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十八代目中村勘三郎さんが亡くなったのは、2012年だから、既に10年が経っている。舟木さんとのこの写真の時は、まだ中村勘三郎ではなく、中村勘九郎の頃の写真だ。45年間中村勘九郎の名前だったから、我々年寄りには勘九郎ちゃんのイメージが強いのは、6歳の時に出た映画「アッちゃん」なんて映画があったからだろう。舟木さんが平敦盛を演じたのは1966年のNHK大河ドラマ「源義経」だったが、勘九郎時代、1972年のNHK大河ドラマでは、勘九郎さんが1972年NHK大河ドラマ「新・平家物語」で平敦盛を演じて
3人目は敦盛です~いつものネタバレなので嫌な人はBACKしてください平敦盛(cv保志総一朗さん)手枷足枷?付きの美少年。笛の名手。戦闘後に倒れていることを望美に助けられ、平氏を裏切って仲間になる目的は「全ての怨霊を救う」為・・・でも実は、敦盛自身も黄泉の世界から蘇った怨霊勾玉がないと暴走し安く、この勾玉を入手するのがこのルート攻略の鍵!あーー敦盛ルート難しかった!勾玉がないと敦盛は攻略出来ないので、この勾玉を手に入れる為に、
平家の武将平敦盛さん彼は、初陣で亡くなりました。享年16歳。武力より笛を好んだ彼は、能楽『敦盛』や謡曲、浄瑠璃のモデルになっています。敦盛さんの首をはねた武将は、生涯その事を悔やみ続けたといいます。その武将の子どもと敦盛さんが、同じくらいの年頃だったから。後年その武将は出家し、菩提を弔って一生を終えたそうです。戦争反対!
敦盛哀歌舟木一夫1966年に放送されたNHK大河ドラマ「源義経」は、第一作「花の生涯」から「赤穂浪士」「太閤記」と続き、第四作目となった作品だ。「赤穂浪士」で、矢頭右衛門七を演じた舟木さんは、脚本の村上元三さんの推薦もあり出演したが「源義経」も同じ村上元三さんの脚本と言う事もあり、平敦盛で再び大河ドラマに出演する。舟木さんの曲「敦盛哀歌」も作詞は、村上元三さんである。敦盛は、一之谷の戦いにおいて、義経の奇襲にあい討ち取られる。横笛の名手だった敦盛のことは、明治時代の文部省唱歌
またまた能登の観察会でのお話……あるお宅のお庭に植えられていたクマガイソウ(上)とアツモリソウ(下)ですクマガイソウもアツモリソウも石川県では絶滅が危惧されているランの仲間ですアツモリソウは去年、ある場所で自生しているものを見ましたクマガイソウもとある場所には自生しているようです(絶滅危惧種なので場所は書けれません……ごめんなさい)アツモリソウという名前を聞いたとき「もしかして平敦盛からかな?」とは思ったのですがそのあところっと忘れていて今回クマガイソウというのもあることを
嫩ふたばの物語。一谷嫩軍記いちのたにふたばぐんき物語の時代は源平の戦いで平家が敗北しかかっている頃。主人公は熊谷次郎直実です。平家が源氏に追い詰められている時代かつては宮人のようだった平家も、源氏に追い詰められ、須磨の海岸で陣を固めています。そんな平家の陣門の総大将は平敦盛たいらのあつもり十代後半に差し掛かったばかりの若者です。義経軍はそこを攻め落とすため、熊谷たちを差し向けました。陣門へと一番最初にたどり着いたのは、熊谷の息子の小次郎。敦盛と年齢が近く、今回が初陣で
短大国文科のときに平家物語を研究し、それだけで飽き足らず本や漫画やテレビを見続けていた。所属していたサークルでは仲間たちをせっせと洗脳し、ついには神戸から下関までの大旅行をゴールデンウイークを利用して敢行する。その間京都大阪岡山に住む仲間たちが入れ替わり立ち代わりつきあってくれた。その仲間たちに見てもらうためにそのときの旅のまとめと学生のときの研究を総合した冊子を作ったことがある。もはや卒論だな。ここまでもちょこちょこ地図など出してきたが、ここからは本格的にイラストも旅マンガも使って展開し