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5月26日(日)は運良く本城球場を13時から5時間借りれるようになりました。久々の本城球場です。なかなか貸し出しする事すら少ない球場です。ただ高価なので人気はイマイチかもしれません。グレード的には上級ですので何かイベント事しても良いかな?とも思ったり…つーか、その日は若松サンデーリーグが2試合入ってるので、まずはそちらが重要です。なのでこの日は4試合になるのかなぁ(笑)で、せっかく良い球場借りてやるんだったらさ、アナウンス付きにしたらより豪華じゃない?😙なのでアナウンスのプロフェ
先日、twitterで「どうやったら平家は滅びずに生き残ることができたのだろう?」という、歴史のif話があがりました。『平清盛』放送から9年。こうした話題がネットで見かけるようになったの、大河ドラマの影響があるに違いないと。それ以前ではほとんど見かけなかったネット世界を知っているので、ワタクシは確信しています(←ただ信者なだけ?ごもっとも・笑)元暦2年3月24日(1185年)。「壇ノ浦の戦い」によって平家滅亡。「平家にあらずんば人にあらず」とまで、この世の栄華を謳歌
第七十七代後白河天皇は平安時代末期の天皇です。昨日は安徳天皇の祭日でしたが、安徳天皇は後白河天皇の皇孫となります。大治二年(1127年)生。御名は雅仁(まさひと)。御父は鳥羽天皇、御母は藤原璋子。御在位、久寿二年(1155年)から保元三年(1158年)。雅仁親王は鳥羽天皇の第四皇子です。第一皇子の同母兄の崇徳天皇が譲位したのは、鳥羽法皇の寵愛する皇后美福門院から生まれた異母弟の近衛天皇でしたので、皇位を継ぐとは誰からも思われていませんでした。しかも、父や兄からは、「
東京五輪2020、閉会しましたね。このブログでも書きましたが、ワタクシにはスポーツ観戦するっていう習慣がなくて。なので、ほぼ見ないまま終わりましたが、twitterで見る限り、楽しんだ方が多くいるようで、良かったですねーと、そんな気分です。一方で、新型ウイルスの疫病が流行る中では、ほとんど楽しめなかったという人も、やっぱり大勢いるんでしょうね。それは残念でしたございましたね。…と、とりとめのない時節の挨拶はこれくらいにして…(笑)今日は「系図で見てみよう」シリーズを
今年は「後白河天皇の系図」に関して検索して来られる方が結構多いのです。当ブログの検索アクセスの3分の1ほどが、この関連になっています。これはやはり、『鎌倉殿の13人』やアニメ『平家物語』、そして『平清盛』配信スタートが関係あるんでしょうか。ご訪問ありがとうございます!お暇な時にでも読んでやってくださいね♪で、ご到着されるページが、こちらになっているわけなんですが…。系図で見てみよう(天皇家/後白河帝以降)(再掲)https://ameblo.jp/gonch
天皇の名前というのは、ほとんどすべて、死んだあとに後世に贈られる尊称です(生きているときは、単に「ミカド」とか「院」とかです)。この「死後に付けられる呼び名」には、実は二種類あるんです。その天皇の業績などに因んで後世の学者がつけたもの(天智とか天武とか)を「諡号」といい、その天皇が離宮を営んだ、引退後に住んだ場所で呼んだものを「追号」といいます(奈良時代あたりまでは学者も力をこめて天皇の諡号を考えていたんですけど、平安時代になって天皇が実際の政治をしなくなってくると、業績っていってもあんまし何