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宇美八幡宮(うみはちまんぐう)福岡県糟屋郡宇美町宇美1丁目1-1古事記によると、神功皇后皇后は、新羅平定の政務が完了する前に臨月となったが、石を腰に付けて出産を引き延ばし、帰国してから応神天皇を生んだ。その生まれた場所を名付けて「宇美」という。日本書紀によると、それは旧暦12月14日だそうな。宇美八幡宮HPには明治以前はすべて旧暦で12月14日祭神應神天皇御降誕の日で年一度の大祭が行われていました。誕生会・御降誕祭とも言われていました。同じ御祭神をお祀りする福岡市東区の筥崎宮にお
神功皇后には秘密が多い武内宿禰はレビ族で神功皇后はフェニキア人です。(HIROMIさんにお聞きした内容を抜粋)フェニキア王族の女性で、その子が応神天皇武内宿禰と神功皇后は兄妹の様な関係でいて神功皇后には旦那様(天皇)がいたのに天皇を暗殺して、兄に仕えた。天皇が死んでから、武内宿禰との間に身籠ったが“天皇の子だ”と言い張り応神天皇を仕立てあげる。結果、武内宿禰が権力を握る…これが九州の話と思っていたが能登にも同じような話。“神功皇后など
こんにちは、スタルペスです。昨年9月、佐賀県上峰町に伺いました。目的は「都紀女加王墓(つきめかおうぼ、つきめかのみこのはか)」に伺うことです。※「都紀女加王墓」入口です「都紀女加(つきめか)」という方は、「先代旧事本記」では、第15代応神天皇のひ孫で、「筑志米多国造(ちくしめたのくにのみやつこ)」の始祖とされています。筑紫の米多というのは、現在の佐賀県上峰町あたりだということなので、この上峰町を治めていた豪族のようです。私は「都紀女加」という名前なので、て
日本書記の第14代「仲哀ちゅうあい天皇」の第8年に,弓月ゆづき国の巧満こうまん王が,日本の朝廷を公式訪問し、養蚕の蚕の種を献上したとある。現在、4世紀後半に当たると見ているる。応神天皇14年に弓月の君が百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。蚕種渡来の碑、忌宮神社、長府日本に渡って来た弓月の君が元々居住した弓月国の場所を探してみた。現在の新彊ウイグル自治区の中にグーグルマップで検索した。この国から東方に移動し、朝鮮半島の任那から日本に渡来した。弓月国についての記述は、中国史書、資治通鑑にのって
弘前城から北東へ徒歩20分程。城の鬼門を護る総鎮守社が鎮座しています。◆弘前八幡宮◆岩木山神社同様、特徴的な注連縄。開けた境内を囲む社殿や社務所。境内社が連なる参道。手水舎拝殿<御祭神>応神天皇神功皇后玉依姫命元は大浦氏の居城、大浦城の城下町に鎮座していた八幡宮で、慶長17年(1612)に二代藩主・津軽信枚が弘前城の鬼門の守りにする為に遷座させました。寺院建築の雰囲気漂う社殿。社殿には祈祷待合所が連結しています。