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インフルエンザで体調を崩しておりました。療養中は思いかけずの嬉しい事もあったりの中、それでも考える事は次男の事ばかり。相変わらずの後悔の思いと次男の寿命や宿命、人生について。次男はまだまだ、今世でやりたい事があったのでは?とか、突然に人生を終える事になって未来を奪われて可哀想だ‥とか。でも、これは私や遺された家族が一方的に思っているだけで、案外、本人は私達が思っているほど、今ではもう、今世には未練はないのかもしれません‥それはそれで寂しい気もしますが。短い人生だった‥早すぎる‥と思う
出先で自分たちが食べたものは、テイクアウトして息子に供える。ここに息子がいたら、これを頼むかなぁと考えながら注文する。出先から仏壇前に設置しているAlexaに繋いで、「今、□□で●●食べてるよ。お土産買って帰るね」と食べなからビデオ通話で報告。食べることが大好きだった息子。私が食べきれないものをいつも綺麗に食べてくれる息子。その場で、出来たてを食べさせてあげられないことがとても悔しい。帰宅して、温めて仏壇の息子にあげるが、なんとも切なすぎる。これは私の自己満足にな
ここで出会った天使ママのブログに感動して私も始めました三河新四国のお遍路さん巡りロウソクとお線香をあげさせてもらい、息子の思いと、わたしの願いを、心をこめて静かに手を合わせます前に進めなくても、顔を上げていたいと思う息子がお世話になってる目に見えない世界導いてくれるたくさんの存在に感謝しなからとにかく、一つ一つ身体で感じてみたいです
葬儀社:「息子さん、野球やってたんですね。小中高ならそれぞれのチームメイトや保護者の方、近所の方が来られるのでは?ある程度の広さが必要だと思いますよ」私の心:『そうかな?まだ誰にも報せてないし…家族だけじゃダメかな…』一番小さな会場は30人くらいのようだ[Aホール](カタログ上では、収容人数80名)次はその倍くらい[Bホール]。(収容人数150名)さらに大きな会場もあるが、それは社葬など社長や権力者向け。息子は普通の大学生。流石にそれはない。決めかねている私のために、実際
今日の月命日は、あの日と曜日が重なりました。ザワザワした気持ちはあるものの、先日のライブの余韻が残っているのか、幾分か穏やかに過ごせました。次男を見送って間もない頃は、あんなに時が経つのが遅く感じていたのに‥もう20回目になる月命日20回‥1年8ヶ月‥増える数字に悲しくなるので、もうやめようと思いながらも数えてしまっています。それだけ、あちらの世界で逢える日が近付いたのだと思うようにもしています。そろそろ、三回忌の事を考えないといけない時期になってきました。一周忌を執り行ったのが、つ
今日ってエープリルフールだったのですね・・息子の遺影を見てふと思いました。うぇ〜い!うっそだよ〜ん!!って笑って出て来てくれないかな・・そしたら一発引っ叩いて抱きしめてやるのに。もっと笑える嘘ついてよ!
金曜日は息子の5回目の月命日そして、長女の子供の手術の日でした私の初孫になる長女の子供は病気を持って生まれてきました先天性食道閉鎖、口唇口蓋裂、右小耳症です出産中から心拍が弱くなった赤ちゃんは産まれてすぐに大きい大学病院に運ばれましたそして翌日には先天性食道閉鎖の大手術を受けたのですその手術をしなければ生きることができなかった孫ちゃんに生きる道が開かれましたほんとに感謝しかありませんその当時、孫の病気のことでいろいろな情報をネットで探しまくっていましたその中で、ある医師の
小旅行中、長男の見た景色朝がすこぶる苦手だった長男。亡くなる1ヶ月くらい前から突然私より早く起きて暖かい飲み物を飲んで私が起きた時に『おはよ、コーヒーかお茶どっちにする?』って毎朝暖かいの入れてくれてたな。電車が好きだった長男亡くなる1週間くらい前ふと思いついたかのように泊まりがけで見たい電車があると初めてひとりでの、小旅行を計画。ホテルを予約するのも私に全て確認して予約。前日体調悪くてぐったりしてたけど当日は早く出てしっかり楽しんできて、写真を何枚か送ってきてくれて
昨日は、元同僚さん達と飲み会私を含めてメンバー4人ひのえうま生まれは迷信で敬遠されてその年の出生率はガクンって落ちてるんですなのに同じ職場に偶然にも同じ歳(学年)の人がいることで盛り上がってそれぞれに職場が変わっても一年に数回集まってお互いの近況を話し合ったりして楽しい時間をこれまで過ごしてきましたそのメンバーの1人が退職し新しいことを始めるので、労いとお祝いを兼ねて集まった昨日3人と会うのは息子のお通夜以来…そして私が夜の会に出かけるのも息子がいなくなって初めてだ
明日で2度目の月命日私は入ったばかりの仕事を辞めて家に居る22年前、息子の出産を機に、子育てに専念しようと専業主婦を選んだが、あまりしっくりこず、結局1歳になる前から社会復帰した。途中、転職のタイミングでちょっと途切れたことを除いてはずっと働いてきた私が、毎日家に居る。<朝のルーティン>6時10分起床·身支度6時45分息子のご飯(仏壇のお供え)の支度7時15分お供えとお参り7時30分洗濯干しとお茶碗洗い(&夫の起床)7時45分お供えを下げる8時0
4月17日9回目の月命日でした。おーちゃんは中学一年生になりました。卒業式の日に、校長先生がスヌーピーと桜が一体化したピンバッジを付けて臨んでくれたと聞いて、涙が溢れました。おーちゃんも一緒に卒業できたんだなと嬉しかったです。月日が経つのは本当に早いです。あの日からもう9ヵ月経ったのかと…。おーちゃんに会いたい。おーちゃんを抱きしめたい。
職場でネギをもらいましたネギを包もうと古新聞を取ってきて新聞を広げた瞬間かたまってしまう…新聞の日付が息子の亡くなった日こんなことってある???この後からは動揺のしまくり…息子が亡くなった日のこと今でも毎日のように思い出すのに…あの日…朝5時半ごろ、突然のお嫁さんからの電話息子の心臓が止まっていて救急隊の方が心肺蘇生をしているって今から病院に搬送されるって訳のわからないまま病院に車を走らせる救急車より早くに病院に到着ザワザワした気持ちで救急車の到着を待ってた心肺蘇
お嫁さんと孫娘がこれまで住んでいたアパートを引き払ってお嫁さんの実家に引っ越して行きました引越業者さんが来て荷物を運んでいる間私は孫娘の面倒をみていたけれど荷物が全て運び出されてお嫁さんと孫娘も一緒に実家に向かって行きました息子家族が住んでいたアパートの部屋空っぽになった部屋に私一人…何とも言えない気持ちが込み上げてきましたこの部屋のリビングで息子は倒れていました息子には中学時代から続けていたスポーツがあって息子が亡くなる前夜も練習試合をして夜遅くに帰って来たのだそう
♪🎶♪「言葉にできない」(オフコース)先月来てくれた、息子の大学の友人N君が帰り際に教えてくれた。「オレ、最近コレ、聴いてるんです。歌詞が今(の自分の気持ち)と合ってて」♪あなたに会えてほんとうによかった嬉しくて嬉しくて言葉にできない♪…のとこだろうか?運転中だったので、「随分古い曲だね。あとで私も聴いてみるね」とだけ返した(私は運転が不馴れで、会話できる余裕がない)3人の大学の友人(Y君、N君、H君)が夜行バスを使ってわざわざ息子のために来てくれた。今回都合
息子が亡くなってから約半月くらいで仕事に復帰しました。(4時間のパートです)当時は絶望でしかなく、何もする気にもなれず、息子の事だけを考えていたかったので、その時はもういっその事、辞めてしまおうかと思いました。今までの生活や気持ちが180度変わってしまい、心身共に疲弊もしていて、とても仕事が出来る状態ではないのと何よりも人に会うのが怖かったからです。それでも、1日1日が過ぎて行くうちに「このままでは自分は本当にダメになってしまう‥一生外に出れなくなってしまう‥お金もまだまだ、必要だし‥シフ
3月も終わってしまいますね。年が明けてからあっという間のような気がします。通勤バスの窓から桜が満開に咲いているのが見え、去年の今頃の息子との会話を思い出しました。私が「バスで〇〇駅行くまでの間、桜が咲いていて綺麗やねー」と話しかけたら、「そやな。むっちゃ咲いてて、あれ見たら、もうお花見せんでも充分やなー」と息子。今年は桜が満開でも、もう息子はいません‥桜は毎年咲きますが息子の毎年はもう、ありません‥やってきません‥当たり前の明日なんて、絶対なんてないんだという事を身をもって知りました
〜8月の頃〜息子が旅立って2週間が経った頃、息子のスマホに大学時代のサークルの先輩さんから、たまたま送ってくれたLINEの通知がありました。パスコードがわからずスマホは開けないのですが一度だけ通知画面から返信を送る事が出来ましたので息子が亡くなった事と私の番号を返信しました。すぐに折り返しの電話をかけてきてくれたので、生前のお礼をお伝えし、「サークルの皆様方にもよろしくお伝えください」とお話しました。その先輩さんは亡くなる数週間前に息子と会っていたようで突然の事でびっくりされ、信じられな
息子は野球少年でしたチームに入ろうとした途端にコロナ禍が始まったので小学生の頃は思うように活動出来なかったけど制限がある中でもとても楽しそうに野球をしていました。中学では部活ではなく硬式野球チームに入団しました。本人なりにビジョンがあったみたいで高校では甲子園を目指して野球をしたかったみたいです。親から見ても野球バカだなって思う所が多々あって凝り性っていうのもあってグローブやスパイクの手入れやちょっとした修理はYouTubeなどで調べて自分でやってました。そんな息子
葬儀社の方から受け取った、息子の法要日程表をしみじみ見つめる。○○家法要日初七日忌○月○日二七日忌○月○日•••その日が来る度にザワザワしながらお膳用意したりして。「もう四十九日なんだね。あとは百箇日だけなんだ...。あっという間に、たんたんと過ぎてしまった気がする。よかったのかな...」「こういうものでもないと、前に進まないんじゃない?誘導されることにも意味があるのかもよ」と夫。この突然の事態のあと、息子の友人、バイト先の方、その他多方面の関係者と話をし、息子
〜9月の末頃〜息子の勤務先へ挨拶秋の気配。暑いのが苦手な私は毎年、涼しくなるのが待ち遠しかったのですがこの時は夏が終わり、秋がやってくるのを寂しく感じました。次男が確かに生きていて、そして旅立った"夏"が過ぎていってしまう‥そんな切ない気持ちでした。2022年の夏は一生忘れる事が出来ません。四十九日法要が終わった数日後、夫と一緒に息子の勤務先にご挨拶に伺いました。真面目で人に迷惑をかけるのが何よりも嫌う息子でした。急にこんな事になり、あちらで心配で気掛かりだろうと思います
2024.02.13四十九日を迎えた。既に繰り上げ法要をしてもらっていたため、自宅で静かに過ごした。朝からお膳を用意して、頼んでいた大きなお花を飾って、おこわのお稲荷やカラフルなお団子や季節のフルーツタルトやスイーツを買って...息子のマンションに飾ってたものを、同じように仏壇周りに飾った。息子が好きだったであろう音楽を朝から流してあげた。あれからテレビも何もつけていない我が家に久々に音色が響いた。午後からは息子が好きだったアニメの映画を夫と3人で鑑賞した。夜は近
葬儀後の週末は毎週のように泊まりがけで、息子のマンションの片付けに出向いた。夫と二人、毎回、狭いビジネスホテルに泊まった。自宅から離れ、しーんとしたその空間は、どうしたって、息子のことしか想うことはなかった。ある夜、私は「○○○がいないなら私は居る意味がない!○○○のところに行きたい!」と泣きながら夫に訴えた。「俺だってそうしたっていい。でも○○○は喜ばないでしょ!俺は、○○○だったらこんな時どうするかな、○○○だったらどうしてほしいかなって。そう
かわいいガラス仏具で大切な人の思い出を彩る専門店Bee-S(ビース)の住吉です。Bee-Sの仏具はお客さまと一緒に作る仏具ですこんな色が欲しいこんな形そしてこんなアイテムが欲しいそのご要望にお応えしてきました吹きガラスを中心としたお作りをしておりますので遠心力でつくる丸い形のものを得意としています横置きの香炉のご要望をたくさんいただいておりますので、その中でもBee-Sでお作りすると楕円形や方を使って長方形のものとお作りしております横置