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こんばんは。文章が全く思いつかなくて、取り急ぎいつもこのブログを読んでいただいているみなさまにお伝えしたく書いています。2025年4月12日午前6時42分夫が旅立ちました。昨日『お別れ会』という形で亡夫を見送りました。その辺も後日書けたら良いな。夫さんたくさんの愛をありがとう夫さんと出逢えて毎日が本当に幸せでした願うことならおじいちゃんおばあちゃんになっても一緒にいたかったな今はここまでに留めておきます。落ち着いたらまた書きますね。
水頭症の手術から2日後、未だICUで過ごしていたるケー君でしたが、頭痛から解放されたお陰でスッカリ良くなった気でいました。ICUの看護師さんにも・・・ケー君ボク今年、受験生なんですよぉこれから冬休みが終われば、いつも通り学校に通って受験を受けて4月には高校生になる気でいました。そんな我が子に・・・「あなたは”小児がん”で、今年の受験は諦めて辛い闘病生活が始まるんだよ」この時点では、ケー君に伝えることが出来ませんでした。『混合性胚細胞腫瘍(ジャーミノ
明日、夫(癌患者)の身内を集め漁業協同組合の地区事務所の会議室を借り、現状を話すことにした。各家庭1名を集め。何でや?いつからや?これからどうなる?何でも言うてくれ!見舞いに行くって言い出すだろう。今日私(患者家族)がこれから夫の見舞いに行く。地曳網は◯◯さんに任せたい、船の操船はこれまでこのブログに何度か登場した義弟(三兄の嫁の弟)に任せると言っている夫。アナタ達のことなど信用してもいない。明日集める身内の見舞い、受けるか確認して、誰にも会いたくないとなれば
2024年6月25日(火)、脳腫瘍摘出手術に向けて脳神経外科病棟へ再入院することになったケー君。この頃のケー君は、脳腫瘍の影響で・・・目は自由に動かせない(左瞼は閉じたまま)1日ほとんど寝ているそんな状態になっていました。そのせいもあると思うけど「脳を開いて腫瘍を取り除く」という、これから自分の身に起こる、常軌を逸するような手術を前に緊張して、表情は硬く笑顔はありませんでした。『闘病日記-14-:手術までの恐怖の日々』2024年6月、これまで続けてきた抗がん剤に耐性を
2024年5月、新しく留置したCVポートで、4回目の投薬が終わった頃、この時期のことを思い出すのは今でも辛い・・・入院当初8000ng/mLもあったAFP(腫瘍マーカー)が、10台まで下がっていて“このまま腫瘍が消えるんじゃないか”と、ひそかな期待を裏切られた時のお話しです。これまで投薬をするたびに、AFPが半分もしくは10ng/mLくらい下がっていたのに、4回目の投薬以降、1ng/mLから0.5ng/mLくらいしか下がらなくなったんです。『闘病日記-12-:新しい命綱CV
今年もMISUGIYAさんのご厚意で骨髄バンクランナーズが集結し、小野マラソンを走らせてもらいました!!今年は、なかなかラントレの時間が確保出来ずコンディションを作れないままに出走昨年度よりも3分ほど時間がかかったけれどとにかく完走は出来ました!今年も、小野マラソンを走るつもりで準備してたコウタは残念ながら二週間前に部活で軽い骨折固定が外せず今回は応援!同じくハーフ出走予定だった次男は、感染性の疾患で前々日から嘔吐を繰り返し欠場せっかくのご厚意での出場に、本当に申し訳な
耐えられなくなって、夫(癌患者)の前で、泣いてしまった。風呂入ると言い続ける夫、退院してから今日で8日目、シャワーは一回、あとはベッドに座らせ、私(患者家族)が温かいタオルで、夫の身体を拭いていた。一回だけ浴びたシャワーも本人は何もできず(タオルでこする、シャンプー使うなど全くできない思い出せない?状態)短時間でも、しんどいと言う始末だった。今回は、どうしても湯船につかると言い続ける。私は、腹を括って、風呂にお湯をはり、脱衣所すぐにバスタオルを敷いた椅子を置き、体温計、