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今晩は今日はタイトル通り僕が愛する日本一の弟分その名は河原田敦志通称ぶーへのメッセージブログです彼と出会ったのは約4年ほど前2度目の出会いはもう1人の弟分熊本の日本一顔のでかい男藤本大介ことフジモンと3人で熊本で飲んだ時でした。ずっと自分を責め続けてきたブーの話をバーカウンターに男3人並んでずっと聞いていました。あの頃のブーは限界をいろんな意味で越えていたでも子供も小さいし会社もあるしで限界を超えながらもずっと一人で抱え日々自分を責めている毎日だ
心、頭、体、全て合わせたものを1つの自分と捉えるのでは自分の声は聞こえない私のイメージでは、肉体は車で考える自分は運転手助手席に魂がいる(私の場合は星人のラリーさん)後部座席には悪いやつが乗っている優しいやつ、傷つけてくるやつ、事件をおこすやつ後部座席の奴らはずっと話しかけてくる「助けてあげたら?」「お前はできない」「バカにされたんじゃない?」「すごいね」「大丈夫じゃない?」こいつらがしつこいので言うことを聞いてしまうすると自分の運転に集中できない悪い奴らの声に気を
自分の風邪の症状は喉が痛く鼻水ジュルジュル咳コンコン一日経ってもあまり変わらず出勤したものの病院行きを促されたので早退することに頑張って出勤前するのは、今は昔今は、無理せず休むのが主流らしいですでも近所の病院はどこも水曜は午前のみそこで昔々何回か行った事のある、我が家から一駅離れた場所にある病院を思い出したネットで調べるとページがみつかりませんとか電話番号やアクセス等の情報は出てくるけど詳細はわからなかったりなんとも心許ないそれでも水曜は
Enjoyyourlife☺︎
たぶん、気になっている方もいらっしゃるかもしれませんが・・・。先月の記事「変化の時代とは何か」の中で、あるじは変化の時代について、「8月中旬頃から開始となるようだ」とお伝えしておりました。さて・・・その8月中旬も過ぎましたが、変化の時代はすでに始まっているのでしょうか?実は僕の方では、先日この方からインスピレーションを頂いておりました。シリウスの慈悲と大地の神様・・・ロンヤールさんですね。昨年11月に「無宗教の可能性」という記事で出てきて下さって以来
私のセッションには、教師との記憶がトラウマになって成長や実力発揮の妨げになっている生徒さんが、本当に本当に多くいらっしゃいます。先日も、生徒さんが『こんにちは』と入って来た瞬間、『あれ?もしかしてまた誰かに何か言われた?』とピンと来て、聞くとやはり教師からがっくり来る事を言われて自信を失っていました。教師もそんなに深く考えずに発した言葉かもしれませんが、その余計な一言が彼らにものすごく大きな影響を与えてしまうこともあるんです。私は、ほぼ毎日そんなトラウマを取り去るお手伝いを
国之常立命さん「どうも・・・お久しぶりですね・・・。今は本当に・・・いろいろなことが起きています・・・。皆さんの中でも・・・少しずつ・・・心の課題が見えてきたり・・・あるいは逆に・・・それを乗り越えて・・・安らかになれたり・・・明るい気持ちになれたり・・・という変化も起きているようです・・・。しかしもし・・・ずっと辛い状況が続いていたとしても・・・どうか落ち込まないで下さい・・・。今の時期というのは・・・本当に・・・難しい時期なのです・・・。少し前に・・・あ
これから自分の宿命を使って、心の次元の上げるための、苦しみ悲しみに対する考え方&自分の取るべき態度(行動)について記していこう思っているのですが、これに関してもやはり結婚占技の時と同様に、「心」を算命学独自の視点で観ていくことになるので、まずは「算命学では心というものをこのように扱っています」という視点レイヤーを設定することから始める必要が出てきました。今までの基本編も含めて、改めて設定し直していきます!※このブログ独自の視点ポイントです❶人間は、人間=肉体(有)+霊魂(
連休1日目・・・・師と一緒にバスや電車に乗るのは初めて(笑)柴又駅へやって来ました♪目的地は・・・柴又帝釈天の参道柴又帝釈天ではなく参道の観光目的です。(笑笑)私は見たことがないですが男はつらいよの撮影地だそうで寅さんがたくさんいました食べ歩きをしようと思っていたけど食べ歩いたのはこれだけ。(笑笑)お腹がペコペコでお店で食事をしました名物の草団子私は苦手なので師にお願いしました(笑)柴又帝釈天に到着お参りはせず、散策して楽しみました♪帰路はお漬物屋さんで
恵比寿さん「以前・・・わたしは・・・こちらで・・・得たら失う・・・という真理を・・・お伝えしておりました・・・みなさん・・・覚えてくれてますでしょうか・・・?あはは・・・忘れてしまっていても・・・まったく問題はありません・・・では・・・少しだけ・・・以前のおさらいをしましょう・・・得たら失う・・・ということは・・・森羅万象の法則で・・・人間の世界にも・・・存在している法則です・・・ですから人は・・・本当は・・・得よう得ようとするよりも・・・時には
🪞私が思う年齢の重ね方今年の4月で、いわゆるアラフィフに突入。お誕生日が近づくと、憂鬱になる〜という友達や知り合いいるんだけど、、笑目に映る数字が増えていくのとあわせて、少しずつ何か失っていく感覚があるから、憂鬱になるのかなとも感じます。シワだってできるし、肌の張りもなんとなく違うし、カラダの疲れも取れにくくなったりと、、色々少しずつ違いを感じるのは確かに否めない。ですが、ネガティブになる必要も私は無いと思っていて、、反対に年を重ねていくのって、その分、
ABR検査を受けた日の夕方耳鼻科の先生が病室に説明に来てくださいました。ABRの検査結果は右耳80dB左耳70dB両側外耳道閉鎖症による高度難聴でした聴力としては、非常に大きい声か補聴器を用いないとほぼ聴こえないレベル。画像引用:難聴と補聴器の情報源『みみから』さん難聴の程度|Widex聴力の低下の度合によって難聴のレベルも分かれています。www.widexjp.co.jpヘッドフォンステレオ🎧音量最大でやっと聴こえる位かぁ、、じゃぁ今まで声に反応してるように見えたの
清水友邦さん投稿より約1万6000年もの間、環境を破壊せず戦争をしなかった縄文時代は世界でも類のない平和な時代でした。争いを好まず和を尊ぶ心人を同じ仲間としてやさしく迎え入れる心富を独り占めにせず誰にでも平等に分け与える心個性や能力の差を認めながら調和できる心自然に対する感謝と畏怖の心日本に住む人の心には縄文の心が延々と引き継がれてきました。今から140年前の1877(明治10年)に東京大学の教授としてエドワード・S・モース(EdwardS.Morse1838-1925)がア
今年最初の記事でご紹介したイラストの中に、以下の赤と青の陰陽図がありましたよね。これについては、先月の記事「日韓関係の可能性」の中でも、少し触れました。そして、今年最初の記事で、このイラストについて、『いずれあるじにでも詳しく解説してもらおうと思います』・・・と、僕はお伝えしていたのですが・・・。1月中に解説してもらおうと思っていたものの・・・なんやかんやで忙しく、気がつけばもう2月中旬になってしまいました(^^;)実は、この陰陽図の解説をお届けする当たっ
建御名方神さん「やあ・・・久しぶりだね・・・。私はどうも・・・大体1年おきぐらいで・・・ここに出てくる周期のようだ・・・。あっはっは・・・。まぁこれは冗談だけど・・・やっぱり私も・・・こちらの世界では・・・なかなか忙しくてね・・・。今は・・・神々も・・・一人一人の人間の心に寄り添いながら・・・精進している時期なんだ・・・。と言うのも・・・一人一人の心は・・・変わるか変わらないか・・・常に揺れ動いているものだから・・・私達は・・・その様子を見守りながら・・・適
アトピーが悪化して、かゆみがなかなかよくならなかったので、これが原因かも?と思うこと、これをしたら良くなるかも?と心ひかれたことは気力があればできる限りやってみることにしていますその中で、9月ごろから洗濯の洗剤をずっと何年も使っていたものから変えてみることにしましたずっと、右のアラウを使っていましたかれこれ、7、8年は使ってきたとおもいます肌にも優しいだろうし、ラベンダーの香りも天然なので、悪化が治らない原因とも思っていませんでした
4年生の冬私はまた祖母から逃げるために家を飛び出して真夜中寒さを凌ぐためにマンションの駐輪場で体を丸めてしゃがみ込んでいたそれでも寒さを凌ぐ事はできず私はあるマンションのエントランスで寒さを凌ぐ事にした当時私の行動範囲の中で唯一のオートロックのマンションあそこへ行けば寒さを凌げると思いついた深夜のマンションなかなか人が通らずドアが開かないそこへ1人の人が帰ってきたその人は私の事を不審そうに見ながらオートロックを開けた私はその人と一緒にマンションのエント
私は度重なる家出の末に児童相談所に保護され一時保護所で一時的に保護された一時保護所というのは児童相談所が管轄する言葉通り子供を一時的に保護する所で何らかの理由で家には帰れない帰すことができない児童を預かるそこには0歳児〜高校3年生までが入所でき親に育児を放棄されて児童養護施設が決まるまでの間入っている子もいれば非行行動が酷く家庭裁判所の結果を待つ子もいる理由も年齢もさまざま最長2ヶ月間しか入れずもちろん自由に建物内を動くことも出入りする事も
施設での新しい生活3歳からほとんどまともな生活をした記憶がなかった私にとって施設に入ってやっと普通の生活ができるようになった何よりも施設に入るまでの私はずっと心が休まる瞬間がなかったのだと今になって感じている自由はないけど理由なく怒鳴られる事も理由なく殴られる事もない生活やっと安心を得ることができた施設で生活する子供達の入所理由は様々生まれた時から親の顔も知らない子私同様虐待を受けた子ネグレクト生活苦みんなの心の中はわからないけど寂しそうにして
2600年ほど前、インドに、ゴーダマシッタルダーという男性が生まれました。そして、36才で悟られ、80才で帰天するまで、人々に法を説かれました。法とは、この世あの世の真実であり、生老病死の原因であり、輪廻転生のことであり、人が幸せになる生き方のことです。そしてお釈迦様(ブッダ)が説かれた法を、分かりやすく解説されたのが、昭和初期~中期を生きた高橋信次師です。私は、信次師のご存命中にお会いすることはかないませんでしたが、今から約30年前、私が27歳のとき、信次師の高弟子であられた園頭広
今から数十年前に・・・マイクさんは、アメリカのある州に生まれました。明るく前向きな性格の彼は・・・子供の頃から友達が多く・・・のびのびと成長していきました。彼の両親は、敬虔なキリスト教徒で・・・日曜日には両親と一緒に教会に行き・・・牧師さんの話を聞いていました。他の子供達と同じく、その時間はほとんど退屈でしたが・・・唯一、牧師さんがよく言う「神はいつも最善をお与え下さる」という言葉だけは・・・不思議と彼の心に深く残りました。マイクさんが27歳の時・・・愛情深いリサさんに出会い・・
人生を「航海」に例えた名言は多い。松下幸之助氏もこんな言葉を残している。「風が吹けば波が立ち、波が激しければしぶきを受ける。波を受け、しぶきをかぶっても、舵取りさえ確かなら目的の港に入ることができる」(『松翁論語』PHP研究所)ある壮年部員の話。彼を襲ったのは烈風と言ってもいいだろう。コロナ禍により業績が悪化した勤務先で、200人の希望退職者を募る発表があった。59歳の彼は該当者にされた。“40年間、真面目に働いた結果がこれか”と落胆した。だが彼は、どうなろうとも最
神仏は、此処のがの願いとかも聴いてくださいます少し、私の人生を、大まかに、語りますねまず、島根県、隠岐郡に、生まれて愛宕山の、祭り事も、してました貧しい家庭で過ごし(今は両親は、大好きです)良く貧乏人とか、死人と、多くの人にイジメられましたねけど、イジメられ、車🚗に、当たっても、崖から落とされても無傷でした良く、愛宕山の賽銭箱から、お金💰も頂きましたけど神さまは、守ってくださります神さまは、頼ってください神さまと、逢えるのは生きている、今しか無いですから人は、真っ直
祖母の私達への虐待は止まる事なく続いたそんな中姉が虐待を受けていた時の事姉はもう5年生も終わりに近づき3学期も中盤に入っていたリビングのテーブルの上に置かれた見慣れない冊子表紙には雪化粧の山の写真に「白峰村」と書かれていた私はその時通常の生活をしていた何やら母と祖母がバタバタとしているそんな雰囲気が何もわからない私にも伝わってきた3月中旬春休みに入ってすぐ突然泊まりで出かけると言われたしか母に連れられて姉と私と祖母と4人で電車に乗ったかなり長
昨日はご相談者様にトラブルがありLINEやお電話をさせて頂きました。夜はご相談者様がご主人と話し合いをなさる予定でした。何かあったり、話し合いが終わればLINEをくださると思い、お風呂にもスマホを持って入りました。(笑)ここ最近では1番心配をしたと思います話の中でご相談者様にお伝えさせて頂いたらとても驚かれていました。確かに私はいつもと変わらない様子で淡々としているかもしれませんが(笑)そりゃあ心配するでしょうご相談を受けさせて頂いているとご相談者様達の事を考
ヤマトタケルさん「前回は・・・6月に出させて頂いたが・・・あれからまた・・・いろいろな変化が起きているようだ・・・。中国においては・・・習近平が・・・さらなる長期政権を確立し・・・党内のA勢力を徹底的に排除した・・・。このことは・・・基本的にはよい流れなのだが・・・ただ・・・このことによって・・・現在も中国共産党が行っている悪事の責任を・・・今後は・・・習近平が背負うことになるだろう・・・。つまり・・・純粋な信仰心を持つ人々を迫害し・・・全世界から貴重な技術情報を盗み取
私はその後警察に保護されそのまま一時保護所に保護されたこの時は今までで最長期間の保護だったある日のケースワーカーとの面談「もうここから出なあかんねんけど。家に帰る?家に帰りたくない場合は施設に入るっていう方法があるねんけどどうする?」と聞かれた私は即答で「家には帰りたくない」と答えた「じゃあ。施設に入れるように手続きするね」私に一筋の光が差したこんなに嬉しい瞬間は今まで味わった事がなかったやっと地獄から抜け出せるそれから数日後一旦家に帰されて後日施
私は一時保護所から帰宅して数日後施設に人所するための準備をしていた荷物をまとめている時祖母から「これはこの家で買ったものや!持って行くな!」と嫌味を言われながら支度をした施設に入ることが決まっていたためさすがに暴力は振るわれなかったけど祖母は最後の最後まで私を罵った私は必要最低限の荷物をまとめ母に連れられ施設に向かった私が入所した施設は都会のオフィス街の中に建つ大きな建物だった祖母から監禁を受けている時沢山読んだ本その中に出てくる子供を預かる
負けずに生きて行こう今日という日を気持ちを強く持って心に優しさを忘れずにまっすぐに明日に向かおう負けない気持ちで挫けない心で精一杯生きて行こう輝く未来に向かってランキングに参加してます。クリックお願いします_(._.)_創作詩ランキング
それにしても娘があんなに酷い事をされている家の中で平然と生活のできる母の心理状態は少し異常だと思う私が包丁を突きつけられても私が湯船に沈められても姉が大怪我を負っても祖母を止める事なくそれどころか姉に口止めまでしてしまうどう考えても正気の沙汰ではないと思う普通ならこれが他人でも助けようとしない?通報でもなんでもその人を何とか助けようとしない?それを我が子が受けているなら尚更だと思う私がもし自分の子供達があんな事をされたら。。。という