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5度目の入院の時、私はもう18歳だった。本当なら大人の扱いで、精神科に入院になるところ。でも長い間その小児科で診てもらっていたのと、当時の病状が病状なだけに特例でまた小児科への入院となった。入院中に年越しを迎え、28kg程度まで体重が回復したところで退院になった。そしてすぐ、別の大学病院の精神科に入院することになった。私はビクビクしていた。当時の私は、精神科は怖いイメージがあった。身体拘束は必ずされるものと思っていた。部屋に鍵をかけられるのが当たり前と思っていた。しかし実際
中学3年生になって最初の身体測定。その前は153cm38kgだったけど、身長は変わらず34kgになってた。その数字を見た当時の感想は、驚き。そして後から嬉しくなった。必死に運動したり、食事を制限したりした成果が明確な数字として現れた感じがした。テストの点が高くて順位も良かった!そんな気分。私は自分に自信が無かった。だから勉強だけは人一倍やって、試験の学年順位はだいたい1位だった。…けど、それだけ。特別に仲良しの友達はいなくて、自分は嫌われてるかもしれないっていつもビク
単なるダイエットかな??ダイエットにしては、スッキリし過ぎじゃないかな??と思っていた、摂食障害かどうかもわからなかった初期の頃。娘が今でも何度も話していることがあります。🐥「痩せ始めた頃はね、勉強も捗るし、いろいろなことにやる気が出たの。お友達ママにも綺麗になったね💕って言われたり。」痩せ始めの5キロくらいまでは、このような症状が出る事が多いようです。ここで自信がつき、もっと痩せようと思い更に痩せていくと疲れやすくなったり集中力が切れてきたり、、、この辺りで、
摂食リハビリの入院の初診診察にやっと行ってきました~初診の予約ですら、2ヶ月待ちでこの日を心待ちにしていました(´;ω;`)ずっと入院するべきか悩んでいましたが、悩みながらも80%くらいは一緒に入院して頑張ろうと決意していました。これからお世話になるであろう病院は、茨城県にある茨城県立医療大学付属です病院名を伏せようと思っていましたが、今後誰かのお役に立てればと思います着いて、初診用窓口で手続きを済ませ、鬼のように長い問診票を記入これが、初診の時は毎回大変(´;ω;`
会話が無い。必要最低限のやり取りはしても、目も合わせない。食事の時間はまるでお通夜。私の食行動が原因で怒られてばかり。家族との、そんな日々。私さえいなければ。私はこの家のただの穀潰しで、要らない人間。何をしても怒られる、生きるのがツラい。この家にいたくない、いられない。ある日私は、家出をした。家を出たはいいものの行き先の宛もなく、でもとりあえず人の多い所へ行こうと思った。大量の荷物を持って、電車で東京へ。初めての街を、とにかく歩いた。気づけば辺りは暗くなり始め、初冬の
ただ今、義実家に帰省中です嫁の仕事は依然としてたくさんありますが、もう20年以上も経つと慣れてきて適当に力を抜きながらこなしています娘が摂食障害になった時。帰省すると、特に義母からは、娘が摂食障害になったのは母親である私の責任。と、言葉では言わないものの、ちょっとした言動や雰囲気で私は感じていました💦義母「実鈴さんが仕事していたからさみしかったのよ」義妹「ちゃんと頑張れば治るんじゃないの?どうして治らないの??」義母「こういう病気は遺伝もあるって話も聞くわよ」心配で話して
こんにちはこじらせ摂食障害を卒業して家族も自分も自分も愛せるママに♡子育て×摂食障害克服サポーター川崎あやえと申します‼↓公式LINE↓からは克服に役立つワークや夏から開始の継続サポートのモニターさん募集の詳細をお届けします友達追加してお気軽にプレゼント第一弾もお受け取りください実践ワーク第2弾も作成中です♡摂食障害カウンセラー摂食障害克服サポーター摂食障害カウンセリング♡沖縄へ3泊4日の家族旅行に行ってきまし
摂食障害を完治して幸せな家庭を築く女性を増やす!摂食障害"完治専門"カウンセラー姥澤美沙(うばざわみさ)です!摂食障害を治すためには…素敵な食事、素敵な暮らし素敵なライフスタイル素敵な夫婦関係、素敵な職場・仕事素敵な人生…それ本当かな?「こういう事を叶えたら治る気がする」「沢山の人に認めてもらえそう」「こういう事ができたら自分のことスゴイって思うことができるかも…」そんな想いで動
マイルール①過食嘔吐以外で食べていいものスルメ枝豆プチトマトガムハイチュウ飴小魚アーモンドのお菓子チーズきなこ②体重計は毎日乗る③飲み会のあとは過食嘔吐必須④お菓子の170キロカロリーは食べられるのにおにぎりは無理⑤会社ではチューチングで我慢結構バレずにイケてる⑥400g太ったときはタイトデニム禁止