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昭和に起きた教師・指導者による暴力事件⑥戸塚ヨットスクール事件⑤卒業生が殺人者に!!—暴力は暴力を生んだ!「体罰は、『進歩、進歩』と子供の進歩を思いやりながらやる。単なる暴力とは違います」と戸塚宏は言う(『週刊朝日』2006年5月19日号、「あの戸塚宏が帰ってきた!」)。「しつけのつもりだった」という子どもを虐待死させた親の言い訳とどこが違うのだろう。暴力を「進歩、進歩」「しつけ、しつけ」と念じながら振るいさえすれば「単なる暴力」ではなくなり、それで命が奪わ
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件④戸塚ヨットスクール事件③―何が起きていたのか戸塚ヨットスクールで訓練生たちは、戸塚宏やコーチからどういう「訓練」をされていたのだろうか。。。1982(昭和57)年、雑誌『FOCUS』4月16日号が「先生、死にたくないんです!戸塚ヨットスクール〝しごき〟の現場」という記事を掲載している。この年には、先のブログで書いたように、戸塚ヨットスクールの2人の高校生が夏合宿帰りのフェリーから太平洋に飛び込んで行方不明になり(後に死亡と認定)、また年の瀬には
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件②戸塚ヨットスクール事件①ーどういう事件だったか愛知県でPTAが体罰の合法化を求める運動を行なっていた1982(昭和57)年、同じ愛知県の知多郡美浜町に戸塚宏が校長として設立した「戸塚ヨットスクール」では、訓練生が行方不明になったり死亡する事件が相次いで起きていた。まず、奄美大島での夏合宿の帰りに、水谷真さんと杉浦秀一さんという15歳の高校生ふたりがフェリーから飛び込んで行方不明になり、のちに死亡と認定された。柿沼・永野『学校の
風の子学園事件1991年10代の少年少女2人がコンテナに閉じ込められて亡くなった「風の子学園監禁致死事件」から7月29日で33年が経ちました。このブログでは、2022年に4回に分けて事件を取り上げましたが、今回、その後に入手した新聞記事などの資料を増補、文章も大幅に書き直して1回にまとめた改訂版を作りました。【コンテナでの少年少女の死】朝日新聞(1991年7月30日夕刊)中国新聞(2021年7月28日)1991(平成3)年7月30日午後9時半ごろ、広島県三原市の
戸塚ヨットスクール事件前回のブログで、次もリクエスト企画にしますと言いましたが、図書館が2週間休館になっていて新聞記事を取りに行くことができませんでしたその間に、以前に書いたブログと家にある資料をもとにもう一度「戸塚ヨットスクール事件」について書き直しました。戸塚ヨットスクールを知らない世代の方たちにも読んでいただきたく、今回は1回でまとめています朝日新聞(1983年6月14日)【戸塚ヨットスクール事件とは】愛知県でPTAが率先して学校での体罰の合法化を求める運動
僕は、体罰は嫌です。痛いし、怖いから嫌です(爆笑)先日の、戸塚ヨットスクールが取り上げられた番組を見ましたか?番組が終わってから、1時間モヤモヤとしてしまいました。すごく、怒りを感じました。何が許せないかというと体罰する側が、生徒を見下しているのがめちゃ気に食わない人間が作り上げた、社会に合わなかっただけなのにその生徒には、優れた部分があるかもしれない。
続きです。全てに当てはまるわけではありませんが、心を閉ざして引きこもる人の心理状態は、「自己否定感・恐怖・逃避」なんです。この場合は、まずは話を聞いて感情を解放させる受容されるという経験を重ねる自分を認める訓練をするといった、母性的なケアが必要です。というと…?厳しさは、「父性的な愛」なんです。番組中、本仮屋ユイカさんが、「愛ってなんですか?」の問いにこう答えました。「許すこと。認めること。受け容れること。分かり合おうとする努力」おお~≧(´▽