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神縁の皆さまへ3月3日八幡神社(氏神)に収穫奉納参拝を致しましたので収穫奉納への御言葉御神託をお伝えさせていただきます大切なお話も含みますので宜しくお願いいたします♡♡♡天と繋がり御言葉を降ろします(神降ろし)神と繋がる(同化する)こととは「歓喜」に満ち溢れるということ御神託〚誉田別命〛(ほんだわけのみたまのかみ)=応神天皇(お
群馬県玉村町にあります。御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)…応神天皇。気長足比売命(おきながたらしひめのみこと)…神功皇后。比咩神(ひめのかみ)です。高崎市中心部から国道354号線を東に約10㎞向かった辺りにあります。この国道周辺は、良い神社が沢山ありまして八幡宮近くにも進雄神社(すさのお神社)や於菊稲荷神社(おきく稲荷神社)等々由緒ある神社がぎゅっと詰まっている地域です。こちらの玉村八幡宮も大河ドラマに出てきた方に縁ある神社です。では紹介にうつります。こちらが入口の鳥居
2022年6月11日、千葉県船橋市と白井市の神社などを巡りました。※曖昧さを回避するため、表題に地名を冠しました。八幡神社樹木に覆われた小高い丘がまるごと社地となっています。ふんだんな緑に包まれた本殿や境内社は、良い雰囲気が漂います。◇鎮座地:千葉県船橋市小室町148◇最寄駅:北総線・小室駅~450m◇バス停:新京成バス・小室駅バス停~450m→新京成線・北習志野駅[小室01]小室駅行◇御祭神:應神天皇◇相殿神:市杵島姫命◇御朱印:なし飯綱権現に向
『高天原は日高見国にあり序章』今回の常陸国神社巡りで自分の考察がある程度まとまりました。先に書きますが古事記などの古典を否定するのではなく実際はこんな古代史だったんじゃない??と考察してる…ameblo.jp『高天原は日高見国にあり徐福渡来編』前回は縄文時代の古代史を少し考察しました。『高天原は日高見国にあり序章』今回の常陸国神社巡りで自分の考察がある程度まとまりました。先に書きますが古事記などの…ameblo.jp古代史が動くのはやはり弥生時代に入ってからでしょう。古事記ではスサノ
8月8日から始まりました和泉狂言教室も6日目を無事迎え、毎年恒例である「泉井上神社」拝殿にて奉納発表会が執り行われました。泉井上神社は神功皇后・仲哀天皇・応神天皇のほか、神功皇后にしたがって朝鮮にわたった神々四十五座を加えた計四十八座を祭神とし、境内の清水は神功皇后渡韓の途次、一夜にして湧出したので霊泉と名づけられた、和泉の国名の源となっている、大変由緒あるお社です。和泉流狂言が教室を通じて和泉の地に根付く事が出来ればと念じて、毎年勤めております。コロナ禍の最中、地元の小学生や地域実行委員
米原市能登瀬(のとせ)にある山津照(やまつてる)神社は国常立尊(くにとこたち)さまを祀る神社です。ホツマツタヱでいうと原初の神様です。なぜそんな方がここにいらっしゃるかというと、息長(おきなが)氏が祖神として祀っていたからだそうです。境内には、山津照神社古墳があり、そこには、神功皇后(じんぐうこうごう)の父である、息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)が眠っているのだといいます。また傍らの境内社若宮八幡宮では、男女の神像が祀ってあり、息長宿禰王と
Hickey超訳・古事記34⬇️Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️『Hickey超訳・古事記《上つ巻》』Hickey超訳・古事記《上つ巻》まだ【Hickey超訳・古事記トリセツ】を読んでない人は下をクリックして御覧ください⬇️『Hickey超訳・古事記トリセ…ameblo.jpHickey超訳・古事記《中つ巻》⬇️もくじ⬇️『Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじ』Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじ東征〜熊野から吉野へまでの話が【Hickey超訳•古事記
第344話こんばんは菊水千鳳です。前々回(正確には前回)までで弁財天(べんちゃん)関連日記が終わって、ホッとひと息☕べんちゃんの言うように、なんだか気が抜けてしまったような前回のそんな内容の日記を書き上げた次の日の朝スピ友Sさんから連絡が…『朝の情報番組の天気予報の中継で、鎌倉の銭洗弁天をやってる♪』と。スピ友Sさんは、こちらのお天気お兄さんのヨダさんのファンでほぼ毎朝観ているそうです(笑)さらに、上神明天祖神社と巫女ヘビさんのツイッターでも今日は己巳で縁起の良い縁
第737話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳です東京、新宿区にある穴八幡宮参拝体験をお届けしています。前回の日記(一陽来復の御守りが有名な穴八幡宮(東京)参拝2七福神の布袋さんからのお言葉他)の続きです。拝殿の前まで来ると、参道に並んでいた出店のトンネルが終わりました。拝殿の写真を撮影していたら、今度は先ほどの神功皇后さまに代わって応神天皇さまがスーッとお越しになられました。応神天皇さま【出店を見るだけでもいい氣を得られるぞこういった出店のものは
2024年度香椎宮春季氏子大祭香椎宮春季氏子大祭は、祭神であられる神功皇后の命日(4月17日)に近い日曜を祭日と定め、隔年(香椎宮は偶数年)で行われる神幸式の年は土曜・日曜の二日間で執り行われる。香椎宮の神幸式は、土曜日に三基の神輿に乗られたご祭神が本宮から外出され、頓宮(鹿児島本線踏切近く)で一泊され、翌日の日曜日に本宮に戻って来られます。土曜日の神幸を「お下り」、日曜日を「お上り」と言います。今回は4月13日(土)の「お下り」の様子を紹介します。↓僕が香椎宮に到着
第505話こんにちは菊水千鳳です📖✨いつもお読みいただき、ありがとうございます。神社仏閣での神仏体験をメインにお届けしておりますが、今回は御守りについてお知らせしたいと思います。最後までお付き合いください。読者の方から、以下の質問をよくいただきます。『御守りって複数持つと、御守り同士ケンカしますか?』と。結論から申し上げますと、ある条件下では、個々の御守りの効果が上手く発揮できなくなります。ケンカするみたいな現象が起こります。宝の持ち腐れ現象です。ある条件下とは……💦
巴の絵柄、鞆、ホムタ、応神天皇の関係について検討した。巴の絵柄の由来には多くの説があるが、その中の一つに弓を引く時に弓手に装着する鞆(とも)を象ったとする説がある。呼び名となる「ともえ」は鞆絵に由来し、のちに形状が似た「巴」にその読みをあてはめたと考えられる。弓具の鞆鞆の絵柄を巴と書く。二つの巴が右回転した上の絵柄を右二つ巴と呼ぶ。応神天皇(オウジンテンノウ)は誉田別命(ホムタワケノミコト)、品陀和気命(ホムダワケノミコト)、誉田天皇(ホムタノスメラミコト)、大鞆和気命(オオトモワケノ
第507話こんにちは菊水千鳳です前回の日記第505話では、御守りの効果を最大限に発揮させる内容を、第506話では応神天皇さまからパワーチャージ㊙︎方法をお伝えしました。今回は、俺が実際に体験した御守りの奇妙な体験を書いていきます。⛩これは、俺が神社巡りを始めたばかりの、経験が浅い頃の体験です。初めて伊勢神宮にお伺いしたときのこと。ここで「御守り」をお分かち頂きました。大きめの御守りです。内宮と外宮とで、一体ずつ頂いて帰ってきました。(他の神社の御守りは家に2つだけあ
福岡市西区壱岐団地長崎県壱岐島おはようございます。昨日のYouTube、不都合によりアップ出来なかったのでこちらに、福岡の壱岐と長崎の壱岐島の繋がりを書いておきます。福岡市西区には、「壱岐団地」や「壱岐小学校」「壱岐中学校」「壱岐交番」「壱岐農協」など、壱岐と呼ばれる地区がある。これは古代、壱岐国造(地方官)に任命され、壱岐国(壱岐島)を治めていた壱岐直(壱岐氏)の祖とされる壱岐直祖真根子(いきのあたいがおやのまねこ)に由来すると言われています。壱岐真根子いきの-
第506話おはようございます菊水千鳳です前回の日記では、神社仏閣でお分かち頂く、異なる御守りを同時に携帯する際の注意点をご紹介しました。今回は、穴八幡宮(東京新宿区)の御祭神の1柱である応神天皇さまから、拝殿前で教えてくださった御守りに関する秘策をご紹介します。↓↓↓注意点もありますので、気をつけてお読みください。秘策の内容は以下の通り。↓応神天皇さま【(お分かち頂いた)御守りを拝殿前に持って参れそこにおわす神に向かい御守りに氣を込めてもらうようにお願いしてみるとい
「新撰姓氏録」には、筆頭に「息長真人」の氏族がある。彼の始祖は応神天皇。神武天皇の名はどこにもない。彼の母である神功皇后は高良神(住吉神)の后であった。彼らは二柱の天照である。★前の記事『儺の國の星~17、千早星~瀬織津姫と饒速日命と二つの珠』真鍋氏は、神功皇后の摂政元年を200年としている。彼女は太歳を3度行っていた。裂田溝と早鞆門は、彼女に繋がる。★前の記事『儺の國の星~16、諏訪星~三つ…ameblo.jp★目次☆1応神天皇が最初の天皇☆2母・神功皇
猪苗代湖の北側、磐梯山麓の南側にある磐椅(いわはし)神社に向かいます。磐椅神社は、会津地方最古といわれる神社です。⇒磐椅神社公式サイト神社名の「磐椅」について。磐梯山はかつて磐椅山と言われていたようです。磐梯山の意は、神の座(磐座:いわくら)にかかる梯子(はしご)、すなわち「いわはし」。椅は「い・いす」としか読まないはずですが、意味を優先して慣用的に「はし」と読んでいるようです。主祭神は、大山祇命埴山姫命の2柱。相殿には、誉田別命(応神天皇)息長足姫命(神功皇后)
この前の続きです。ヤマトタケルの子、仲哀天皇は西の方にある宝の国(朝鮮半島のようです。)をやろう」という神託を信じず、祟神の怒りを受けて亡くなりますほかにも「日本書紀」の別伝には「熊襲と戦って敗れた」ともあり、「戦死した」説もあるほどで、なんだか大変なことになったはずなのですが、残された皇后息長帯比売(オキナガタラシヒメ)は、身重の身でありながら新羅を攻めます。(正確には三韓征伐ではありません。飛鳥時代には日本は百済と親しくて、天武朝を除いて基本的に新羅が仮想敵国だったため対新羅戦が
日本書記の第14代「仲哀ちゅうあい天皇」の第8年に,弓月ゆづき国の巧満こうまん王が,日本の朝廷を公式訪問し、養蚕の蚕の種を献上したとある。現在、4世紀後半に当たると見ているる。応神天皇14年に弓月の君が百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。蚕種渡来の碑、忌宮神社、長府日本に渡って来た弓月の君が元々居住した弓月国の場所を探してみた。現在の新彊ウイグル自治区の中にグーグルマップで検索した。この国から東方に移動し、朝鮮半島の任那から日本に渡来した。弓月国についての記述は、中国史書、資治通鑑にのって
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その8前回の「宮下文書」を含め、いわゆる「古史古伝」という神武天皇以前の古代の歴史が書かれた文書の成立には、必ず「物部氏」が関わっている。「富士宮下文書」の場合は、その物部氏の本当の祖である「徐福」(じょふく)とその子孫が書き残したものの集合体であった。但し、物部氏と一概に言っても、原始ユダヤ教徒としての物部氏、原始キリスト教に改宗した物部氏、そして「絶対三神」の奥義を最初から知っていた物部氏が存在する。古史古伝に「偽書」の烙印を押してふんぞり返って
2020年1月3日宇治神社の近くにあるのが「宇治上神社」です。世界文化遺産になっていたのには驚きました。平等院の鎮守社として長く崇拝をされてきた神社です。正式名称は「宇治離宮明神」といい、明治維新後に「宇治上神社」と「宇治神社」に分かれたようです。醍醐天皇が平等院を訪れた折りに「離宮明神」の神位を与えたのだそうです。門をぬけると正面に拝殿が見えてきます。拝殿の右に手水舎があり「桐原水」が湧き出ています。桐原水は宇治七名水のうち、現存する
らぁめん円陣でラーメンを食べた後以前地図上で発見気になっていた神社にブラヒロシしてみました嘉麻市大隈の交差点から200M南に行って左折100Mほど坂を登るとお寺の駐車場車を止めるとすぐそばに祠を発見広さ15畳ほどの小さな神社ブラヒロシが参拝した神社中最少記録です神社の名前は乳房八幡宮鳥居ありません~入口は写真右側の木の柵の部分ここは神功皇后が皇子(後の応神天皇)に授乳をしたという言い伝えのある場所です乳房=神功皇后と想像して来ましたがドンピシ
門前仲町は、かなり久しぶり。「富岡八幡宮」「深川不動堂」「相生橋」を渡り、1駅歩いて月島駅から電車に乗った。
宇美八幡宮うみはちまんぐう福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1092-932-0044神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、応神天皇を祀ったのに始まりますまた「宇美」の地名は「産み」に由来したものであり安産の神として信仰されています鳥居の前でペコリ神門が見えます境内には沢山の大きな木全てが力強くて圧倒されます狛犬手水舎「おいで~」って御神木が呼んでいる
新年明けましておめでとうございます🎍どうぞ今年もよろしくお願いします✨✨今年も古代史の聖地をめぐりながら、心と身体を整えられるようなブログを書いていきたいです😆✨✨追記石川県はじめ能登半島で地震が起きているのですね。被災された地域の皆さま、気をつけてください😭さて、わたしは年末に鳥取県を旅行しまして、明神大社、因幡国一宮宇倍神社を参拝しました。※因幡国一宮宇倍神社⛩️竹内宿禰(たけのうちすくね)終焉の地、でございます。石段を上がっていると、ドンドンと太鼓の音が聞こえ始めました✨
先日、五木寛之・沖浦和光共著『辺界の輝き:日本文化の深層をゆく』という本を勧められた。まだ読んでいないが、本の内容紹介にこう書かれてあった。「サンカ、家船、遊行者、遊芸民、香具師など、山や海に暮し、旅に生きた人々。彼ら漂泊民は、既存の歴史観では顧みられることはなかった。体制の枠外に置かれた、“マージナル・マン=周縁の民”が築いた日本文化の深層とは?さらには、法然、親鸞の思想、柳田民俗学が持つ意義とは?差別にさらされながらも、社会を基層で支えた人々への熱い思いと知的探究心にあふれた刺激的
☆應神天皇皇子大山守命那羅山墓大和国添上郡奈良市法蓮町(詳細住所不明)(P無し、近隣に停め置きできる場所も無し)昨年末頃より、当ブログで度々記事に上る大山守命。どの記事で上げたのか一つも覚えていないのですが…。年間2000社ほども参拝していると、こういうことになるのです…。奈良県外でも複数社に登場したように思います。またそれを探し出すのも大変な作業となるので、またその神社等を再拝した際に思い出したい…としておきます。応神天皇皇子で母は仲姫命。記紀には異母弟の大鷦鷯命、菟道稚郎
昨日の昼に、神武天皇が育った住居跡を掃除してお参りしてきた。写真は先日訪れた時のもの、現在はさらに綺麗になっている。なぜ、初代天皇が沖縄で生まれたことは、歴史上では封印されているのだろうか?興味を持って調べていたら、さらに興味をひく隠された歴史に出会う。それが、、、天皇家龍神子孫説だ!この話は、数年前にも聞いたことがあったが、その時は、ぜんぜん信じる氣にならなかった。なのに、沖縄に移住して、耳に入る伝説を繋ぎ合
西寒多神社ササムタジンジャなかなか漢字変換が出来ませんなかなか読みが難しい神社は各地にあります摂津の坐摩神社イカスリそのままザマと読む人もいますが紀伊の国日前神宮ヒノクマ國懸神宮クニカカス伊太祁曽神社イタキソなどなど歴史の古い神社の漢字の読み方は難しいですほかにも沢山ありますがおいおいに紹介します豊後の国には二つの一之宮があるのですが2社目ですおそらくはこちらの方が古くからの神社の様ですが、どこでも時代によって領主によってあるいは神社庁によってつま
対馬市役所に程近い道路沿いに高さ約1㍍の自然石「白石」がある。対馬交流センターの建設に伴って数年前に移設された。日々、多くの人が行き交うにもかかわらず、この石が神功皇后の腹冷やし石「白石」と気付く御仁は少ない。それというのも、案内板もなければ注連縄もない。清掃はされているのか心配になる。もちろん柵はない。そこでは、野良猫も自由に近づきニャンニャン、野鳥が止まってピーピー。白石の周辺は放置され自然がいっぱい、でありまする。