ブログ記事2,048件
〇〇代表のつづきです。前回、私の〇〇代表精神について書かせていただきましたが、もう一つ大切なことを忘れておりました。私の父の言葉を書いて後でふと母の口癖を思い出しました。母はいつも言っていました。「誰が見ているかわからない」「誰の目に止まるかわからない」だからキチンとしなさい。親の顔が見たいと言われないように。誰も見ていないと思って悪いことをすればバチがあたる。↑この言葉を何十年も叩き込まれたら、もう染み付いてしまいます。。。(マインドコントロールですね。)しかし、この教え
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その1「古史古伝」と聞くと、皆さんはどういうイメージが浮かぶだろうか?「古史古伝」には「竹内文書」「宮下文書」「秀真伝」「上記」「東日流外三郡誌」など代表的なものがあるが、だいたい筆者の周囲の古代史好きな人間であっても、「あぁ偽書のことですね」とか「ヤバいやつですよね」などといった反応が返ってくる。特に「竹内文書」(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ)と聞いたとたんに「トンデモ本ですよね」でおしまいとなる。こういう反応をする方に限って読んで
3月21日で橋本コレクションも終わりとなるので、今日、もう一度、印版手を見て来ました。今日は、文献ありきで作品を見ることにしました。最初に挨拶文に、印版手は「時代を打つ鏡」、「時代を秘めた玉手箱」と書かれています。今回のコレクションを見て、私的には「歴史の証人」と思ったのと同時に、日本の歴史教科書で明治以降の説明の軽薄さが嘆かわしく残念に思いました。私自身、教育勅語を見るのは初めてです。説明にある通り、本来の日本の在り方です。前回にも触れましたが、教育勅語の背景が、上の写真にある印版
永禄11年(1568年)10月、織田信長は足利義昭を奉じて上洛します。京の貴顕が手土産を持って宿舎を訪れます、茶器とか刀剣とか高価な物を献上する人が後を絶たないなか、連歌師の里村紹巴は白扇二本を献上します。その寓意を察した信長は、「二本手にいる今日の喜び」と詠みます。七七の下の句を先に言っていますからこれは前句付けになります。「舞ひ遊ぶ千世万代の扇にて」と里村紹巴が付けます。信長が読んだ句は、「日本手にいる京の喜び」であり、二本と日本が、今日と京が掛け言葉になっているわけです。
皆さま、お元気様です!きぼうです。(最近この言葉を知りお気に入りです。)こ・ん・な・秋色ブーケ、ロマンティック結婚式に秋が人気なのは晴れの日が多く天候が安定しているから、連休で集まりやすいから、だそうですね。ホ~「神から(親から)許され、与えられた方だから愛するのか、自分で自由に選んでその方を神に(親に)許してもらうのか?」前回の記事写真から「きぼうさんって、ザビエル?男性?」すごいご質問頂いたのですが長年の
最近,教育勅語に関する議論がかまびすしいですが,不毛の議論が多くてイヤになります。このような教育勅語ですが,教育勅語には,比較的容易な英語で書かれている英語版(明治40年文部省発表)が存在することを知る人は,非常に少ないです。明治40年というと,いわゆる”坂の上の雲の時代”。国粋主義一辺倒の時代ではありませんでした。この世相を反映して,教育勅語の解釈の,国粋主義一辺倒なものはありませんでした。金子堅太郎がニューヨーク・カーネギーホールで講演をしました。この講演で金子子爵、教育勅語(と軍人勅
◎GHQGHQは、連合国最高司令官総司令部のことである。GHQは、1945年~1952年の7年間も占領を行っていた。GHQは、学校教育、テレビ、新聞に介入していた。GHQは日本の歴史を捏造して、自虐史観を教えるように指導して、アメリカなど外国を批判する教育を禁止した。GHQは、日本史の全ての時代を悪く書き換えて、子供達に自虐史観教育をさせる。GHQは、政治にも介入する。戦後教育を大きく変えてしまった。愚民化政策であり、弱体化政策である。GHQが行った事は、悪い意味で成功した形で