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こんにちは、よいこですタイトル通り、12月19日に第一子を出産しました!色々ありまくりの出産だったので、自分の覚書の為にもレポ書いていきます入院中、スマホのメモに可能な限り記録を残していました不安に思う誰かの役に立ったりもしたら嬉しい痛みは0〜10で記録してます!12月18日0:00寝返り時に尿漏れのような感覚破水しており夫の車で病院へ眉毛を描く余裕はあった0:45〜1:40破水確定入院NSTで定期的な張りも確認子宮口1cm痛み0〜1左前腕に20Gで点滴
勝手に諦めないでみんなが可能性を信じていた
こんにちは予定日超過で誘発分娩予定でしたが、入院当日に緊急帝王切開が決定し無事に元気な子を出産することができました。なぜ緊急帝王切開に?なぜ急に緊急帝王切開になったかと言うと、入院当日のNSTで赤ちゃんの心拍が安定していないことが判明したためでした。確かに入院前日くらいから、胎動が少ないかも、、、と思っていたのです。もし赤ちゃんに何かあったら、胎動が少ないって思った時に何で病院行かなかったんだぁーーって自分を責めちゃうかも。緊急帝王切開の流れとりあえず、夫を呼んだりいろ
今年はお店に行くのは我慢アドベントカレンダーたくさん買いたいスリランカの紅茶。おすすめ!2025ジョージスチュアートティークリスマスティーアドベントカレンダーブラック猫カレンダー紅茶ギフトプレゼント大人カウントダウンクリスマス壁掛け吊るしギフトプレゼントキャット楽天市場安定のリンツクリスマスリンツLindtチョコレートリンツテディマジカルアドベントカレンダー265g|クリスマスチョコギフトプレゼント可愛いスイ
気付けば前回の投稿から半年近く経ち、今年ももうあと1ヶ月になりましたね。あまりにも久しぶりなので最近あったことを書きたいままに記録しておこうと思います。無事に保育園に入園した次女は新しい環境でも物ともせず元気に登園しています。夏は水着持参でプールも体験させていただき、刺激的な毎日を送らせてもらっているようです。そんな次女ですが、2歳を迎える前に胃瘻造設の話がでました。そろそろミルクだけじゃ栄養が足りないよねとのことで…。NICUにいた頃から言われていたのでいつかはと思っていましたが、
こちらでは…とぉーってもお久しぶりです年末に向けて今年の出来事を少しずつアップしていきますね✨だいち令和7年10月で18歳になりましたついに…成人期へと突入です新生児仮死で誕生して…何かと大変な日々をおくりながらあっという間の18年間山あり谷ありすぎるけど…いろんな福祉関係の方々に支えてもらって…今の在宅生活がなりたっています感謝の気持ちでいっぱいですありがとうございます誕生から今現在までの写真を並べてみたよしんどくて入退院を繰り返していた時期もあったなぁ…こ
イヤイヤ期に入ってからが大変すぎた1歳半~3歳頃。いわゆるイヤイヤ期の頃の子育てが本当にしんどかった…まだ、息子に障害があるとは知らずに子育てをしていたイヤイヤ期には育てにくさを感じつつも、「子育てとはこんなもの」で、きっと子どもが大きくなったら楽になっていくだろうと思っていた。その育てにくさというのが日常生活でたくさんあったけど、その中でも一番困っていたのが外出だった息子は18歳になった今でも自分に必要のない外出はしようとしないんだけど、イヤイヤ期の嫌がりようが、ひどか
NICU退院後の経過観察で発達外来へ…退院時に予約した通りに出産した病院へ健診へ行った案内された診察室には『発達外来』と書かれていて…あれ?発達外来ってなに?来る場所まちがえてへん?てっきり、新生児科とか小児科で診てもらうものだと思っていたわたし。いろんな診療科がある中、奥まった場所にその診察室があって周りには誰もいない…その静かな雰囲気から余計に不安になった当時のわたしは、息子に発達障害があるとはまだ知らないし、疑ってもない。特に気にな
家族3人での生活がスタート出産後に3週間の里帰りから自宅に戻り、家族3人での生活がスタートした里帰り中には、身の回りの事は母親に任せっきりで楽をさせてもらっていたので、いざ元の生活に戻るとなるといろいろと面倒で仕方がない離れてみると親のありがたみを感じるんだけど……かといって、あの毒親の元に戻りたいとは思わないときどき用事で連絡とったりするくらいの距離感がちょうどいい。次に出産することがあったとしても、里帰りは絶対しないと思う↓↓「AC」の里帰り話は
少し前に、チャラン・ポ・ランタンの小春さんが、今年に出産されたお子さん、みとくんのことを歌にされて発信されていて、小春さんのnoteを読み、Mito|suttokodokkoiii新曲:Mito/VIVA!生きるがリリースされます。突然ですが、Mitoの曲について、書きたいと思います。1月に息子が産まれまして、新しい生活がいつの間にか半年以上経ちました。実は出産中に事故といいますか、突然赤ちゃんが苦しいことになり、色々と不運が重なってしまいました。救急車で大きな病院に移り、最善
重症新生児仮死の影響を実際にうけて…いまさら、こんなことを言ったってどうしようもないんだけど…なぜ主治医ははっきりと、「新生児仮死」で、しかも「重症」だと教えてくれなかったんだろう…と考えてしまううちと同じような状況でNICUに入院した場合、他の産院では赤ちゃんの状態をどのように伝えられるんだろう今後の子どもの人生がかかっているかもしれない時点で、そこは詳しく説明してくれてもいいのでは?と思う病院の対応には、もしかしたら説明の仕方とか、情報の伝え方とか、その時代の影
まさか「重症」だなんて…実は、出産入院中にカルテを見る機会があり、そこに書かれた医療用語をメモしていた。退院したら調べてみようと思っていたんだけど、新生児とのてんてこ舞いな生活で、すっかりそんなことは忘れていた私そしてそのままメモの存在は忘れ去られ、ずっと放置されていた今回、ブログを書くために当時を振り返ろうと書類をあさっていると、その放置され続けていたメモを見つけたのだ。ん?これは…退院したらこの医療用語みたいなのを調べようと思ってたやつやん!!
実は、「新生児仮死」だったと知る以前のブログでも書いた通り、『産まれた時にしんどかったから…』についての詳しい説明は「出生時に無呼吸だった」ことしか、旦那も私も聞いていない赤ちゃんは出生後すぐにNICUへ入院して治療を受け、呼吸も安定し、無事にわたしと同日に退院することができた急変したりしないのか?って不安になったりもしたけど、早期に安定してNICUから新生児室に移れたこともあって、それほど気にしなくてもいいのかもしれない…と思い直していた。それなのに、想像もし
親といるとしんどくなるくせに産後に里帰りした孫の誕生を楽しみにしてくれていた両親は、産後のサポートを快く承諾してくれた。本当は実家に帰ることは避けたかったけど、何もかもが初めてな子育てで不安は大きい自宅に戻っても、夜遅くまで旦那は帰ってこれないからワンオペ育児になってしまう。赤ちゃんのお世話の事を考えるとサポートしてもらえる方が心強いし…悩んだ末、3週間里帰りすることにした自分から親にお願いして助けてもらっているくせに、何言ってんだ!って話なんだけど…
NICUからの卒業赤ちゃんの治療は順調に進み、出生から2日後にNICUから退院することができた「さくらさーん。赤ちゃんがんばったよ。もう保育器から出られたよー」と看護師さん。私は新生児室に呼ばれてあわてて向かう昨日よりも病室から新生児室までの距離は、体感短くなった。私の体も回復していってる人のからだってすごいいくつか並んだベビーベッド。わが子は他の赤ちゃんと同じようにそこに居るん?ちょっと待てどの子がうちの子なんだ??自分の子がどこかわからない名前
初めて見るわが子やっと赤ちゃんのお顔が見れるどんな顔をしているんだろうどんなふうに泣くんだろう早く新生児室に呼んでもらえないかとソワソワし、気分は高揚していたそして、ついにその時が来た…心臓はバクバクして、めっちゃ緊張した。わが子なのに。とにかく『早く赤ちゃんに会いたい!!』と思っていた。…けど、病室から新生児室まで…うまく体が動かせなくて前に進めない…産後の痛みや腫れ・貧血があって、チョコプラ並みにそろりそろりとすり足で歩
出産直後に赤ちゃんがNICUに入院した理由翌日主治医から赤ちゃんの経過について説明を受けることができた。NICUに入院した理由は、赤ちゃんが産まれた時に「無呼吸」だったから。それに対する適切な処置やサポートが必要であったからとのこと。経過は良好で安定しているけれど、出生後に酸素不足であったため、保育器に入っている。酸素などの管理をして様子を見てもらっている。…そう説明があった。とても淡々としていた。先生の表情は…それは
現実を知るのが怖くて…待望の第⼀⼦を妊娠どんどん⼤きくなるお腹をさすっては幸せを噛みしめていた。ポコポコと感じていた胎動は、いつの間にかグニョ~ンとお腹が変形するほどの力で押してくるようになり、このお腹の中で元気に育ってくれているんだと嬉しくなる。ただ…お腹が大きくなってくると前かがみになれないんだよねグフッってなるw下に落ちたものは拾えないし、靴下が自分で履けなくなるし、足の爪も切れやしない。そんな困り事もひっくるめて、妊娠中にしか体験で
出産の瞬間!…そして、赤ちゃんの異変分娩室に移動するまでは順調に進んでいたんだけど、ここからが長期戦だった。いきむのが下手だったのか、子宮奇形のせいなのかわからないけど、赤ちゃんがなかなか出てこない…もう痛みが限界で、旦那にテニスボールでお尻の上辺りをグ~ッと押してもらう。…けど、思っている場所をピンポイントで押してもらえず、ちょっとイラっとした。いや、かなりイラッとしてたか…(立ち会い経験者のみなさま、わかってくださいますか…)もう、痛
これは、2023年の記事です。夏休みに入り、悲しい水難事故が相次いでいます。今日の情報は、ブルーローズメンバーが誰も体験していないことなので、自信を持ってお伝えすることはできないのですが、知らないより知っておいたほうが良いと思われる方もいらっしゃるのではと思い、お伝えいたします。海や川、ご自宅(お風呂場や洗濯機等)の中でも、これからの季節は、水への注意が必要ですね。人の膝ほどの高さの水がある場所で
みなさんこんにちは😃たかやんです!いつもブログへのご訪問、いいね、コメントありがとうございます☺️息子と一緒に退院してきてからはや3日たちました🤙色んなことが初めてなのでてんやわんやあーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら過ごしております小さなことから一個づつ勉強して、気づいて、試しての繰り返しですね🔁では過去振り返り続きいきます手術終了後しばらくしてNICUの先生が病室まで病状説明にきてくださった。結果として、今回幸運にも胎盤が剥がれてはいなかったみたいだが、息子は胎便吸引症
▼前回の記事の続きです『【出産レポ①】急に訪れた我慢できない程の陣痛』誘発分娩2日目。(1日目はお産が進みませんでした)『38週計画分娩お産が中々進まない』ついに、出産の日を迎えることができました先週の検診で子宮口3cm開…ameblo.jp無痛の麻酔がやっと効いて冷静を保ち分娩の体制になります。(痛みは完全にはとれてませんが、周りの音をきく余裕があり)このとき、赤ちゃんの心拍がとれない異常事態になっていたようで、覚えてる中で、先生と助産師さんがこんなようなやり取りし
✰このブログお役に立てると嬉しいです✰✰シェアしてくれるともっと嬉しいです✰1.さまざまな疾患を一括で調べたい方はこちら丸わかり疾患情報300以上2.看護学生の実習調べ学習に特化したい方はこちら看護学生実習調べ学習記事一覧3.看護計画や関連図、看護診断まで調べたい方はこちら『看護計画と関連図、看護診断の一覧4.疾患のことを会話形式で読みたい方はこちら会話形式の疾患事例一覧5.医療・看護のネタで傑作漫才を読みたい方はこちら医療・看護あるある漫才一覧6
前回からだいぶ期間があいてしまいました。この間にあったことをつらつらと書き連ねたいと思います。4月の五月雨登園を経て、5月から次女は無事本格的に保育園に通うようになりました。毎日家族の誰よりも早くお迎えのバスに乗って登園し、近所の公園へ散歩、光遊び、製作など刺激いっぱいな日中を過ごして帰りのバスは熟睡しながら降園してきます。なかなかハードな毎日を過ごしていますが、体調を崩すこともなく元気です。そんな次女にも胃瘻の話が出てきました。昨日の外来で小児外科の先生とお話しさせていただいたので
前回の続きです✏️産院に着くとすぐにエコー💓助産師さん?看護師さんの顔がみるみる曇っていくのがわかりました‥「赤ちゃん、ちょっと元気ないね‥」このあたりから私も焦り始めた記憶(遅い)胎動少ないかもと気づいたらすぐに産院へ行くべきだったと😭😭長男のときは初めてのことで心配で、何度も夜中産院に行って、何もなく大丈夫ということを繰り返していたので、次男のときは心配になるラインがめちゃくちゃ上がってました😭😭すぐに夫も呼ばれ、緊急帝王切開にしますと‥同意書にサイン、私も「私のお腹はいくら
こんばんは☺️🧚久しぶりに子どもたちの小さい頃の写真を見返してふと思ったことがあったので書いてみます‥✏️こんなテキトーで嫌なことがあっても次の日には忘れる楽観的な私が、人生で一番しんどかった時期😑💔それは間違いなく、次男が産まれた時でした🌈長男が自然分娩だったので次男も自然で産む予定だった私‥予定日2週間前に陣痛がきたとき、前駆かな?いやでもまだ入院準備ちゃんとできてないし🤭←とのんびり家のことをやりながら痛みに耐えてました🤭🤭ただ、年子で長男を産んで間もないこともありもしかした
1日目から搾乳室に通うようになりました搾乳室から見える新生児たちが歩む「普通」の人生息子はそんな人生を全く歩めないのかもしれないと思ってしまう自分そんな自分を一旦忘れて無の状態で搾乳をしていました搾乳の仕方を教わりながらある助産師さんに「お産はどうでしたか?」と言われました直球だな……と内心驚きつつ口から出ていたのは「トラウマになりました」という言葉自分で自分にびっくり私は、ちーくんのお産をトラウマだと思っていたのか…痛くて苦しい5日間の促進剤先生に騙し騙し
旦那は大きな病院に行き私は赤ちゃんもおらず一人で部屋に戻りました部屋に戻ったら、張り詰めていた糸がぷつんと切れた感じで涙が止まらない、止まらないそれでも部屋には看護師さんたちが見回りに来てくださったりエステの人から電話があったりご飯やおやつが届いたりで意外とゆっくりできない食欲なんて一切湧かないからほぼ残す(ご飯残すなんて、いつもならありえない)空いている時間は「何が起こっているかわからない」怖さで検索の手が止まらない・停留精巣・哺乳不良・新生児仮死・産声が
お産が終わってからも、出血が多かったため分娩室で一夜を明かしました生まれたーっていう安堵の中悪寒が止まらず、心臓もバクバクで次第に右半身が足先から頭の先まで痺れる…顎がガクガクで音が鳴るっていう…(自分でも大袈裟な‼️って思ってたさ)心臓近辺まで痺れがきて我慢の限界‼️「息子産んだのに、私が死んじゃう?!」と一人パニックに先生を呼んで様子を見てもらうと熱はあるし、貧血だけど大丈夫とのことまだ産後ハイだからか、先生に「まだ死ねません!!!」とまたも聞かれてもいないことを
出産予定日よりも1週間ほど遅れてもまーーーったく生まれる気配がない34週で切迫早産になって3週間自宅安静と言われ動かなかったから??と思い38週に入った瞬間から1日一万歩歩いていました💦階段の登り降りもスクワットも舟漕ぎ体操だって一通りやりましたさそれでもお腹が張りもせず……インスタでフォローしていた同じくらいの妊婦さんたちは続々と出産報告をしている……他人は他人自分は自分と思いながらも、なんだか変な気持ちでした(このときからアレ?って違和感だったかも)さす