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柏野和佳子(かしのわかこ)氏の心に響く言葉より…現在、世界には6000~8000の言語があると言われています。そのうち文字を持つ言語は400前後。実は文字のない言語のほうが、ずっと多いのです。たとえば、西アフリカで暮らすモシ族は、歌や太鼓の音(ね)で村の歴史を語り継いでいます。また、オーストラリアの先住民のアボリジニは、5~6万年前から水場や獲物の居場所を絵で記録して残してきました。じつはわたしたち日本人も、ずっと昔は文字を持っていませんでした。
本日の神戸新聞但馬欄にて、“歴史と文学といで湯のまち”城崎温泉街にある文学碑が特集されています。その中で文豪ゆかりのお店ということで、当店もご紹介いただきました。朝食には必ずパンを所望されたハイカラな志賀直哉。ところが、当時この辺りではパンやバターを日常的に入手することが難しく、三木屋さん(志賀直哉の定宿)から相談を受けて、当店が神戸から取り寄せた逸話があります。また、志賀直哉をはじめ城崎を訪れた多くの文豪が滞在中に当店で菓子をお買い上げくださいました。城崎温泉にお越しの際は町内に20
3泊4日京都・北近畿漫遊。3日目の宿は城崎温泉。志賀直哉が定宿にしていた文化財の宿です。(9年振り2度目の宿泊)◆三木屋◆(国登録有形文化財)兵庫県三木市を治めていた別所氏の居城、三木城の城兵が落城後にこの地に落ち延び、その子孫が元禄年間(1688〜1704)に開業した老舗旅館です。明治・大正以降は志賀直哉を始め、柳田國男や山下清といった多くの文化人が愛した宿。特に志賀直哉は三木屋を定宿にして、「城の崎にて」は大正2年(1913)、三木屋で療養していた
住吉神社から北に百メートルほど歩いたところで見つけたのがこちらの看板。大正期の文豪・志賀直哉の生家跡地……というとまるでここに志賀家があったかのように思いますが、志賀自身は住吉地区のどこかで生まれた、くらいしか語っていないはず。ともあれ住吉神社の近くが志賀直哉のゆかりの場所として地元の人に大切にされていることがわかります。芥川龍之介最大のライバルだった志賀。尊敬の念すら抱いていたと思われ、現在における人気はともかく、芥川は志賀に勝てない、と思っていたようなのです。しかし志
2022年11月6日人込みを避けて徒歩で奈良観光しています。浅茅ヶ原園地を散策しながら鷺池も楽しみました。この後、志賀直哉旧居→ささやきの小径→二之鳥居→春日大社御本殿→水谷神社→若草山へと散策していきます。志賀直哉の旧居だと思ったら違ってました。志賀直哉旧宅の東隣に位置する中村家住宅(旧足立家住宅)でした。洋画家足立源一郎の自邸として建造された木造2階建モルタル仕上げの邸宅です。そのお隣にあったのが、志賀直哉旧居です。志賀直哉旧居は、昭和
NHKBSプレミアムで放送された『文豪温泉〜名作の陰に名湯あり〜』。夏目漱石、川端康成、そして志賀直哉・・・文豪たちが愛した温泉地を巡り、名作誕生の秘密や知られざる文豪と温泉の関係に迫る!ということで、生き物の死を見つめることで、生への自問を繰り返し生まれた不朽の名作「城の崎にて」を執筆した志賀直哉ゆかりの温泉地として城崎温泉が紹介されました。直哉が属した白樺派をはじめ多くの文人墨客に愛された“文学のまち”城崎温泉で、お気に入りの本を片手に文学碑を巡りながらの温泉街散策もおすすめです。