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そろそろ...娘の病状の事を書こうと思います。産まれて来た時に告げられた病状・低出生体重児・子宮内胎児発育不全・新生児一過性多呼吸・無呼吸・鎖肛・食道閉鎖・橈骨欠損・耳介形成異常・親指欠損(右手)・染色体異常の疑い妊娠中は羊水過多や単一臍帯動脈など娘の成長を妨げる心配事があり、産まれて来てから分かった事がこんなに沢山出てきてしまった。沢山の異常を突き付けられ、目に見えて分かる耳や手の奇形...本当にショックで、今も心配と不安と毎日格闘しています。簡単に病状の説明
今日で2月も終わりですね今年は一日多くて得した気分。2月は次女の誕生日我が家の末っ子も5歳になりました次女は出産時、子宮破裂と常位胎盤早期剥離で仮死状態で産まれました。私も大量出血で、後15分でも搬送が遅ければ生きていなかっただろうと言われました。NICUで入院していた次女。自力で呼吸ができず、呼吸器をつけ、管でミルクを1日1㎖ずつ増やして入れていましたが、胃で消化できず点滴で栄養を補給していました。1週間くらいは起きた姿を見ることもなく、触ってもずっと眠っていました。産後は分からな
おもち生後2m30dNICUから一般病棟への転棟前日(2m25d)に、遺伝子検査の結果について新生児科の先生からお話がありました。生後3週目で検体提出をしてから、3ヶ月ほどかかると言われてましたが思ったより早かったです。(3月中旬に既に結果は出てたようなので、実質2ヶ月ぐらい?)前任のE先生は3日前に産休に入ったばかりだったので転棟までの数日間限定の後任の先生との面談でした。コロナになってなければE先生から聞けたのになはい。早速結
しばらくして本当に小さな「ふにゃ」という次女の声が聞こえた。人の隙間からたまに足が動いているのが見えた。ちゃんと事態を理解できなくて、切開した箇所を縫われながらぼんやりと次女を眺めていると看護師さんがスマホで写真を撮ってくれた。長女よりも少し小柄な丸顔の子だった。しばらくして小児科の先生から「赤ちゃんは少ししんどい状態でうちでできる範囲を超えそうだから大きな病院にお願いするね」と話があった。「はい」と答えるぐらいしかできなくてとりあえず夫に連絡。「産まれたけど自発呼吸ができなくて大き
今はとっても元気なお友達の子どもなんですが。新生児仮死で生まれてきて呼吸も安定しなかったようで。私は新生児仮死ってことばを恥ずかしながら認識しておらずその話を聞いて勉強しました!生まれた時に元気がなかったり呼吸してなかったりする状態の子どもらしく。なんと全出産の10%の確率で起きるのだとか。こわっ!え、確率たかっ!たかっ!え?!たかっ!原因のほとんど(9割)は分娩前、分娩中の胎児の機能不全だとか。生まれた時のオギャーがないことが予兆になる感じみた
【2022年】8月25日(木)→胚盤胞5BB移植9月3日(土)→判定日(陽性)17日(土)→(6w0d)胎嚢自然排出18日(日)→(6w1d)胎盤(?)自然排出20日(火)→本来6w3dの診察日(流産確定)26日(月)→流産後の診察12月6日(火)→移植日決定12月13日(火)→移植予定日→娘コロナ発症により濃厚接触者の為キャンセル【2023年】1月10日(火)→移植日決定1月16日(月)→胚盤胞4CB移植1月26日(水)→判定日(陽性
ふたつ前の続きの続きです…“和笑を連れてお花見に行こう🌸”と言い出したパパとのやり取りでママが『あっ!』と気づいたことそれは、入院中、特にNICUでは呼吸器や管だからけだった和笑を自由に抱っこすることも出来なかった和笑が目の前にいるのに頭を撫でることも頬に触れることも出来なかった手の先まで包帯が巻かれていて手を握ることもできなかったやっと1つ注射の管が外れて片方の手が自由になった時、やっといつでも和笑に触れることができた♡あの時の感動はいつ思い出しても泣きそうになる✨きっ
100日は家で迎えられるなぁなんて院内外泊の時は考えていましたがそんなことはなく、本日普通に病院で100日を迎えました。次女、おめでとう。退院延期の原因となった血糖値ですが…なぜかミルクの間隔が短いところで値が下がるらしく、急に上がった血糖値を下げるため頑張りすぎてしまうのでは、というのが先生の見解でした。そこで日中は3回、夜間に少量を持続注入してみましょうとのこと。ミルクの衛生面が気になるので度々追加が必要になりますが、ボトルを洗って消毒して…の手間は減るねと。23時から7時までの
こんにちは!ほゆりです昨日の記事がなんとアメトピに掲載されました!まだ始めたばかりなのにアクセスが一気に増えてびっくり…!!恥ずかしい気持ちもありますがとっても嬉しいです!ありがとうございます↓昨日の記事はこちらです『【検査結果】染色体とMRIと聴力と』こんにちは!ほゆりです今日は、各検査の結果についてです。検査は、話を受けてから3週間くらいで結果を聞くことができました。まず、染色体検査。検査は、各染色体の個…ameblo.jpさて、そよちゃんが診断された低酸素性虚血性脳
和笑が生まれのは1月2日の朝でした。お母さんの胎盤剥離が原因で緊急帝王切開で生まれたときには心肺停止状態でしたママが緊急搬送された病院は大きな病院で救急車が到着する前から産婦人科の先生方と小児科の先生方が救急車の到着を待っていてくれましただから、着いてすぐママのお腹から出された赤ちゃんは小児科の先生方による蘇生処置が始まりました1分、3分、5分…10分続けても自発呼吸が始まらない普段なら緊急対応の先生は多くても3、4人だそうですが、和笑の生まれた1月2日の朝は年始のご挨拶に偉
一年前の今日は判定日でした。1つしかできなかった凍結胚、しかもグレードも長女の時よりも低いものを移植したのでだめかもしれないと思いながらクリニックに向かったのを覚えています。だから陽性で本当に嬉しかった。この子はどんな子なんだろうと不安で楽しみで仕方なかった。その後長女と同じ産院の予約ができなかったり、出産時にこんなことになるなんて一年前は思いもしなかったんですけど。本当に何の異常もなかったからこそ健常なまま産まれてほしかった。3人目はきっとないのでしょうけどやっぱり妊活してる人、妊
あっという間に入院が決まったからとりあえず夫と実母に連絡。コロナの検査後そのままLDRに入って分娩着に着替えと病院に着いてから一時間も経たないうちにいろいろと進んでいく。この頃にはもう普通に陣痛がきてた。モニターをつけられて内診。陣痛に負けないぐらいすごい痛い。この時点で子宮口も5cm開いてて、もともと計画無痛分娩予定だったから麻酔を入れてもらう。長女の時は和痛だったから普通に痛かったな…と思ってたら今回の産院はほぼ無痛で5分もしないうちに痛みがなくなった。それからは特に破水したとか
ご訪問ありがとうございます娘(6)→なーちゃん息子(4)→ちいくんの2児のママ、かしみやです。ちいくん、年少(3歳)の途中くらいから幼稚園で他のお友達がお箸を使っているのに触発されて「ちいくんもおはしつかいたい」と言い出したんです。一応箸セットのなかにお箸をいれておいたんですがしばらくはお箸つかうのが難しいのか、幼稚園の先生から「結局フォークとスプーンを使ってます」と言われていました。
次女の妊娠中に姉妹とわかってからは長女のおさがりだったりおそろいの服を着せるのを楽しみにしていました。しかし現実は首がすわるかもわからない状態で産まれた次女。それでもEDチューブに気をつければTシャツはなんとか着られるだろうと思い、長女とおそろいの服をバースデイで予約していました。その商品が近隣店舗に届いたので受け取りに来てねとメールが届きました。予約した3ヶ月前は気管切開するなんて思ってもみなかったのでさて、どう着せたものかと悩みます。。ベビー用のものなら肩口にボタンが付いているので
気管切開から2週間が経ち、一昨日初めてのカニューレ交換がありました。経過は良好らしく、元気そうです。(といっても面会時はタイミングが悪くほとんど寝ているのでよくわかりませんが…)今日の面会ももれなく寝ていましたが、ちょうど体拭きのタイミングだったのでお手伝いをさせてもらいました。顔を拭いた瞬間に急に目を見開き震える次女。迷惑そうに目を細めて二度寝に入ってしまい笑ってしまいました。体拭き後は赤ちゃん用の座位保持椅子へ。今年から病棟に導入したものらしいのですが、小児病棟では次女が一番小さ
この1週間、次女の体調は低飛行でした。鼻からの酸素マスクでは足りず、顔全体を覆うダイバーのようなマスクに切り替わったりしたものの呼吸が安定しない日が続いていました。将来的な選択肢の一つと説明されていた気管切開をした方が次女のためになると連絡があったのが土曜日。その説明を今日の午前にしてもらう予定だったのですが、呼吸の状態が悪くなったらしく急遽GCUに転棟し挿管をしますとのこと。元の予定より1時間経ってから呼ばれたのは見慣れたGCUの個室でした。見慣れた小さなベッドに見慣れないたくさんの
ひとつ前の続きです…体温調整が苦手で低体温になってしまう和笑ちゃんをなぜ「お出かけ」に連れだすのか…その答えはズバリ!✨和笑の可能性に勝手に限界を作らないため✨です。とてもシンプルで単純なことを言っていますが実はコレかなり奥深~いですそのきっかけになったパパの「強い思い」とは…『和笑と一緒に出来ることは何でもいいから1つでも多くしたい』です。なぜ、こんな言葉が出てきたのかママにはピン!ときましたそれは…2か月間のNICUやGCUでの入院生活で和笑の周りにいた色んな子
娘を出産した時のことを記録しておきます。妊娠中、お腹はよく張っていたけど仕事も家事も育児もまぁまぁ出来て特に検診でも異常はなく日常を過ごしていましたが、35周目の検診で医者から「少し赤ちゃん下に降りてきてますね。里帰り早めにした方がいいかも」と言われて1週間後には帰ろうかな〜とやんわり考えていました。その数日後、息子と夫が胃腸炎のような症状があり家で看病をしていました。自分も移らないよう細心の注意は払っていましたが寝ようとベッドに横になると吐き気がしてきて夜中には嘔吐と下痢
うっすらと目を開けるなつみ。よく見るとあらぬほうを向いてる。でもかわいい。そして、顔全体アングルはこんなかんじ。これは…アレだ。般若のお面。うん、かわいくない。この顔になったときはいかんせん、衝撃を受けたよ、母は。そしてそっと目を閉じさせたよね、母は。そういうわけで、冒頭の構図で写真を撮ったわけです。今の状態の両目はコワイから上手くトリミングしたれ、と。写真ってそういうものよね、なつみ。どんな顔しててもわが娘が愛しいのは真実。しかし冷静に見て、あのときは般若みたいな顔だった
インスタでこれまで出せてなかった動画を「プレイバックにゃんつー」としてピックアップしてます。昨日までのぶんで生後11ヶ月まできました。あと半年しかなくてさみしみ。。。生まれてから数ヶ月のあいだはカメラの設定を変えればいいとも思わず、(カメラ好きなのにね)そのままで撮ってたので動画も写真も明度が低めの暗め。それはつまり新生児科の室内がそれなりに明るさ控えめだったという事で目が慣れてしまうから気づきにくいけどそりゃそうだよね、赤ちゃんが過ごす場所だものね。あとになって
平成19年春、我家に新しい家族が増えましただけど・・・ももは生まれるとき苦しくて新生児仮死で生まれました。肺からも出血して呼吸が苦しくて「低酸素性虚血性脳症」によるウエスト症候群や脳性麻痺という障がいを負ってしまいました今でもあの日の事はよく覚えています思い出すとまた辛い悲しい気持ちになるなのでなるべく考えないようにしているだって・・・・・・・・・・・。ももはここにいる!!もう少し遅かったら、ひょっとしたら今ももはここに、私のそばにいなかったかも知れま
さっき、近所のコンビニまで出かけたらむわっとする空気に夕方の和らいだ日差しで道ばたが平日午後の雰囲気に満ちていて、なつみのもとへ通った夏の日々が夏雲のように胸の内に湧き上がった。なつみについてブログを書いたきっかけは、心に蓄積する思いと頭に渦巻く思考を言語化して外に出さないことには溢れ返ってしまいそうだったから。自分たち夫婦が直面した現実のショックを自分の中だけに留めておけなくなったから。文字にして頭の中を整理しよう。いったん、外に出してしまおう。記憶キャッシュをクリア
前回の内容と少し重複しますが…H28年10月25日仕事のお昼休みに入ったところで息子から赤ちゃんが救急車の中で生まれちゃったと連絡が入りました。詳しいことは何もわからないわかり次第連絡すると言って息子はまずお嫁ちゃんの病院に向かいました。そこである程度話を聞いて、今度は赤ちゃんの運ばれた埼玉県立小児医療センターへ息子からはうちの赤ちゃん息してないってでもなんとか大丈夫らしいから赤ちゃんにあったらまた連絡するね、と。泣いてるのかなって思うような声で電話がきました。その夜、息子
はじめましてAir(えあー)と申します私は2度出産を経験していますがどちらも産声を聞いていません。1人目は死産、2人目は新生児仮死です。このブログでは、私の妊娠から現在に至るまでの出来事を書いていきたいと思っていますブログは初心者ですので、どうか暖かい目で見守ってくれると幸いですまずは、簡単に自己紹介からさせていただきます年齢・・28歳(2023年2月現在)住み・・兵庫県職業・・営業職(現在は休業中)他にも、随時ブログ内で紹介していけたらなと思っていますお読
いつもお読み頂きありがとうございます約1年前の今頃の出産の記録を書いています。出産翌日、NICUに赤ちゃんを見に行った私輸血をしているものの、脳室内出血などは今のところなさそうで、安心していました。前回のお話はこちら↓『産まれてからの3日間が勝負』いつもお読み頂きありがとうございます出産の翌日、やっとNICUに我が子を見に行くことができた私ですが、前回のお話はこちら↓『出産翌日赤ちゃんの顔が見れ…ameblo.jpそして妊娠中の絶対安静とは打って変っ
36週、2600gで生まれた息子。ぎりぎり早産の週数ではあるけれど、もうほぼ正産期に近かったし、体重も十分ある。無事に生まれると思っていた。息子は重症新生児仮死だった。15分間の無呼吸。脳に障害が残る可能性は約10%と小児科の先生に言われた。10%の確率・・・こわい。一生がかかっていると思うと、10%はすごく怖かった。脳へのダメージを最小限におさえるため、新生児低温療法というのが行われた。72時間の間、33.5℃まで体温を下げる。(寒かったろうなぁ~・・・)とにかく
おはようございますはい、タイトルですが大げさに書いております。地獄とまではいはないけれど、かなり衝撃を受けたのは事実それはムスコの定期健診で(NICU入院してた時からの主治医に)いきなり言われた。※ムスコ出産時の話はこちら♬いつも通り発達具合の聞き取りが終わった後で、「一度療育センターで診てもらいましょうか紹介状書きますんで。まず電話して初診予約取って下さい。」ん??ん??療育センター?
入院直前にするはずだったのにずるずる延期になっていた3回目の予防接種、昨日やっと打ってもらえました。3回目にして初めて目の前で打っているところを見ました。次女は泣いたりなどの感情表現がないので無反応かと思いきや、顔を真っ赤にして体を縮めたり嫌そうに捻ったりと、かわいそうだと思いつつも反応があることが少し嬉しかったです。今日は急変時対応についてのお話をされ、いよいよ退院日も決定しました。来週末、10日に退院予定です。呼吸器が乗るベビーカーだったりといろいろ準備を進めないと…
〜2022年10月8日〜何が起こったのか自分は何をしていたのか何も覚えていないそんな中、LINEを確認夫から長文のメッセージが何通も入っていた※以下、夫からのLINEを引用したものです※私の名前をA、娘の名前をRとしています10月5日出産本間にお疲れ様!まだAの意識は戻ってないけど、今日あったこと報告するね今朝5時過ぎに病院の先生から電話がありました。Aが意識がなくて母体優先で処置してるので今すぐ来てくださいって連絡!寝起きやし、まじパニック!何が起きてんのか本
可愛いたまる平成28年2月19日/39週3日2996㌘で世の中の仲間になりました♡そして、お腹の中では元気いっぱいでした。この前も書いたんだけど、羊水混濁で産声を上げられなくてR病院に搬送されたの。当日に聞いた病名(私はベッドの上で、救急車を追いかけて状況を確認した旦那さんが当日に聞いた診断結果)①新生児仮死②新生児感染症③呼吸障害④遷延性肺高血圧症最初はこれだけ。でもどんどん増えた。最初は2週間の入院予定だったのに…「何も問題なく無事に退院できるだろう」って言っても