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昭和に起きた教師・指導者による暴力事件②戸塚ヨットスクール事件①ーどういう事件だったか愛知県でPTAが体罰の合法化を求める運動を行なっていた1982(昭和57)年、同じ愛知県の知多郡美浜町に戸塚宏が校長として設立した「戸塚ヨットスクール」では、訓練生が行方不明になったり死亡する事件が相次いで起きていた。まず、奄美大島での夏合宿の帰りに、水谷真さんと杉浦秀一さんという15歳の高校生ふたりがフェリーから飛び込んで行方不明になり、のちに死亡と認定された。柿沼・永野『学校の
戸塚ヨットスクール事件前回のブログで、次もリクエスト企画にしますと言いましたが、図書館が2週間休館になっていて新聞記事を取りに行くことができませんでしたその間に、以前に書いたブログと家にある資料をもとにもう一度「戸塚ヨットスクール事件」について書き直しました。戸塚ヨットスクールを知らない世代の方たちにも読んでいただきたく、今回は1回でまとめています朝日新聞(1983年6月14日)【戸塚ヨットスクール事件とは】愛知県でPTAが率先して学校での体罰の合法化を求める運動
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件⑤戸塚ヨットスクール事件④―暴力を正当化する根性論滑りにくく改造した板でスキーをさせる、わざと捕球しにくくしたグラブで野球をさせる.......そのようなことが効果的な練習方法と認められている例などあるのだろうか。ところが戸塚宏は、転覆しやすいようにわざわざ考案したヨットに、何も教えないままいきなり初心者を乗せる「訓練」を、彼の言う「情緒障害児」に強要した。それはもう「失敗から学ぶ」というレベルの話ではない。戸塚は
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件④戸塚ヨットスクール事件③―何が起きていたのか戸塚ヨットスクールで訓練生たちは、戸塚宏やコーチからどういう「訓練」をされていたのだろうか。。。1982(昭和57)年、雑誌『FOCUS』4月16日号が「先生、死にたくないんです!戸塚ヨットスクール〝しごき〟の現場」という記事を掲載している。この年には、先のブログで書いたように、戸塚ヨットスクールの2人の高校生が夏合宿帰りのフェリーから太平洋に飛び込んで行方不明になり(後に死亡と認定)、また年の瀬には
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件③戸塚ヨットスクール事件②―力の魔力戸塚ヨットスクールで戸塚宏やコーチが大半は未成年の訓練生たちに具体的に何をしたのかを見る前に、暴力についてもう少し考えておきたい。「暴力反対」と言うと必ず、「どんな時でも暴力は絶対にダメなのか」というツッコミが入る。「暴力」とは、殴る蹴るといった身体的行為だけでなく、「力によって相手に自分の意志を押しつける行為」すべてを指しているのだが、私はいついかなる場合にも暴力を否定するものではない。社会
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件⑥戸塚ヨットスクール事件⑤卒業生が殺人者に!!—暴力は暴力を生んだ!「体罰は、『進歩、進歩』と子供の進歩を思いやりながらやる。単なる暴力とは違います」と戸塚宏は言う(『週刊朝日』2006年5月19日号、「あの戸塚宏が帰ってきた!」)。「しつけのつもりだった」という子どもを虐待死させた親の言い訳とどこが違うのだろう。暴力を「進歩、進歩」「しつけ、しつけ」と念じながら振るいさえすれば「単なる暴力」ではなくなり、それで命が奪わ