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清閑亭問題について意見をすべく、昨日、小田原市役所に用事があったのでついでに向かいました。突然訪ねたので担当がいないというのですが、どうも一番上の課長はいるじゃないか?そう思ったわけですが私はあえて隣の文化財課にも聞こえるように比較的大きな声で話しました。営業許可がおりてないなかでの営業を認めたり、契約行為が行われていない、締結されてない中で厨房棟を建てたりしてること左手前が新設の厨房棟そもそも、市民全体の文化財を1私企業の営利追求に使うべきではなく、余りにも高級料理では市民が気軽に
カレーパンをいただきました。香りがすごく良くて♡近所のちょっと有名なパン屋さんのカレーパンです。さっき、食べました。ふぅ〜ん…って感じでした。いただきものなので、あまり大きな声では言えませんがセブンイレブンのカレーパンの方が美味しいです。ちょっぴりガッカリです。一昨日諏訪大社へ行って来ました。諏訪大社って4社もあるんですね。4社参拝して来ましたよ。上社と下社は、ちょっと離れたところにありクルマが無いと大変だと思いました。諏訪大社下社秋宮はとても厳かな…って雰
お人形様(オニンギョウ様)福島県三春町からいわき市に通じる磐城街道には、オニンギョウサマと呼ばれる魔除けの神様を祀る習俗が残っています。悪疫が流行し、悪魔を追い払う目的から建てられたお人形様。元々は5体あったのですが、現在まで衣替えを行なって存続しているのは田村市内の3体のみ。その3体を訪ねました。①屋形(やかた)のお人形様林の中の坂をしばらく登ります。あっ、登場長い手で通せんぼしています。すごい迫力。大きい高さは約4m。文化5年(1808年)と
こんにちは、久津間です。引き続き匂口についてです。『匂口を観察することで何が分かるのか。』を解説すると書きましたが、タイトルで既にお気付きでしょう。匂口を観察する事で、刀の出来不出来が分かります。長く勉強されてきた方ほど飲み込めないかもしれませんが、ひとまずお読みになってください。まずは1.匂口の深さ図1.先に言いますと、基本的に匂口の深さは出来不出来の判断基準ではありません。『刃文・匂口』その1で書いた通り、匂口は焼入時に常温に戻るまでに出来た硬軟の
熊野磨崖仏山の中腹にある熊野磨崖仏へのスタートは、緩やかな遊歩道から。景色を楽しむ余裕があります♬右側の遊歩道を歩きます。やがて階段となり、次第に傾斜を増していきます。足元をこれでもかと固めてある台輪鳥居。鳥居の奥には急勾配の石段が見えます。いよいよ、鬼の石段。この石段は、鬼が一夜で築き上げたという伝説が残っています。伝説では99段とありますがどう考えても、百段以上あった気がします。伝説のストーリーが看板に書いてありました👹石の大きさ形も高さもバラバラ。登りに
8話では小さな村ソドク洞の訴訟は苦難を得て、ようやくいい方向に向かいました。まずはヨンウのお話から始めます。ハンバダへの不正採用を知ったヨンウは、挫折は1人で耐えると家を出て、グラミの所にやって来ます。グラミが特製のキンパを作って「いいから黙って食べな」「うん、すごく変な味」ヨンウ「でしょ。変に美味しい」と言って2人で笑って~~ハンバダに来て、周りの視線を感じるヨンウ。掲示板”ハンバダの不正採用を告発します””その新人の父親が事務所代表と学友だからでは?父
本日、清閑亭問題を考える市民団体の代表の方と共通の仲間から私と話がしたいとの連絡を頂き会いに行きました。清閑亭問題については清閑亭問題www.seikanteimondai.orgこうしたホームページに詳しいです。代表の方、はじめてお会いしましたが第一印象は素敵な人だな、という感じでした。非常に物腰はやわらかいのに芯の強さを感じる人でしたね。この清閑亭問題は、市民全体の財産である文化財を現市長と近しい会社の利益に独占的に使用収益させる点で誠に由々しき事だと行政の私物化が行われて
『発掘遺跡?』鳳大社の帰り石津川を渡って、川沿いに見つけた、?の区画なんか遺跡の発掘?なんとなく其蹟土台?こんな基礎最近じゃ見ないし、昔、古代の建物でよくみる風景、石津川沿…ameblo.jpなんか、礎石みたいと思って文化財課に確認、確かに文化財包蔵地内で、指定地区にあったが、この丸い痕跡は礎石ではないとのこと確かに、近くに有名な四ツ池遺跡があり、文化財指定地区にはあるが、もう、発掘調査は終わったあとらしいこの礎石のように見えるのは、地盤改良の杭を打って、改良したあとみたいだとのこ
朝5時に大浴場に行った時には、まだ恐ろしいほどの雷雨でしたが夜が明けてくると一瞬日が差す時間が出てきました。なんと美しい光の入り方よ!さて、カーテンを開けましょうと端っこを探し、延々とカーテンをたどってみたら結局お部屋をぐるりと半周し洗面所脇まで来てしまった。こんなに分厚い重いカーテンが1枚つなぎになっているとは!そしてこのカーテン開いていた時はいったいどこにあったんだ??するするとカーテンを開けていくと、そのまま入り込んでいく空間がありました。なにこれ。カーテンの小部屋
うるま市石川(いしかわ)の石川消防署の横から入る小道の突き当たりの左手に2基の古墓があります。画像では電柱のある場所とその少し奥に位置します。向かって左側の古墓はかつて琉球を治めた第一尚氏6代王の尚泰久(しょうたいきゅう)の墓跡です。墓口には石がはめ込んでありますが上部は開いて中は空っぽです。王位にあった者の墓としては簡素な印象を受けます。案内板によると岩陰に石を積み囲んだ『囲込石陰墓(かこいこみいわかげぼ)』という種類の墓になるそうです。沖縄の山中に今も放置されている古墓はこうした
南風原(はえばる)町字照屋(あざてるや)にある湧泉です。南星中学校裏の道沿いに位置して、画像左側のフェンスで囲まれた場所がユンヌカーになります。ユンカーとも呼ばれるみたいです。道の中央は集落の境界線でユンヌカーがある左側が照屋集落、右側は本部(もとぶ)集落になります。フェンスの中にはコンクリートで蓋をされた円形の井戸みたいな物があります。ユンヌカーは元々こうした形ではなくて彫り込み式の井戸で、おそらくフェンスで囲まれている部分は下に降りて行く構造になっていたかと思われます。照屋集落では
新潟市秋葉区にある「満願寺稲架木並木」をみてきました。田んぼの真ん中に稲架木(はさぎ)並木があります。農家に縁のない私は何の事かわかりませんでした。新潟市の文化財に指定されています。昭和18〜20年、区画整理した際に各所に散らばっていた稲架木(稲を乾かすための木)を集めて植え替えたそう。昭和時代の状態。今も同じ様に使っているらしい。稲刈り時期にまた見てみたい。分県登山ガイド16新潟県の山Amazon(アマゾン)ご当地キテイちゃん新潟笹だんご稲Amazon(アマゾン
天魁星(てんかいせい)・・・五行属陽火、南斗助星、科名の星、天乙貴人・陽貴天鉞星(てんえつせい)・・・五行属陰火、南斗助星、科名の星、玉堂貴人・陰貴天魁・天鉞を「天乙貴人・玉堂貴人」と呼び、子平家なら「昼貴・夜貴」という。魁鉞は古代において科名の象徴とされたが、現代ではチャンスとみなす。ここで言うチャンスとは、文化財に関する法令制度と必ず関係がある。たとえば現代香港では「政制改革」が実施され、役人選任制度はそれに伴って変化し、制度が一部の人に利益をもたらしたのは、天魁・天鉞によっ
日立市へ来ました助川鹿嶋神社です文化財に指定されている大きいぞ鹿嶋神社の境内ですこちらもささらが文化財になっていますささらは見るの好きですご神木の大イチョウ葉が良く茂っています秋は黄金色大同年間に鹿島神社より勧請とあります愛らしいわ
あたたかい春の日4月14日㈰とっても素敵なイベントに出演させていただきました!!!「旧岡山偕行社春まつり」113年前に建てられた文化財でもある「旧岡山偕行社」と創部118年の岡山県立岡山東商業高校吹奏楽部のコラボ!?あたたかい(暑い!)春の日差しの中、マーチングも披露しました!たくさんの方が聞いてくださり、あたたかい拍手、手拍子、声援をいただきました!!!ありがとうございます!!!新2・3年生で協力して、運営、準備しています!たくさんの気づきを得られて、成長するチャンスになりまし
本日も晴天筑西市の続きです今回は関城に来ています国指定文化財です鎌倉から南北朝の時代大宝城と同じ時代興国4年(1343)11月11日関城は大宝城とともに落城駐車場に着きました筑西市どこに行っても見える筑波山田畑の広がる大地から良く見えるわ地図あり現在地は・・・ここか坑道跡から行ってみます坑道跡ありました
筑西市国指定文化財になっている関城跡に来ています八幡神社からさらに歩いて遺構を探しています庚甲塔浅間大神等々たくさん置かれていますこの辺りも土塁でしょうか近くに点々と石仏も置かれていました通りの名前も関城通りださらに歩くと石碑がありました関宗祐父子墓案内板付きで
↑↑↑いつもたくさんのクリックをありがとうございますw!(^^)!2023年10月7日(土)~8日(日)の宿泊記録です。キャンピングカーでの訪問が難しく、宿泊なしで本当の良さを知りえない渋温泉。それゆえこれまで訪れたかったのですが、叶わなかったのです。9月の初め頃、何気なく楽天トラベルを検索していると、非常に予約の取りにくい、歴史の宿「金具屋」さんのお部屋が一部屋空いていたのです。すぐに予約しましたが、おそらくキャン
那覇市首里寒川(さむかわ)町にちょっと変わった名前のバス停があります。寒川樋川とは市指定文化財の湧水の名称です。『寒水(すんがー)』とは『清水』の事で、南城(なんじょう)市にも同じ湧水があります。バス停の下に階段がありますが、階段以外はやたらと急勾配な幅の狭い坂道が続きます。降りてすぐ左側に曲がると寒水樋川へ至る道へ出ます。案内板の前を過ぎると法面を三段にした合かた積みの石積みを施した樋川があります。これは水脈の背後を土砂崩れから防ぐ工法で、この辺りでは大きな水場となっています。この
宜野湾(ぎのわん)市大謝名に大謝名メーヌカーという市指定文化財となっている湧泉があります。辺りは住宅地となっていますが、そこだけは昔の面影を残しています。アパートの横から細い階段を進むとすぐ下に大謝名小学校の裏門が見えてきます。そこを右に行くと大謝名メーヌカーがあります。下に行くと右側に見えてきます。大謝名メーヌカーは令和2年に保存改修工事が行われています。正面には3ヶ所の樋を通して水を流せる様になっています。沖縄では水源から樋を通して水を流す湧水をよくヒージャー(樋川)と呼んだりしま
この日はつくば市に出かけました大形の鹿島神社ですこんなものも小学校入口とな今は神社の上に小学校があります本殿が県指定楽しみだなぁ~かわいいです奥へと進む鳥居は寛政ですねこの辺りは小田氏拝殿の周囲に何か・・・?銀杏
取手市です次に来たのは八坂神社本殿の彫刻が良いらしいふんふんここですね八坂神社お出迎え商店や住宅がある一角に八坂神社はありました賑やかだなぁおぉ~茂っている境内は散歩の人や参拝の人が歩いていました種類もたくさんあるわ本殿までに境内社がいくつも
豊見城(とみぐすく)市字与根(あざよね)の住宅地の一角に土帝君と呼ばれる土地神が祀られています。『とぅーてぃんくー』や『とんてぃんくー』等の呼び方があります。土帝君は小さな広場に琉球石灰岩を加工して積み上げた祠になっています。中には霊石とされる石があります。土帝君は人形の翁像を祀る場所もありますが、ここのように石を神体として祀るケースもあります。土帝君の右側にニービ(砂岩)があります。左側の敷地沿いにも何個かのニービがあります。この近くには小禄砂岩部層と呼ばれる地形があるので砂岩に特別
どうも、久津間です。今回は題名の通り、刀の値段の決め方について考えていきます。鑑定書の有無やその種別,刃長などで決まる現在の相場は他の方も多数書かれていますし、軽く触れるだけにします。鑑定書について・各刀剣協会の鑑定書や折紙が付いている方が、付いていないよりも高い・日本美術刀剣保存協会(以下、日刀保)が現在一般に浸透しているので、その有無は現在の相場と関連している・保存より特別保存、特別保存より重要、重要より特別重要の方が相場は高いてな感じです。日刀保の審査結果が相場に関
日立市に来ています助川城跡公園から会瀬鹿島神社へ来ていますこちらの鹿島神社からも海が見えるのよ高台にあるので・・・・やはり・・・昇るのよね~えんやこらどっこい上りやすい石段とはいえ勾配がきついですそろそろ着くわね見えてきました到着しました境内は思ったより広いですね
沖縄市越来集落に白椿を植えている個人の民家があります。その白椿は毎年2月頃に見頃を迎えるそうですが、今年は1ヶ月ほど早い開花となったそうです。案内板の後方の塀越しに見えるのが白椿の樹です。ちょっと見てみましょう。これが白椿です。一輪は残っていますが、もう咲き終わっている状況です。分かりにくいですけど中央の白いのが白椿の花です。満開だときれいだったでしょうね。この白椿についての伝承があります。琉球時代。この地域は越来間切(ごえくまぎり)と呼ばれた地でした。ここから近くに越来グスクが築か
南城(なんじょう)市玉城字當山(たまぐすくあざとうやま)の集落内に上江州之殿と呼ばれる拝所があります。小道を上がって右手の階段を進むと小さな広場にコンクリート製の拝所が見えてきます。右の石碑には『上江州殿』と銘があり、左の石碑に『火神』の銘があります。色水晶の様な石がありました。香水でもかけてあるのか不思議な匂いがしました。広場の奥には井戸跡もあります。その側に小さな道があります。道を進むと左手に大きな岩があって石製香炉がありました。古墓の様な印象もあります。更に進むと上江州神屋(
豊見城(とみぐすく)市字渡嘉敷(あざとかしき)にある渡嘉敷公民館横の広場の一角に1基の石製シーサーが設置されています。広場に行くとすぐにシーサーと出会えます。近付いてみます。シーサーは琉球石灰岩でできています。口を斜め上に開いているみたいな格好です。小さな丸い目と鼻もあります。反対から見てみると穴が空いています。これは風化作用でできたのかな?。後ろから見ると穴がよく目立ちます。案内板によると元々はここから少し上の集落の中心に設置されていましたが現在はここに移されました。通常のシーサ
七羽黒巡りラストは上羽黒神社です本殿が文化財になっています道路の脇にあるのよ割と交通量は多いです境内はそれほど広くはないですがきれいに整備されています茨城県指定文化財です天門の上羽黒神社下館の下羽黒神社に対して上羽黒神社と呼ばれています八代目藩主が息子の息災、延命、武運長久を祈願し建立
牛久市に来ていますここは観音寺文化財がたくさんあるので見に来ました山道を走らせ到着しましたたくさん書いてあるわイチョウが飛びぬけて大きいです仁王門も見えますが仁王門だって小さくはないですイチョウがとても大きいだけ着いた仁王門だ阿形像眼力すごっ