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九州神社の旅に戻ります〜。福岡県は気になる神社が多かったのですが、福岡市より本州寄りへ行くのはその後の移動を考えると、今回の日程では厳しい……と泣く泣く諦めました🥲行きたい神社がたくさんあったので、またの機会に彩色古墳も一緒に伺いたいと思っています😊ということで筥崎宮、櫛田神社、住吉神社の三社に参拝しました。最初は筥崎宮です。参道がとっても長いです。駐車場の都合で私は途中から💦まじまじと鳥居を見ていると、不思議なのですが、明治大
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
先週末は仕事で徳島県三好市へ。車を走らせる途中、賢見神社さまの大きな案内看板を見かけました。普段は自分から「○○に行きたい、行ってみたい。」等、言わない相方。「約束の時間は夕方やけん、参拝に行ってみる?」と…珍しく提案。行き先を賢見神社さまに変更し参拝に向かいました。山道をくねくねと進み、愛媛県との境に近い場所まで車を走らせます。この日はお天気がよく、真っ青に広がる空と遠くまで連なる山の景色がめちゃくちゃ綺麗でした。すれ違う車や私の前を行く車、たくさんの方が参拝に来られていたのですが
歴史と由緒塩田八幡宮の創建は明確ではありませんが、平安時代の大同年間(810年頃)には「大歳神社」と称され、御歳神を祀っていたと古記録に見られます。その後山城国の石清水八幡宮から応神天皇、神功天后、玉依姫命の御神霊を勧請し石清水八幡宮の別宮として「塩田八幡神社」と称されるようになりました。この地は、74代鳥羽天皇の院政期に后妃の荘園となり、保元3年(1158年)には石清水八幡宮並びに宿院極楽寺の領荘園となり、神宮寺としての体裁を整えました。しかし応仁の乱で(1467~
ご訪問ありがとうございます。前回は継体天皇の后妃について検証しましたが、継体天皇は、かなり広くネットワークを構築していたことが見受けられます。そこで今回からは継体天皇自身がどこに母胎を持っていたのか、考えてみたいと思いますが、今回はちょっと長いので目次をご活用いただいて、ちょっとずつ読んでいただければ(;^_^Aいやぁ、いいタイミングでリリースされて良かったです。目次「上宮記逸文」の系譜凡牟都和希王は誰か?応神天皇の原像(ホムダワケ)応神天皇の原像(オオトモワケ)応神天皇
國府神社(高取町下土佐)大和国高市郡奈良県高市郡高取町下土佐ナマコ山402(一の鳥居横にP有り、ただし近隣住民が停めるため事実上使用不可)(「土佐街道」沿い観光Pより徒歩15分ほど)■旧社格村社■祭神応神天皇[配祀]天児屋根命事代主命「高取城」の城下町として、または「薬の町」として興隆した高取町「下土佐」集落の南西に鎮座する社。広く優雅に横たわる「ナマコ山」を神域として頂に社殿が建ちます。◎創建年代、由緒等は資料が残存せず不詳。伝承では白鳳時代(645年~平城京遷都まで
摂津八十八ヶ所巡礼の際、近くにある神社やお寺など一緒に回れるところがあれば立ち寄っています。こちらは、最初に行った京善寺のはす向かいにある桑津天神社です。手水舎水口は、檻に入った龍です。拝殿です。ご由緒は、桑津の里は、仁徳天皇の妃である髪長姫が居住した場所。髪長姫が病気になったため、仁徳天皇が医薬の神である少彦名命に病気平癒を祈願した。すると瞬く間に病気は快癒。よって、当地に少彦名神を祀るようになったと言われている。しかしながら、
🐉皆瀬神社⛩️―龍神信仰と八幡大神が交わる熊野古道の守護社―龍神村到着‼️✨パワー参拝してきました⛩️✨皆瀬神社(かいせじんじゃ)は、奥熊野の清らかな山里・龍神村に鎮座する総鎮守で、源平合戦の後にこの地へ落ち延びた源頼政の家臣の子孫「龍神衆」によって15世紀後半に創建されました。御祭神の八幡大神(誉田別命=応神天皇)は、武運長久・厄除開運の守護神として古くから崇められ、さらに農耕や水を司る神として人々の暮らしを守ってきました。明治期には村内37社を合祀し、多くの神々の力が一つに結集した
すっきり広々とした境内に楠の巨木が何本も、それも生き生きと聳えていて木々🌳の素晴らしさにびっくりしたのが宇美八幡宮です。静かな街の中に鎮座されていました。美しい宇美という社名✨は神功皇后がここで応神天皇を安産で産んだことから、産む(産み)、宇美と称されたそうです。鳥居の前からも緑豊かで清浄な気配が感じられました。鳥居をくぐると広い境内が見渡せ、本当に大きな木🌳が境内のあちこちで生い茂っていました。とにかく目を引いたのは楠たちの存在感とエネル
破磐(はばん)神社われ岩は、JR姫神線:太一駅から西へ1.7㎞の山中に鎮座されます。山中のため、破磐神社は太市駅から北へ400mのところに遷座されています。破磐神社赤マーク兵庫県姫路市西脇1598破磐神社われ岩青マーク兵庫県姫路市西脇道標は有ります。前から見ると2つに割れているように見えますが、後ろから見ると3つに割れています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー破磐神社
やがて、皇后の一行は、豊浦宮(下関市忌宮神社の地)で御生誕後まだ日の浅い皇子と、仲哀天皇の御霊を奉じて、都へ還幸のため、難波津へ向け周防灘にさしかかられたのは、今からおよそ千七百年余りも昔のこと。その八月十三日と伝えられる。ところが、佐波ノ海のあたりまで来ると大時化となり、皇子には発熱の御様子であった。と、御船の左手の、雨風にけむる浦曲に白髪の老人があらわれ、この案内によって一行は上陸、発熱に薬効ある出湯も教えられて皇子は全快、翌日は難波津へと向かわれた。この出湯を求めた里は