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再び、『北天の魁』より参照。竜飛岬の方に「イシカホノリ」という信仰があったそうです。竜飛岬6人の首長が崇拝していたという。その6人とは、・馬止部(耶馬世=やませ)背高のっぽ・貴羅部(止辺地=とべち)まっしろ白髪・阿止部(多駄羅=ただら)ずんぐりもっく・阿舎羅(茶保=ちゃほ)髪ぼうぼう・阿蘇部(志辺礼=しべれ)ひげもじゃら祭壇の中心に石神あり。この中心に座るのは、白い髭がひざまで垂れている・石北部(阿摩礼=あまれ)というもの。阿摩礼は、イシカホノリの神に近づけるとされ
黄金の簒奪者たち:その106明治維新を”秘密結社”に例えるなら、その精神的支柱もその組織を作ったのも吉田松陰といえる。吉田松陰の思想の根幹は徳川光圀が南朝こそ正統と説いた「大日本史」のベースとなる水戸学であり、それに具体的な諜報活動と軍略(暗殺・戦闘)を加えて弟子たちに教えたのが松陰の松下村塾だったのである。”松陰の”としたのは、最初の松下村塾とは異なり、吉田松陰による後期松下村塾は「維新革命」の実践活動に立ち上がることを誓い合い、門下生をはじめ藩政府当局などに宣言したことにあり、現在も
上小倉神社紀伊国名草郡和歌山市下三毛508(鳥居横に空きスペース有)■旧社格村社■祭神手置帆負命彦狭知命[配祀]誉田別命伊弉諾命伊弉册命須佐男命和歌山市の最東部、長閑な田園地帯「下三毛」に佇む社。◎創祀は和銅年間(708~715年)とされています。創建由緒は不明。明治に改称されまでは「九頭神社」と称されていたとのこと。◎「紀伊続風土記」によると「九頭」は「国主」であり、大国主神のこととしていますが、これは後世の附会によるもの。「紀ノ川」流域に多く鎮座する九頭神系の