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『光る君へ』が完結して、はや1週間。今年も残り1週間を切りました。もう思い残すことはないですか?(何)思い残すこと…といえば。私事ですが、今秋になってから勤務体制がちと変わりまして…。そんな私生活に追われて、やろうと思ったのに公開できなかった『光る君へ』関連の記事が、いくつかあります。本当に、体力と気力って大事よね。「元気があればなんでもできる」とは、ほんにほんにと、思います。その中に、以前にやったことの続きが1つありまして、これは今年の内にやって
こんにちは!Scoti-manです。2025年10月29日午前2時頃にリリースされたCK3の最新DLC「AllUnderHeaven」。本DLCの目玉の一つ、867年シナリオ、平安時代の日本でプレイしていきたいと思います。(867年シナリオ日本の概要はこちら↓)CK3AllUnderHeaven日本の概要|WNHシミュレーションゲームの部屋平安貴族プレイ、ということで誰を選ぼうかいろいろ迷ったのですが、今回はこの方で頑張ろうと思います。当主由尾・・・誰?
ワタクシはすっかり忘れてました&出勤でどのみち見れない身の上でしたが、『光る君へ』総集編の放送があったようですねー。SNSによると、三条天皇や周明、刀伊の入寇、そして道長薨去あたりは、ごっそり「無かったこと」になっていたとか…w『光る君へ』総集編で“全カット”された重要キャラネット衝撃「嘘でしょ!?」「道長が編集しただろw」⇒★(外部リンク)どーせ無かったことにするなら、ソウルメ(シュクセイ!!シュクセイ!!)『光る君へ』、ワタクシは全体的には楽しく見れたのです
「源氏」と「平氏」の起源は、もともとは、平安時代のはじめ、嵯峨天皇(桓武天皇の子)が、沢山の子供を作り、そのうち皇太子と数人の皇子をのぞき全員一律に「源」の姓を授けて臣籍降下させたのが始まりです。中国風に漢字一文字にしたほうが「カッコイイ」と考えられてのことでしょう。それまでも、臣籍降下したもと皇族は沢山いました。天武天皇(飛鳥浄御原のみかど)の子孫の清原氏とか、平城天皇の子孫の在原氏とか、高市皇子の子孫の高階氏とか。こういうふうに、皇族が臣下になるときは、先祖の天皇にまつわる姓がその都度
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は「まにまに」平安時代頃までは使われていました。(以下、本文は常体で続きます)このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向(たむけ)山もみぢの錦神のまにまに菅家(百人一首24番古今和歌集羈旅420)今回の旅は取り急ぎのため、道祖神に捧げる幣も用意して来なかった。代わりに手向け山の錦のような紅葉を捧げましょう。神様のお気
みな様龍です。突然ですが、『詞梨勒』(カリロク)をご存知でしょうか?古代インドで、消化器官や呼吸器の薬、魔除けとして使われていた「詞子」の実が、中国へ伝わり、お香の材料として使われるようになりました。奈良時代には中国から仏教と共に日本に伝えられ、平安時代には、柱や床間に吊るす魔除けや厄除けの「掛け物」として飾る風習が定着します。特に、新年を迎える今の季節に玄関や柱にかけておくと、そこからの一年、邪気を払ってくれると言われています。この度、この「詞梨勒」を作
傘杉社はルートから外れるので、外国人だらけの混み具合から解放されます(笑)到着しました。御神体は、その名の通り杉の木です。伏見稲荷大社では、稲荷山に生える全ての杉が「しるしの杉」と呼ばれ、御神威が宿っています。平安時代から、熊野詣の参拝者が道中の安全を祈願して「しるしの杉」を持つ習慣があったほど、古くから信仰の対象とされてきました。周辺には、「三本杉社」や「一本杉大神」など、同様に杉を祀る社が点在しています。滝行ができる滝が近くにあります。さて、お詣りできました。滝の流れる音を聞
昨年の大河ドラマ『光る君へ』を見てたら、ふっと気になることがそういえば平安時代の藤原氏・・・・どこに葬られてるのかな?そんな疑問から今回の一人旅(墳活旅)となりました※今日、「古墳」は出てきません↑こちらが藤原道長の墓の可能性が高い宇治陵32号陵、南側の様子日本人ならおそらく誰もが聞いたことがある藤原道長。その道長のお墓・・・・小さくて寂しいものでした場所はこちら:34.926114,135.803713↑宇治陵32号陵、南東側から宇治市木幡
https://x.com/kasahara_yachi/status/1883687396056993947SNSで話題になっていた話。槍は叩くものか突くものか。結論からざっくりいうと、足軽の長槍は叩く事も多かったようです。槍ぶすまを敷いて敵の足軽と叩き合う。武士の槍は突くのが基本。↑江戸時代にはこんなテストも行われていたようです。刀の死体試斬は有名ですが槍は知りませんでした。しかし槍で叩いたり振り回す事は珍しくなかったと思います。
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。今回は藤原頼通の妻妾の系図について見て行きたいと思います。頼通は藤原氏の摂関政治の最盛期を築いた藤原道長の嫡男で、母は左大臣・源雅信女・倫子です。同母姉に一条天皇中宮彰子、同母妹に三条天皇中宮妍子・後一条天皇
源頼茂が西面武士に討ち取られた後も、鎌倉幕府が後鳥羽上皇とコンタクトを取ろうとしていた記録は存在する。ただし、コンタクトを取ろうとした記録だけが存在し、コンタクトを取れたという記録は存在しない。吾妻鏡によると、承久元(一二一九)年八月二六日に、鎌倉幕府は後藤基綱を上洛させ後鳥羽上皇と面会させようとした記録がある。名目上は後鳥羽上皇が体調を崩したという連絡があったことに対する見舞いである。見舞いができたかどうかについて吾妻鏡は何も記していない。ちなみに、愚管抄にいたっては三寅が第
白山神社🗺️三ノ輪町🗺️⛩️言い伝え⛩️平安時代、桓武天皇(781年~806年)の第四王子である戒成親王は在京中に不治の病にかかられ占いにより、病を治すために関東にくだるおりこの三河の地にきて病になられ延暦16年(797)11月11日に帰幽され三ツ塚(現向山町三ツ塚)…戒成親王❓️❓️桓武天皇(かんむてんのう)⏬️インターネットより⏬️⏬️✨️読史備要(とくしびよう)✨️より⏬️桓武天皇の家系は父に第49代光仁天皇母に高野新笠をもち平安時代初期
中国史って、なんで漢とか唐とか元とか明とか、国の名前が細かく分かれているの?全部合わせて中国じゃあダメなの?中国てのは、少なくとも19世紀までの歴史では、国の名前じゃあないんですよ。秦とか漢とか魏とか唐とか、宋とか元とか明とか清とか、王朝が変わるというときは、支配する民族が変わる、社会構造も文化も全然違う、別の国になってしまうんです。中国人は中国人でしょ、違います。中国人なんていう民族は、そもそもありません。広いユーラシア大陸のあちこちに蟠踞しているいろんな民族のうち、強くなったヤツ
おはようございます期末テストが終わりました。さてどんな結果になってきたのか・・・汗最近の流れでしょうか?担当している生徒さん、結構髪が長いです。ヘアドネーションをされた方もいるくらいです。(しかも中学生、素晴らしい!!!)なんでそこまで長いのがいいのか、理由はよくわかりませんが・・・高3女子は、口をそろえて、卒業式は長い髪でいたい!!!なんでやねん!!!と思う私・・・確かに振り返れば、高
1/29メメ旅②1/29京都、嵯峨野「車折神社」→河原町駅ランチ😋🍴💕→阪急梅田駅下車→紀伊国屋→泉の広場から上に上がり太融寺前北側バス停でメメ見つけました。→神戸三宮駅へ行きました。メメ探しの旅✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚相棒が去年ドームツアーチケ当選したので車折神社へお礼に行って来ました。初めてしりました、「芸能神社」って言うんだね。岩田剛典→ガンちゃんいました🥰隣の隣は長嶋一茂さんですね。流石に芸能神社
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。清少納言シリーズ前回のお話はこちらから『清少納言②「書院造の部屋
古歌謡の皆様2025年12月7日(日)10.00-12.00この日は、神楽歌「榊(さかき)、於介(おけ)、韓神(からかみ)、早韓神(はやからかみ)」そして、朗詠「暁梁王」を歌います。しっかりと練習しましょう。御教室にて、楽譜のコピーを差し上げます。お願い申し上げます。石川高朝日カルチャーセンター新宿教室「古歌謡をうたう」石川高
最終回感想と総評に分けて書きます。かなり長文、連投になります。これで最後の機会なのでお許し下さい。最終回!倫子の問い。若い道長もそして今、倫子もまひろを妾に収めようとしたけどどうしても、そういう小さい器には収まるハズもない。嫡妻にはなれない身分の女、ならば妾相当だろうとこの時代の人は考えるのだろうけど道長とまひろの歴史を聞くにつれ、想像以上の存在だった事に驚愕した事でしょうね。また、この年齢、この時期になっての詰問だったので倫子がまひろを問い詰める形になってしまってい
先日、丹波篠山市の東部の秋の祭礼「左近神社」に行ってから歴史文化の深みにハマっている今日この頃です。今日は百人一首「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」について、ソワソワしています。作者は崇徳院川の激しい流れが岩にせき止められて分かれても、やがてまた一つになるように、愛しい人とは今は離れていても、いつかはきっと再会したいという強い願いが込められています。などの説があります。受験など、応援する歌としても高校生に人気がある
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。今回は大河ドラマ「光る君へ」の前史的なお話で、藤原道長の祖父・藤原師輔を取り上げたいと思います。藤原師輔は平安時代の貴族で、村上天皇の御代に右大臣だった人物です。異母兄の実頼が左大臣として一上の地位にありましたが、師輔は娘の安子を村上天皇に配し、安子が皇太子・憲平親王(後の冷泉天皇)を産むと、実頼を凌ぐ実力を手に入れて
ムラサキシキブ(紫式部)花言葉【聡明・上品・愛され上手】「紫式部(ムラサキシキブ)」という名前は、紫色の実の清楚な美しさを、『源氏物語』の作者である紫式部(平安時代中期の1000年頃の人物)にたとえたといわれます。また、もともとは紫色の実がたくさんなるという意味の「紫敷き実(ムラサキシキミ)」と呼ばれていたものがムラサキシキブに変化したともいわれます。日本原産の植物であるため、英語では「Japanesebeautyberry」と呼ばれます。古くから日本各地の山里にあった木ですが、今で
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。本日は大河ドラマ「光る君へ」の最終回にも登場した菅原孝標女の系図です。菅原孝標女は平安時代の女流文学者で『更級日記』の作者です。『浜松中納言物語』や『夜半の寝覚』の作者であるとも言われています。『更級日記』
★竹取物語に隠された宇宙人の痕跡★☆不自然な誕生と成長☆「かぐや姫は竹の中から見つかった」という物語の冒頭部分は、実は宇宙からの来訪者を表現したものかもしれません。発見された時のかぐや姫の大きさはわずか3寸(約9cm)だったとされ、その後わずか3ヶ月で成人女性になったと記されています。これは人間ではあり得ない成長速度です。また「この世のものとは思えないほど美しい」という描写も、単なる比喩ではなく、地球の生命体とは異なる存在だったことを示唆している可能性があります。かぐや姫が実は宇宙船の脱