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こんにちは、スタルペスです。昨年9月、佐賀県上峰町に伺いました。目的は「都紀女加王墓(つきめかおうぼ、つきめかのみこのはか)」に伺うことです。※「都紀女加王墓」入口です「都紀女加(つきめか)」という方は、「先代旧事本記」では、第15代応神天皇のひ孫で、「筑志米多国造(ちくしめたのくにのみやつこ)」の始祖とされています。筑紫の米多というのは、現在の佐賀県上峰町あたりだということなので、この上峰町を治めていた豪族のようです。私は「都紀女加」という名前なので、て
広島県福山市の素戔嗚神社ちゃんと見ると面白いものが建物屋根付近に鶴と亀(というか玄武)そして手水舎は何故か鬼が支えているこの神社は、鶴と亀の統合を語っているのかしら?また鬼は物部氏を指すとも言われていて、泰氏の神社に物部氏がいる物部氏はかなり歴史が古そうで出雲や近畿の辺りにいて饒速日を祀っていた氏のようです神武天皇の遠征で出雲も近畿も覇権を譲っていますただ、神武天皇は実在しないとも言われており、古事記も年代が怪しいので、物部氏がいつ頃からいたのかは不明です
おはようございますm(__)mペコリ本日は植松八幡宮を参拝した時の事を書いていきますねヽ(゚∀゚)ノパッ☆拝殿前には2対の狛犬様と石燈籠が綺麗に並んていました((o(´∀`)o))ワクワクそちらは後にしてまずは参拝です(人´∀`).☆.。.:*・゚立派な扁額です(≧∇≦)b早速参拝を(ー人ー)パンパン厳かな雰囲気ですねぇ~(ー_ー)🙏おや?由緒書がこちらにもふたつありましたよ((o(´∀`)o))ワクワク明治時代と昭和時代のふたつです(≧∇≦)b幼少期(幼稚園時代
【鹿児島】鹿児島県出水市上知識町の箱崎八幡神社【箱崎八幡神社御朱印帳】【箱崎八幡神社御朱印】「成せば成る(鳴る)幸福に成る(鳴る)大願成就の大鈴」日本一の大鈴伊勢神宮御鎮座2000年今上天皇御即位10年の記念事業として平成10年11月に竣工青銅製で厚さは1センチ直径3.4メール・高さ4メール重さ5トンの大鈴【撫鈴】【拝殿】【御祭神】応神天皇神功皇后武内宿禰【宝
土師ノ里から古市古墳群と六社寺めぐりを開始して、いきなりですが脱線しました以前から気になっていた神社や、MAPに載っている場所は気になるなので結局、この日は目的の半分しか達成しなかったけど後悔はしないでごあす!とりあえず順を追ってアップしていきますこんばんわ味醂です{初めての社寺は名称だけタイトルに♪さて、お次にやって来たのは葛井寺に行く時、いつも電車の中から気になっていた神社澤田八幡神社(さわだはちまんじんじゃ)社標鳥居御祭神は電車な訳では御座いませんナイ
2023年7月2日茨城県桜川市亀岡の香取神社に参拝しました。由緒古来、香取神社は西茨城郡北那珂村大字亀岡の地に鎭座し、村民の崇敬を集める。天保元年二月十八日祝融により社殿を失う。天保十三年三月二十八日再建。明治の初、村社に列する。鳥居拝殿玉垣と本殿右面の胴羽目:神功皇后の鮎釣り神功皇后が新羅遠征のため、玉島里(現在の唐津市浜玉町)まで到達し、河辺で食事を取りました。河にキラキラと輝く魚が群がっているのを見て、神功皇后は針を曲げて釣針を作り、飯粒を餌とし、着物の
今回は神社とお寺の紹介です。細かく紹介する為の写真が少ないのと、それぞれ距離が近いので併せて紹介させて頂きます。まずは安久津八幡神社(あくつはちまん神社)です。山形県高畠町(たかはたまち)にあります。御祭神は、品田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)。他11柱です。国道113号線沿いにあり向かいには道の駅高畠もあります。また周辺はちょっとした公園になっています。国道側から見た写真です。右側の鳥居が入口になります。由緒は、最初から八幡宮だった訳ではなく慈覚大師円仁さんと協力者によって阿弥陀
第507話こんにちは菊水千鳳です前回の日記第505話では、御守りの効果を最大限に発揮させる内容を、第506話では応神天皇さまからパワーチャージ㊙︎方法をお伝えしました。今回は、俺が実際に体験した御守りの奇妙な体験を書いていきます。⛩これは、俺が神社巡りを始めたばかりの、経験が浅い頃の体験です。初めて伊勢神宮にお伺いしたときのこと。ここで「御守り」をお分かち頂きました。大きめの御守りです。内宮と外宮とで、一体ずつ頂いて帰ってきました。(他の神社の御守りは家に2つだけあ
第506話おはようございます菊水千鳳です前回の日記では、神社仏閣でお分かち頂く、異なる御守りを同時に携帯する際の注意点をご紹介しました。今回は、穴八幡宮(東京新宿区)の御祭神の1柱である応神天皇さまから、拝殿前で教えてくださった御守りに関する秘策をご紹介します。↓↓↓注意点もありますので、気をつけてお読みください。秘策の内容は以下の通り。↓応神天皇さま【(お分かち頂いた)御守りを拝殿前に持って参れそこにおわす神に向かい御守りに氣を込めてもらうようにお願いしてみるとい
第737話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳です東京、新宿区にある穴八幡宮参拝体験をお届けしています。前回の日記(一陽来復の御守りが有名な穴八幡宮(東京)参拝2七福神の布袋さんからのお言葉他)の続きです。拝殿の前まで来ると、参道に並んでいた出店のトンネルが終わりました。拝殿の写真を撮影していたら、今度は先ほどの神功皇后さまに代わって応神天皇さまがスーッとお越しになられました。応神天皇さま【出店を見るだけでもいい氣を得られるぞこういった出店のものは
鞆淵八幡神社(ともぶちはちまんじんじゃ)紀伊国那賀郡和歌山県紀の川市中鞆渕58(P有、但し狭小箇所があり運転に自信の無い方は困難、他に停め置きできそうな所は無し)■旧社格県社■祭神応神天皇仲哀天皇姫大神「紀ノ川」の支流、「貴志川」のそのまた支流である「真国川」の上流沿いに鎮座する社。◎深い山中の「中鞆渕(なかともぶち)」集落内。「鞆渕応神山」の南麓、標高は300m余り。その北側には標高746mの「飯盛山」が聳えます。明治期に和歌山県内計11社の県社に列格し、相応の由緒を
第505話こんにちは菊水千鳳です📖✨いつもお読みいただき、ありがとうございます。神社仏閣での神仏体験をメインにお届けしておりますが、今回は御守りについてお知らせしたいと思います。最後までお付き合いください。読者の方から、以下の質問をよくいただきます。『御守りって複数持つと、御守り同士ケンカしますか?』と。結論から申し上げますと、ある条件下では、個々の御守りの効果が上手く発揮できなくなります。ケンカするみたいな現象が起こります。宝の持ち腐れ現象です。ある条件下とは……💦
小高い丘(通称御殿山)の上に鎮座する、とても雰囲気の良い神社ですって、大体神社って雰囲気ええんちゃうん(笑)御殿山の名称は、惟喬親王(これたかしんのう・文徳天皇の第一皇子)が渚院(なぎさのいん)を別荘とされた時、この山上に休憩所を造られたのでこの様に名付けられたとか、さらには江戸初期に永井伊賀守が領地支配のため、この山に陣屋を建てたからとも言われています。手水舎拝殿御祭神品陀和気命(ほんだわけのみこと・八幡大神:応神天皇)御殿山神社は、元は渚院跡の観音寺境
神社名:鰐河八幡神社祭神:豊玉姫命・應神天皇創建:伝行基創基:社格:旧郷社住所:香川県木田郡三木町下高岡1843-1マピオンマップ↓↓↓↓↓https://www.mapion.co.jp/m2/33.36669760067165,134.05828176062815,19マップコード↓↓↓↓↓421397519*32電話:0878-98-0446由緒社伝によると、豊玉姫命が亀に乗って讃岐国山田郡潟元(屋島付近)に上陸し、鵜葺草葺不合尊をこの地で産む。
直島の宮浦港行きのフェリーの中で、挑戦的な服装の女性たちがいました。夏らしくて良いですね☆彡到着した直島の宮浦港でフェリーを降りますと、狭い道路を挟んだところに、住吉神社があります。立派な拝殿です。この神社は、”天皇(家)”と所縁があるようですが、なにかな?と思っておりました。応神天皇が瀬戸内海の島々の巡幸の際、ここにある石に腰かけて、平安を祈った逸話があるそうです。ここには社務所がなく、御朱印を戴くことはできないようでしたし、ネット情報でもそのようでした。島内には
2020年1月3日宇治神社の近くにあるのが「宇治上神社」です。世界文化遺産になっていたのには驚きました。平等院の鎮守社として長く崇拝をされてきた神社です。正式名称は「宇治離宮明神」といい、明治維新後に「宇治上神社」と「宇治神社」に分かれたようです。醍醐天皇が平等院を訪れた折りに「離宮明神」の神位を与えたのだそうです。門をぬけると正面に拝殿が見えてきます。拝殿の右に手水舎があり「桐原水」が湧き出ています。桐原水は宇治七名水のうち、現存する
備前国総社宮128社巡りをしています🍀今日は岡山市東区浅川519福岡神社に行って来ました🎵カーナビでたどり着けました✨鳥居の右側は小学校です。ご祭神タケミカヅチノカミフツヌシノミコトアメノコヤネノミコト姫大神応神天皇駐車場🅿️はないのですが道沿いに車を停められるスペースがあったのでそこに停めさせてもらいました。長い階段が❗️数えて登ったら127段⭐クリアな氣を感じます。鷺神社国主神社長い階段を登って良くきたね✨と大きな🦎トカゲさんが歓迎してくれました🍀あわてて写
AKI*HANAですタケノコさん『2024/05/16こんにちは♡八木さんちのやぎさん♡』AKI*HANAです神社巡りをしていたら目があった向かえてくれていたかと思いきやめぇ~!(草くれ~)でしたわやぎさんがいる八木さん宅八木重吉記念館です裏手に神…ameblo.jp長い階段長い参道たどり着いたら見てわかります?光が射したの✨☀️✨江柄八幡社御祭神応神天皇(おうじんてんのう)宇迦之魂命(ウカノミタマ)うかのみたまは狐さんですなかよしさんですお声がかかったの
(オイカワのめずし、14日発酵)日本に入ってきたナレズシ的なものが大陸と袂を分ち、日本独自の、そして滋賀の食文化財になるまでを追う長編シリーズです。渡来人との習合。渡来人とは現代的な言い方では移民から帰化した外国人のようなものであるが、持ち込んだ渡来人の文化ごと日本文化として合流していった人たちの事である。ゆえに渡来人は数百年を経て現在は日本人である。ポイントは従来の日本文化を継承しつつも習合していることである。前回にも出したが、コメ伝来によって縄文時代から受け継がれてき
用賀神社ようがじんじゃ用賀神社5月の参拝前回はまだ寒い時期でした今回は参拝にはちょうど良い季節手水舎にて…清めます拝殿に先客がいたので少し時間をつぶす…並ぶのも並ばれるのも嫌なんですよアマテラスさま最近はスサノオさまの神社が続いていたのですが…姉弟では雰囲気はやはり全然違いますね拝殿へ二拝二拍手一拝拝殿を背に参道を眺める…気持ちの良い空気感…そしていつものように幸福稲荷神社へお社にご挨拶キツネさんも久しぶり…ケージにはいっていますが今さらです
先日、五木寛之・沖浦和光共著『辺界の輝き:日本文化の深層をゆく』という本を勧められた。まだ読んでいないが、本の内容紹介にこう書かれてあった。「サンカ、家船、遊行者、遊芸民、香具師など、山や海に暮し、旅に生きた人々。彼ら漂泊民は、既存の歴史観では顧みられることはなかった。体制の枠外に置かれた、“マージナル・マン=周縁の民”が築いた日本文化の深層とは?さらには、法然、親鸞の思想、柳田民俗学が持つ意義とは?差別にさらされながらも、社会を基層で支えた人々への熱い思いと知的探究心にあふれた刺激的
関裕二さんの本を参照すると、古代の近畿地方の繁栄は、下の図のような経済圏に支えられていました。出典:国土地理院ウェブサイト古代日本の経済圏1播磨2難波3山城(巨椋池)4近江(琵琶湖)5角鹿(越)6丹波(丹後)7但馬前回の和邇(わに)氏の記事でも、応神天皇の恋の歌(というかカニの歌)を引き、『水運を利用しカニなど海産物を運んでいた』一族であるということをご紹介しています。まさに、この経済ルートの一角を担っていた。和邇氏が力を持っていたのは、若狭
この前の続きです。ヤマトタケルの子、仲哀天皇は西の方にある宝の国(朝鮮半島のようです。)をやろう」という神託を信じず、祟神の怒りを受けて亡くなりますほかにも「日本書紀」の別伝には「熊襲と戦って敗れた」ともあり、「戦死した」説もあるほどで、なんだか大変なことになったはずなのですが、残された皇后息長帯比売(オキナガタラシヒメ)は、身重の身でありながら新羅を攻めます。(正確には三韓征伐ではありません。飛鳥時代には日本は百済と親しくて、天武朝を除いて基本的に新羅が仮想敵国だったため対新羅戦が
昨日の昼に、神武天皇が育った住居跡を掃除してお参りしてきた。写真は先日訪れた時のもの、現在はさらに綺麗になっている。なぜ、初代天皇が沖縄で生まれたことは、歴史上では封印されているのだろうか?興味を持って調べていたら、さらに興味をひく隠された歴史に出会う。それが、、、天皇家龍神子孫説だ!この話は、数年前にも聞いたことがあったが、その時は、ぜんぜん信じる氣にならなかった。なのに、沖縄に移住して、耳に入る伝説を繋ぎ合
伝説の忠臣・武内宿禰!(香椎宮)香椎宮の綾杉を左に回ると石段を上って拝殿へ向かいます。綾杉を右に曲がると、奥に「武内宿禰(たけうちすくね)」の像が見えます。武内宿禰像近くに寄って良く見ると、赤ちゃんを抱いています。のちの応神天皇です。香椎宮と言えば・・・神功皇后と応神天皇のことは良くご存知だと思います。武内宿禰については、知らない方も割りと多いようです。でも、神功皇后と応神天皇を語るとき・・・日本書