ブログ記事252件
せっかく函館へ行き幕末の歴史について勉強したので今回は東京で江戸城無血開城ゆかりの地めぐりをしてきました。まずは蒲田駅から東急池上線で池上駅下車参道を通り、徒歩10分で到着池上本門寺総門です。池上本門寺は戊辰戦争の際、西郷隆盛率いる新政府軍が江戸城攻撃のため本陣をおいた場所です。池上本門寺北側にある松濤園にて幕府側の勝海舟と西郷隆盛が平和的解決に向けての話し合いが行われました。松濤園には西郷隆盛と勝海舟の会見跡碑があるとのことですが公開されているのは期間限定。残
今日は、鬼の新選組副長の土方歳三が箱館戦争で戦死した日。土方歳三は、幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷共和国陸軍奉行並。諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。明治2年(1869年)5月11日(6月20日)、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死。享年
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をしているシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。今回は、「湯長谷(ゆながや)陣屋」(福島県いわき市)をお届けします。湯長谷藩
こんにちは。ひでおです。昨日に引き続き、棚倉城のお話。棚倉城は1868年6月24日に1日で落城・焼失したそうですが、その原因はやはり戊辰戦争です。関東と東北の境目として、親藩・譜代の大名が治めていた棚倉藩。戊辰戦争の際、会津にいた藩主・阿部正静(あべまさきよ)に代わって、家老・阿部内膳(あべないぜん)が守っていました。慶応4(1868)4月に始まった白河口の戦いで、内膳は十六人組の隊長として活躍。「仙台烏に十六ささげなけりゃ官軍高枕」と新政府軍に恐れられました。「仙台烏」