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2016年5月の目覚ましい回復の振り返り投稿です。この先数日間、振り返り投稿になります。(2017年のblogの5月は、発病当初を振り返り発信しているのが数回ある事が私も確認できた)8年前の5月は私にとっては、毎日が奇跡の連続でした。寝た切りで目もほとんど開けず、静かな病室で長女の寝顔をただただ見つめてた。寝た切り宣告を受けてから50日経過した頃。急性期病院からの転院を促され、リハビリする病院も見出だせない、在宅介護と通院リハビリを説明されてたっけ⁉️。寝た切りの8歳の長女と4才の次女がいる生
私たちが沙希さんと出会ったのは、このアメブロでした。沙希さんは、抗NMDA受容体脳炎とは何か?高次脳機能障害とは何か?わからないことだらけでした。だけど、沙希さんは前に向かって歩み続けました。ヘルプマークの普及啓発活動も、こんなに頑張っています。あなたの声がチカラになります多目的トイレにヘルプマークの掲示を!www.change.orgまた、風神雷神さんのグループLINEでも、高次脳機能障害のことをわかりやすく、伝えてくれています。出会った頃より、ものすごく、回
今日はシャワー浴と聞いたので転院前に娘の院内散髪を予約していたいつも通り会いに行くと風呂上がりで疲れた顔その後可動域リハビリで泣き叫びここまではいつも通りしばらくすると酸素がいきなり70台にさがりアラームが鳴りまくり機械の誤作動とかで大抵すぐ酸素は97とかまで上がるんだけどなかなか上がらなくて本人は顔色も悪くないし痛がる風もなく看護師さん達が駆けつけてくれたけど気管切開とかも閉じてるから本人に口開けてー息すってーと話しかけるけど自閉症も相まって伝わらず
胃瘻手術部が浸出液があり消化器外科の当直の先生に見てもらい薬を塗ってもらい夜の注入を見守っていたら力みだしたので便がでたのでナースコールでお願いして待ってたらいきなり嘔吐量がすごくてとにかく急いで気道確保だとベッド柵の存在を忘れ娘の顔を横にする為にガバッと行ったら柵であばら骨強打_(›´ω`‹」∠)_少し血の色をした吐瀉物だったから気になり報告苦しいからうわぁんと泣く姿にママも辛さが伝わりうるうる着替えやら手伝わせてもらい調子が悪いのを知っていて帰
抗NMDA受容体脳炎の治療が終わると再発予防に免疫抑制剤を最低1年は飲まないといけないとシクロホスファミドの治療を途中で辞めた後言われ服用を開始したんだけどいろんな免疫抑制剤がある中娘にはセルセプトと提唱があるとその副作用の下痢か以前なった尿路感染症やいろう増設時の抗生剤を使うことによる免疫疾患の患者がなりうる下痢を引き起こす感染症か疑わしいとなり検便下痢を引き起こす感染症の検査は陽性:(´⊃ω⊂`):すぐに投薬治療始まったけど2週間しても下痢が酷ければ免疫抑制剤
昨夜、日テレの番組を観て、長女の発症の最初の1ヶ月を深い部分で私自身の記憶が蘇って来た。激しい顔面の不随意運動がステロイドパルス療法を投与してから起こってた。眉や目、口を中心に普通では動かない筋肉を激しく動かしてた。ぎょっと見開いたり、口を変な形で連動させたり…。狼人間が狼に変身するかの様な形相をしたり…。ただ悲しい迄の変貌ぶりに先の不安だけを感じてた。右手と右足だけが、不自然に暴れまくってた。左半身は全く動かず反応も無かった。動かないのを利用して輸液を送る為に主に左側は使用した。右手は
昨日、今日と久しぶりに母の介護から解放されて、保育園に出勤できた。やっぱり癒される、元気が溢れる世界は心のオアシスでした❗5月に入って母のお世話をメインに動いてた。1年前の5月は変化の目覚ましい月で、毎日が喜びと驚きに満ちていた…そんな記憶を動画で改めて確認してみた。2016年5月2日「寝返りができる❗」5月5日…少しずつ起きている日が続く5月6日…2か月ぶりに妹と再会、表情が出て来たが妹を認識せず5月7日…皆の声が聞こえる。懐かしい声や音に反応している⁉覚醒して来
昨日の夜たくさん吐いたから心配しながら病院へ看護師さんに聞いたらあれから安定してるとのことでホッ連休中はPTさんが休みなので優しく可動域リハビリを看護師さんがしてくれなんだか今日は具合が悪い子が多いみたいでなかなか娘の注入ご飯は来ずママはいろんな顔芸をしてどうにか反応しないか頑張り続けた🔥するとどうやら唇を震わせながら喋ると面白いらしくたくさん笑ってくれた(߹꒳߹)♡♡ずっとしてたらすぐ飽きられて笑わなくなり←え明日また違う顔芸をしようかな部屋の
最近深いため息をよくつくねと旦那さんに言われた本人にいうわけにもいかないのでブログにアウトプット娘が倒れて息をつく間も無く治療の決断や付き添い辛いことの連続だった治療が終わり回復をリハビリをしながら待つしかないという現状に今までのとてつもなく痛い思いをさせないで済むという少し張り詰めていた気持ちが和らいだため息と転院したら毎日会えなくなってしまう寂しさと辛さともちろんリハビリがしっかりできる場所だから転院した方がいいのはわかっているただ苦しい時悲しい時涙すら拭い
今日の記事はずっと以前の記憶に基づく臨床経験の話である。今日、朝から2020年にフランスとポーランドで共同制作された「KubrickbyKubrick」と言うドキュメンタリー映画をテレビで観た(録画)。その時、急に興味が湧きスタンリー・キューブリンクのWikipediaを読んだ際に思い出したものである。このドキュメンタリー映画はNHKのBS1で放映され観た人もいるかもしれない。スタンリー・キューブリック-Wikipediaja.wikipedia.org今回の記事のイン
長女は1年前の3/7(月)に入院して7日目の(日)に意識を消失した。曜日で数えると正に1年前の今日。入院してい最初の1週間が私の闘いの始まりだった。脳に異常が起きていると本能で感じ取り、入院して直ぐに「脳波を撮って欲しい❗」と回診に来るドクターに懇願しまくった。ナースステーションにも懇願に何度も足を運んだ。ただひたすら「急性期治療をお願いします。今なら娘の人生は取り戻せるんです❗脳波を撮って下さい❗」とお願いしまくった。母の私の出来る事は、ドクターに急性期治療をして貰い、手遅れにならないで
さ2024年4月30日(火)長女の高校2年生になって4月が終わろうとしている。長女の新学期は、前年の再現のように悩みも尽きる事なく、長女らしい悩みを抱えながら、良くも悪くも長女らしくスタートした🏫🌸。新学期開始と共に、修学旅行のグループ決めに翻弄され、ストレスを抱え溜め息の連日だった。長女の仲良くしてくれていた友達が3人も退学していて、修学旅行のグループ決めが長女の憂いの原因。勇気を出して、昨年遠足でグループ活動をした仲間のいるグループに混ぜて欲しい❗と行動を起こした長女。だったが…⤵️。
いつもお読みいただき、ありがとうございます🤗みなさまは抗NMDAR抗体脳炎という病気をご存知でしょうか?記憶があやしいのですが、以前、この病気をテーマにしたドラマか映画があったように思いいます。この病気は卵巣奇形腫に随伴する傍腫瘍性脳炎であり,NMDA受容体の細胞外成分に対する抗体(抗NMDA受容体抗体)を有する自己免疫性脳炎です。自己免疫性、というのは、自分で自分の体を異物とみなして、攻撃する病気です。この病気は、若い女性に起き、かなりひどい精神症状を起こ
色々悩みすぎてパニック発作に比例して頓服の量が今日は今までで最大保てない色んな意味でこんなのはじめて状態夕方やっと娘の病院に行けそうになり会いにほっぺを撫でたり話しかけたりあんなに苦しかったのに温かい娘の体に触れるとなんだか悩みなんてどうでもよくなってホロリ(߹꒳߹)そんな日に限って3月まで担当してくれてたベテラン男性看護師さんが今日は担当だと血圧測りに来てくれ世間話来年で看護師になって20年らしいスゴすぎる続けるって大変だもんねそんな看護師歴の長い
8年前の振り返り投稿抗MNDA受容体脳炎の情報が必要な方に、希望となれば嬉しいです。重度寝たきりの宣告を受けても、元気に日常生活を過ごせる迄に回復する可能性は無限にあります❗2016年3月(入院2~3日の頃)急性脳炎の疑いで入院、意識が無くなる数日前この笑顔がもう見れない❗と、2016年3/14(月)には、泣き崩れてた。それが、美味しい物を自分で食べれる、身体も自由に動く、8才の小学生が16才に成長でき、高校生になれた。写真は、小6の夏中学卒業アドベンチャー高2の4月ネバ
夕方からなんだかママ体に違和感疲れてるのかなきついなーと体感娘は胃瘻から注入がうまくいきだしたみたいで少し安心だけどなんだかママはもやもや色んな人と毎日話をする中で今日は疲れちゃったな早めに寝ようかなと思いますストロベリームーンだと聞いたのでパシャリストロベリーには見えないけどなんだか優しい光(´`)お月様私の疲れを取ってください←おやすみなさいませー(˘ᵕ˘)
朝からママおなかがいたたたかかりつけ医の日だったので先生に相談すると血液検査炎症反応なし持病の過敏性腸症候群つらいいやはやつらいほぼ毎日腹が痛え頓服飲んで娘の元へ≡(⊂ˆωˆ)⊃お尻の荒れが可哀想すぎて担当医に相談したかったんだけど早退してしまったらしく話せず先生の指示がないと看護師さんも色々変えれないからぐぬぬ皮膚科が明日来てくれるみたいだけど痛々しいどうにかならぬものか:(´⊃ω⊂`):いつもは放課後デイサービスに行く息子も今日は休みたいと朝教え
すごくリアルな夢を見た妊娠をしてお腹の赤ちゃんを守らなきゃと守る夢気になって夢占いで調べたらな、なんと!そして続きがありましてこ、これが当たってくれるなら娘の治療がいい方向に行くんじゃ(߹ᯅ߹)♡と勝手に解釈!wwとりあえず息子の抜糸に行ってきます
50シーンイラストでわかる高次脳機能障害「解体新書」―こんなときどうしよう!?家庭で、職場で、学校での“困った"を解決!Amazon(アマゾン)高次脳機能障害『解体新書』著者を入力あらすじ高次脳機能障害を負っても見た目は普通に見えてはいるが、実際は本人も家族もサポートする方もどのように対応すべきか正しい知識を持たずに漠然と後手後手の対処をするしかない毎日の生活を送っている人がたくさんいると思う。相談したくても誰に相談するべきなのかも分からない現状。この本はこの病気に直面して
注入の量が増え便の回数が増え出しまたお尻が荒れてきた娘どうしても液体をいれるからうんちはそれなりのものしかでない休み明けに先生に相談してみよう聴覚過敏がもともとあって耳をよく塞いでたんだけど手足がまだ自由に動かせないからかまだそこまで体的に回復してないからかいつも同じ場面しか見なかったアンパンマンのアニメをスマホでずっと流しても泣いたりとかなくジーッと見てる我が子聴覚過敏だった頃からは考えれないこれは大快挙!入院仕立ての時も耳塞いだりしてたのにまさか今回の病気で聴
辺縁系脳炎抗NMDA受容体脳炎これからご家族やご自身がなってしまった方へまだまだ娘は治療中です重体の位置づけとされた娘との治療過程や医師とのやり取りが誰かの小さな光になりますように重要な治療な記事を固定化しました興味のある方はご拝読してみてくださいそしてお医者様は常にリスクを患者さんにリスクヘッジも兼ねて説明しなければいけないご職業だと私は思います医師がいう人工呼吸器が取れない歩くことは無理だろう一生寝たきりの可能性が高いなど聞いた側は絶望する言葉が多いです言
昨日ママとパパが帰った後咳き込みの威力がすごくてまた胃菅が、、抜けたらしく嘔吐もあったけどベテランさん達のおかげで誤嚥はならずにすんだようて今日はゆっくり足浴をしてモミモミ端座位のリハビリも予定してたけどリハビリ中にうんちが出始めたので長座位に変更!長座位のキープ5分クリア(߹ᯅ߹)♡バイタルもよしでもリハビリ前に吸引したりで嘔吐予防が必ずいるので吸引せずだと吐いちゃう終わってゆっくり寝顔を見ながら頭を撫でてたらなんだか色々思い出してうるうるどこ
抗NMDA受容体脳炎とはNMDA受容体を介する自己免疫機序によって生じる脳の炎症性疾患症状として記憶障害、傾眠、人格変化、てんかん発作、意識障害等が現れる。従来の急性期の治療①ステロイド療法(点滴②免疫グロブリン療法(点滴③血漿交換療法(ICUにて透析の機械をつかう)第一選択として①〜③が世界的に推奨されている。軽症患者の場合①が効いて回復する場合がある。①〜③をしても効果が乏しい場合次の段階を考える必要がある「リツキシマブによる治療」リツキシマブは免疫を司るB細胞とい
みんなの回答を見る久しぶりにまた病気のことを振り返ってみようかなと思います。抗NMDA受容体脳炎という珍しい病気になって3ヶ月意識が無くなり、目覚めてからもう4年が経ちました。当時のことはまったく覚えていないけれど、今に至るまでの経緯は、記憶に蓋をしたいくらい辛いこともたくさんありました。でも、こうして元気に元通りの生活に戻れたことは、たくさんの人の助けと自分の頑張りがあってのことなので、全ての記憶をまっさらにはせずに、きちんと覚えておきたいなとも思います。意識が戻らない可能性、障害が
昨日迄仕事を休んで母を中心にして動いてた。病院へ付き添い、今後を病院や地域包括支援センターのアドバイスを取り入れて、母の気に入るデイケアを探す方向となった。一先ず一区切りです。大急ぎで、長女の足のメンテナスに受診し、そのまま実家に兄弟会議の為に直行した。車中でおかかごはん弁当を食べさせ、帰宅してからオカズを食べる事にした。姉妹は、実家近くの小学校の校庭で適度に遊べてご機嫌でした。その間、私と妹で母の今後を話し合いを進めて7時に帰宅した。母の夕飯を届けるついでに、校庭で遊ぶのも有りかも。
今日は、母の事を兄妹&兄嫁に託して、カナダから来日した友達と8年ぶりの再会出来ました。もう嬉し過ぎて大騒ぎをしてしまいました。担任の先生とも上手く調整が出来て、母校にて再会出来ました🎵長女は、昨夜は頭痛を訴えて居ましたが、元気に夕飯も食べてデザートも食べて寝てくれました🎵この2日間、精神的にも安定しています。2016年5/7「リハビリ座位を保ちながら首を立てる」始めは不安な表情でしたが、支えて貰えて何とか頑張りました🎵。
とにかく目まぐるしいかった5/11眼科受診、剥がれた角膜除去嚥下指導スタート5/12膝立ち練習5/14手先が器用になり手先をミトンで拘束鼻の栄養の管を抜くのとにかく素早い。意識があると気持ちが悪いのが分かる⁉5/16椅子に10分座らせる「トトロ」を1時間位集中できた。DVDを観ながら、手遊びするピアノを5本の指を使って弾く🎵
昨夜は、私が母の事で電話で兄弟やらデイケアのスタッフと話す時間が長時間になってしまい寝る前に荒れまくった。読み聞かせの本を次女が触ったと騒ぎ、もはやいちゃもんの連発でグズグズ。私は何だか悲しい気持ちの夜で締め括りました。本当に一進一退です。そして、1年前の5/11は…「午前中はずり這い状態でした。」「午後は音楽に合わせて座位で自然に踊っていました🎵」この頃、移動もいつの間にかしていたのですが、頭の中に歩く記憶があるようで立とうとして、あっ歩けないんだった…みたいな仕草が見られました。
朝からゆっくりと読書を楽しめました📕。その他に職場の主任さんから介護についての新聞切り抜き記事を頂いたのを読み漁った🎵。私が認知症で苦しんでいるのを知ってから、過去の記事を拾い集めてくれたその優しさにジーンと来た。いつも温かい眼差しで支えてくれる職場のスタッフの心地良さに救われた朝でした。姉妹はテレビを観たりじゃれあってたので、その隙に「8年越しの花嫁」を一気に読破出来ました。家族愛無しでは、乗り越えられない長い年月を費やした闘病の日々。脳死と1歩間違えたら恐ろしい事態になってた…と書