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こんにちは心理セラピストの野沢ゆりこです。おもに東京・千葉で活動しています。野沢ゆりこのプロフィールはこちらどんな人に向けて活動しているの?自己否定が強い(自分はダメ、自分が嫌い)自分責め、罪悪感が強い(全部私が悪い、全部私のせい)そんな人が過去はどうであれ、↓「私っていいな」に変わるセラピーを目指しています。リトリーブサイコセラピー協会がおこなっております、電話カウンセリングを担当しております。こちらもよろしくお願いいたしま
レスの問題と向き合って、自分にとってプラスになったことのひとつが、「自分の気持ちに向き合う」ことが上手くなったこと。例えば、怒りを感じた時に、「自分は何に腹を立てているのだろう」「なにが気に食わないのだろう」と、自分の気持ちを整理して考えることは、出来ると出来ないでは全く違うと思う。例え、その場では冷静になれなくとも、そして、怒ったり、悲しんだり、いじけたり。そういう自分を否定せずに、「あぁ、ムカつくんだね、そうだよね、、、」「言っても仕方ないけど、寂しいよね
ご訪問いただきありがとうございます(^^)こころ整体院の船山武です。SLTフリー3セミナーを7/27(日)に開催します。日々進化して、より強力になっているSLTフリー3!今回はより進化し強化された最新のSLTフリー3をお伝え出来ます。そして、進化したSLTフリー3のアップデート内容は、今までSLTフリー3セミナーに参加した方にもお伝えする予定です。※資料を添付したメールを7月のセミナー開催後にお送り致します(SLTフリー3セミナー参加者
旦那が裕子と海で3回セックスしたとどの海か旦那は言わなかったけど私はきっとあのビーチだと思っているビーチがある。そのビーチは公園もあってBBQも出来たり、もちろん海水浴もブランコに乗ると海が見えて綺麗でこの事を知る前はよく子供と行っていた私は旦那から聞いてからそのビーチの看板さえも目入るとキツかっただから、この前ママ友さん達とのBBQもドタキャンしたでも今日子供がどーしてもあのビーチの公園に行きたい、ブランコが乗りたいとグズグズした私はまた今度ね、今日は雨が降りそうだか
息子は、委員会の委員長だった。委員会をよりよくするために、色々な改革がしたかった。だが、頑張れば頑張るほど、空回りする。皆がついてこない。委員会の担当の先生も、少し冷たかった。このリーダーとしてのプレッシャーや、クラスのトラブル、さらに首の怪我の件から、ある時、息子の様子が少しおかしくなった。首の怪我は、痛み以上に、心の痛みがもっと重かった。このまま放っておいたら、おかしくなると感じ、学校外でのカウンセラーを探した。学校では、担任の先生も全力で息子を支えてくれた。学校が嫌だ、と言う息子に寄り
遅ればせながらあけましておめでとうございます。前回は長男がいじめを受けていた事がわかったところまでを書いて、続きをまとめきれず、年末バタバタと2020年が終わってしまいました。少し間空いてしまいましたがまた続きを書いていこうと思います。***昔からいじめはやっぱりなくならないですね。で、いじめるのはもちろんダメなんだけど、いじめられる側にも問題があるというのもよく聞く話だと思うんですがこの捉え方って、どうなんでしょうか?うまく伝わるのかわからないけど以下に私の考え方を書い
おいでくださり、ありがとうございます世界に一つだけの魔法のセルフ心理学コーチありかです先日、群馬県の四万温泉に行ってきました積善館という、元禄4年に324年前に建てられた日本最古の湯屋に宿泊しました。忠臣蔵より前の建設だそうで、歴史の重みに驚きました(゜ロ゜)この雰囲気なんだろう?!なんだかいる知っている感じが、するなぁなんて思われた方、いらしゃいますか?じつは、ここは「千と千尋の神隠し」の映画の湯屋のモデルになった、温
こんなになっても👉過食をやめない。ジムに通う決心をされても、友人の披露宴までに僅かに身体を動かし、三月も通えば飽食の世界。おまけに、継続できないのは他人のせいにしてしまう誰でも、多少の逃げを打つ時はあるのでしょうがあからさま過ぎると、醜いです。そんな方、心が壊れてると思うのですよね、人間失格のレベルで。トレーナーは。でもね、人間って本来心が弱い生き物。そう思ってあげなきゃイケナイ場面もあるなぁと、まだまだ少しだけど、考えることができるようになった気がします。
今日は、”安心感”について、私が感じていることを書いてみたいと思います。私は、安心感には二つあると常々感じています。一つは、「相対的安心感」。もう一つは、「絶対的安心感」です。このような言葉があるのかどうかわかりませんが、私の中ではこのように感じています。「相対的安心感」これは、自分の考えや行動を、誰かに認めてもらう・許してもらう・ほめてもらうなどにより得られる安心感のことを意味しています。つまり、他者の反応などによって得られる安心感のことです。「絶対的
自分の思い通りにならない神などいらない・・・・・・そしてその一年後、生まれて初めて心の声を聞き、神の存在を信じることで、姉の死も受け入れられた。すべてのことは意味があるのだと理解できたからだ。それは悲しみからの完全な解放ではなかったが、納得し前へ進もうとする力ではあった。※画像おかりしてますm(__)mだから私は心で神を信じることと、宗教活動とは別の次元と考える。その二つは区別するべきなのだ。たとえ宗教団体に属さなくても、信仰とは心