきた赤ちゃんのこと、書けませんでした。また少しずつ更新していきます!さて、9月15日に我が家の第二子となる次女が誕生しました!前回のブログで、大変なお産だったと書きましたが、色々ありました。(関連記事:命がけの出産)出産を終えた直後、なぜか赤ちゃんを抱っこさせてもらえませんでした。誰も何も言わずに、顔を見られずに、すぐにどこかに連れていかれてしまいました。
まずは出産の日のことを思い出しつつまとめていきます。深夜0時過ぎから30分おきに何となく生理痛みたいな痛み。前駆かなぁ…今日の午前に健診だしその時に聞いてみるかと呑気に構えてた。3時ぐらいから耐えられるけど座ってた方が楽だなってぐらいの痛みに変わった。その後何やかんやしてたら朝になって夫と一緒に長女を保育園へ送る。もうその辺りから20分に一回ぐらいの頻度で結構痛くて支えられながら何とか帰宅。1人で健診行けるから大丈夫だよーとか言ってたけど心配性な夫に病院まで送ってもらった。このまま
7歳になりましたお誕生日プレゼントに絵本をプレゼントしました。うまれてくれてありがとうとふしぎなにじ。どちらもとっても気に入ってくれたみたいでしばらく夢中で絵本を覗き込んでいました。そんな姿が見れる日が来るなんて。絶望に暮れる7年前の私に教えてあげたい。でも毎年誕生日が来るたびにまだ当時のことを思い出すんです。あの日、生まれていなかったら息子や私たち家族には違う未来が訪れていたんじゃないかと。今更考えたって
娘を出産した時のことを記録しておきます。妊娠中、お腹はよく張っていたけど仕事も家事も育児もまぁまぁ出来て特に検診でも異常はなく日常を過ごしていましたが、35周目の検診で医者から「少し赤ちゃん下に降りてきてますね。里帰り早めにした方がいいかも」と言われて1週間後には帰ろうかな〜とやんわり考えていました。その数日後、息子と夫が胃腸炎のような症状があり家で看病をしていました。自分も移らないよう細心の注意は払っていましたが寝ようとベッドに横になると吐き気がしてきて夜中には嘔吐と下痢