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護國寺護國寺平安時代の高僧行教上人により創建された寺院。高野山真言宗淡路島七福神布袋尊霊場、淡路四国八十八カ所霊場第十七番札所。本尊は胎蔵大日如来(平安時代後期作)国の重要文化財。元旦より10日間とお盆の三ヶ日は御開帳。数多くの古文書が現存しており、なかでも元久2年(1205)の庁宣は淡路島内最古の文書。春は参道の桜が美しく花見で賑わう。江戸初期の庭園は兵庫県の指定文化財。マスコットキャラクター『ホティさん』は和合の神様。護國寺・寺院★3.83・バス停八幡西/兵庫県南あわじ市から
『藤原北家の本流は長男でないことが多かった』の深掘り企画。今回は藤原北家の祖・房前から数えて6代目(来孫)にあたる基経(もとつね)について、やっていきます。日本史上初の皇族以外での摂政となり、人臣のトップリーダーとなった平安時代前期の巨人・藤原良房。最強最大にも見える彼の最大の弱点は「跡を継ぐ子に恵まれなかった」こと。そこで、兄・長良の息子を養子に迎え入れて嫡男としました。その養子に迎え入れられたのが、今回の主役…のはずの、藤原基経。基経は長良の三男で、承和3
紫式部は、藤原道長の愛人だったと云われていますね。ある日、道長は紫式部に、「何か欲しいものはないか?」と尋ねました。現代なら、彼女のバースデイプレゼントに「何が欲しいの?」と尋ねるようなものです。そしたら、紫式部はこう答えました。「紙を・・・ください」平安時代の権力者で大金持ちの道長に、欲しいものは?と尋ねられ、答えたものがブランドの時計でもバッグでもなく・・「紙」でした。紫式部が、この時欲しがった紙とは、今で言うところの『原稿用紙』です。それほど、当時『紙』は貴重で高価だった
四天王寺さんの「懸守(かけまもり)」梅型をゲットしました〜「懸守」というのは「光る君へ」で、まひろが旅に出る時に首から下げていた、女性のお守りです。画像お借りしています。四天王寺さんで、現代風な懸守が授与品とされているということで💛こちらは、珍しい梅の花の形をした懸守。平安時代の貴族が寄進した物が残っているそうです。画像お借りしています。それを模して作られた、梅型の懸守❗️2色あります。こちらは普通の形の懸守。画像お借りしています。これらは今も四天
『藤原氏の本流は長男ではないことが多かった』シリーズ。此度も、冬嗣から数えて6代目にあたる藤原基経について語っていきます。ただ…今回が…ですね…。タイトル「藤原の兄弟たち」なのに、藤原氏の兄弟が出てこない…ナンテコッタ。どうしょうかなーと思ったのですが…まぁそういう回があってもいいかなって(いいのか?)そういうわけで、今回は基経の単独譚になってしまいます。ただ、「応天門の変」から一歩も進まなかった前回(苦笑)と違って平安藤原氏のお話はグンと進みますので、そこはご安心を
天皇の名前というのは、ほとんどすべて、死んだあとに後世に贈られる尊称です(生きているときは、単に「ミカド」とか「院」とかです)。この「死後に付けられる呼び名」には、実は二種類あるんです。その天皇の業績などに因んで後世の学者がつけたもの(天智とか天武とか)を「諡号」といい、その天皇が離宮を営んだ、引退後に住んだ場所で呼んだものを「追号」といいます(奈良時代あたりまでは学者も力をこめて天皇の諡号を考えていたんですけど、平安時代になって天皇が実際の政治をしなくなってくると、業績っていってもあんまし何
大河ドラマ『光る君へ』今週の「月夜の陰謀」で、ついに「寛和の変」が勃発。花山天皇は京都山科「元慶寺」で出家を遂げ、退位することになりました。途中で女官に見つかりそうになったり、寵姫の手紙を取りに戻ろうとしたり、月明かりに驚いて足が止まったり…秘密裏に、かつ急いでやらねばならないのに、緩急相次ぐ様子が描かれて、さながら潜入ミッション物の脱出シーンを見ているかのような緊張感がありましたねw(車に乗ってゆらゆら行くのは、急ぐと車輪がうるさいから…でも急ぎたい!みたいなジリジリ感
京都のお寺って似たような名前ばかりで、ややこしい…。そこで、平安時代に建てられた「法◯寺」を紹介してみよう!と思い立って、前回企画で4つのお寺を語ってみました。そのうちの「法勝寺」は、通称「六勝寺」と呼ばれる6つのお寺のひとつ。なので、この際だから六勝寺の歴史についてもやってしまおうかな…と。今回は、そんなブログになります。そうそう。先に言っておきますが、今回ご紹介する6つのお寺。すべて、当時の場所には現存していません。よって、旅行の予習に…みたいに利用す
◆平安時代から、ヘアケアには気を配っています!こんにちは、山村です。前回に続いて、平安時代のヘアケアについて。平安時代の女性が、長い髪を洗うのは、1日がかりだったわけですが、今回は、シャンプーに何を使っていたのかという疑問から。『宇津保物語』では、髪を洗うことを「御髪(みぐし)すます」「御泔(ゆする)参る」などと表現しています。『源氏物語』においても、「女君は御泔のほどなりけり」という表現が出てきます。泔(ゆする)とは、米のとぎ汁や、強飯〈こわい
◆5月5日放送分では、まひろ(紫式部)が紅を唇につける場面が出てきています!こんにちは、山村です!今日は平安時代の化粧について。私はテレビをそれほど見ないのですが、今シーズンは下記のNHKの大河ドラマ「光る君へ」を見ています。大河ドラマ「光る君へ」【NHK公式】大河ドラマ「光る君へ」(2024年)。主人公は紫式部(吉高由里子)。平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力
逆説の日本史3古代言霊編/平安建都と万葉集の謎(小学館文庫)Amazon(アマゾン)逆説の日本史3古代言霊編井沢元彦あらすじ"軍隊と平和憲法"論争の原点は平安京にあった!「軍隊と平和憲法」論争の原点は平安京にあった・意表を衝く問題提起の根底にあるものとは、「天皇(家)および平安政府の軍備放棄というのは、日本史上極めて重大な、エポックメーキングな出来事である」(あとがきより)。なぜか、著者はその理由の一つは「言霊」であると説く。日本人固有の言霊信仰という新たな視点から、日本史
「その1」の記事の続きです。プロカメラマン撮影はデフォルトで1枚のみですが、オプションで追加できます。たくさんスマホで撮影してもらったので1枚追加しました。(2,500円となります)少しアップ気味を選びました。もちろん、スマホで全身も撮影していただけます。MY衵扇に持ち替えました。そして、衣紋者さんが正しいと言っている、唐衣の上に裳を装備する着方です。後ろ姿。誰が着てもこのシルエットになりそうですね。カメラマンさんがさすがプロだ
本日も、前々回からの続き。藤原氏魚名流を取りあげて行こうと思います。魚名が見た夢(再掲)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12728328493.html前回は、「武士系藤原氏の代表格」とも言える「藤原氏秀郷流」をご紹介しました。系図で見てみよう(藤原氏秀郷流)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12730979360.html今回は、秀郷流の祖となった藤成の兄・鷲取の末裔をご紹介します。
大子町の川山の八龍神社へ来ていますこちらが八龍神社空気が冷たいわぁ済んだ空気の中を行く気持ち良いですね石段を上ると茅の輪が見えました境内は整えられていて清々しい創建は平安時代とな八龍神社は大子町の上岡にもありますがこちらは川山の八龍神社ご神木は樹齢40
常総市です移動中に引き寄せられた三坂神社この奥にあるようです広い道路から奥へとここだけ別世界だわ古いよう両部鳥居も頑張って立っている江戸時代ですね麦畑が広がる黄金色に染まり始めて凛と立つ拝殿も雰囲気がありますね延歴って平安時代ですよ大同の前だわ
『光る君へ』第7話「おかしきことこそ」の劇中で、「陣の定」を開催しているシーンがありました。で、SNS情報によると、字幕をオンにしていると、台詞があった公卿たち全員に役名が付いていたそうです。えっ…と驚きなんですけれども…。オープニングクレジットには名前なかったのに…。お願いだから名前載せてよNHKさん。せっかくなので備忘記録のために、そのシーンを書き起こして、さらに人物名を追記すると、こんなかんじ。序列1位・源雅信(正二位・左大臣)「帝が亡き忯子さまに皇后の称
「一条家」「二条家」「三条家」と、計らずも「○条家」紹介のシリーズと化してしまった当ブログ。だったら「四条家」もやってしまおうと、今日はそんな試みです。自己満足もここまでやるとかえって清々しいってもんよ。四条家は、大河ドラマ『平清盛』と『鎌倉殿の13人』の時代ドンピシャ(ちょっとオーバーするけど)なので、今年のうちにやるとちょうどいいですしねw四条家は、藤原氏善勝寺流の流れをくむ家です。善勝寺流は、以前に紹介した奈良時代に左大臣にまで登り詰め、そして失脚した藤原魚名の
おじいちゃんといっしょ徳薙零己[著]AmazonKindleインディーズマンガにて無料公開中!SE山城京一のP.F.ドラッカー講座徳薙零己[著]AmazonKindleインディーズマンガにて無料公開中!E組日記徳薙零己[著]AmazonKindleインディーズマンガにて無料公開中!朱夏の陽炎~徳薙零己短篇集~徳薙零己[著]AmazonKindleインディーズマンガにて無料公開中!Short+α徳薙零己[著]AmazonKindleインディーズマンガ
ワタクシはすっかり忘れてました&出勤でどのみち見れない身の上でしたが、『光る君へ』総集編の放送があったようですねー。SNSによると、三条天皇や周明、刀伊の入寇、そして道長薨去あたりは、ごっそり「無かったこと」になっていたとか…w『光る君へ』総集編で“全カット”された重要キャラネット衝撃「嘘でしょ!?」「道長が編集しただろw」⇒★(外部リンク)どーせ無かったことにするなら、ソウルメ(シュクセイ!!シュクセイ!!)『光る君へ』、ワタクシは全体的には楽しく見れたのです
2024.6.22大鷲神社(安食)かなり古い神社麻植の神様本殿彫刻が素晴らしい駒形神社仁平元年(1151年)建立飢饉に苦しむ民のために、郡司が五穀豊穣の神保食神(ウケモチノカミ)を祀ったのが始まり六所神社森の中にひっそりと六所神社の御祭神は塩土老翁命成田豊住熊野神社平安時代の延喜20年、西暦920年提灯には千葉氏ゆかりの九曜紋小御門神社旧社格は別格官幣社。建武中興十五社の一社広々とした境内、気持ちよい
皆さま、ブログへのご訪問、ありがとうございます。湘南辻堂から世界観を創る【マチュアリズム】代表西尾奈保です。➡【マチュアリズム】お仕事のご依頼、ご質問、お問合せは、HPからお願いいたします。好評販売中!「パーソナルデザイン」「パーソナルアクション®」のすすめ一度しかない女性としての人生を最高の人生にする方法➡Amazonから「パーソナルデザイン」にご興味を持たれた方は、まずこの1冊をおすすめします!__。*_…___。*_…__。*_…__
このブログ、関連として今までに何度か紹介しているけれど、本題に触れていない系図ってのがいくつかありまして…。一応、「ブログで触れようと思っている人は黄色」、「キーパーソンはオレンジ」というように、名前の札を色分けしたりしているんですが、肝腎の本題に触れてないから「何でこの人をこの色にしてるの?」ってなっているのが多数あったりします(^^;ほかにも、ちょっと触れるだけのつもりだから略系図の簡易版で、みたいにやっておいて、そのまま…というのも結構あり。ブログ開設から10年経ってこの
『光る君へ』を見ていてもっと平安時代のこと深めたいあと,文豪についても今後必要になってくるだろう…と思って国語便覧ポチしました高校のときも古典の授業で眺めてたなぁ…これ,2024年2月13日発売の出来立てホヤホヤの国語便覧ですめっちゃ分厚くて,サイズも見開きB4サイズの大きい本なんですが1000円以下って…安すぎません改訂版プレミアムカラー国語便覧Amazon(アマゾン)990円めちゃくちゃ充実の中身で平安時代の暮らし,貴族の位について道隆と道長のこ
最近、古文の記事が減っているのでいかんいかんと思いつつ。手近にあった『伊勢物語』から適当に記事を選ぼうとパラパラめくっておりました。そういえば梅雨入りも近づいてきて雨が増えてきたなあ、ということで。雨に少し関係ある107段です。昔、高貴な男がいた。その男のもとにいた女を、内記であった藤原敏行という人が求愛した。しかし、女は未熟だったので、手紙もしっかりとは書けず、言葉の使い方も知らず、まして和歌など詠まなかったので、その主人であった男が下書きを書き、女に清書をさせて送ってやっ
常総市の三坂神社に来ています延歴からとのことかなりの歴史今日も無事一番大切かも今日がなければ明日はないあ見られていたわこちらも立派に本殿は覆われていて良く見えませんでした白山神社結構大きいのよ社殿の周囲にはたくさん並んでいます
みなさん、こんばんは!おはようございます、こんにちは☀️今日は栃木県佐野市中町に鎮座する「小藤神社」をみなさんにご紹介したいと思います📓🖋️✳️小藤神社✳️創建は平安時代中期。✳️手水舎✳️約500年前、武士の「藤坂興三」が藤坂峠付近で青白い光を放ち、赤ちゃんの泣き声を発する不思議な石を発見しました。✳️参道✳️当神社に奉遷し御神体となりました。✳️神楽殿✳️以後、氏子衆により大切に守られています。✳️境内社✳️①②赤ちゃんの夜泣き封じに霊験ありと信仰を集める神社です
こんにちはJR総武線津田沼駅の南側谷津奏の杜公園に来ました何という品種でしょう?いい色ですこの公園は旧石器時代および奈良・平安時代の大集落跡などの複合遺跡の一部です谷津公園に来ました、谷津バラ園のすぐ北側ですいろいろなサクラが咲いていますハナミズキヤマブキナンキンハゼ?谷津干潟沿いの遊歩道を通りますトランプ大統領の望みは1.アメリカブランドの製品がこれまで以上に国内外に売れアメリカ
平安神宮に行きました。不思議な空間でした。お友達の娘さんがこちらで結婚式をあげられました。素敵💓💓💓💓右近の橘写真はないけど左は桜🌸です。なんだか平安時代にタイムスリップしたみたいです。
大子町から足を延ばして栃木県へ来ています来たかったのよぉここよここここひゃあぁぁぁぁCMそのままみどりが茂ってさらに風情吉永さゆりさんになって気分いやぁ大きな杉ですしかもきれいまっつぐさて有名なシーンですきれいやねぇみごとやねぇ平安時代後期大治
2025年3月22日(土)九州は大分に来ております。大分の最初の夜は美味しいお寿司を頂けてそれだけで、もう、最高に嬉しくて夫の表情も緩んできました。やはり気分転換って大切なのね。翌日は国宝の臼杵の石仏を拝みに行きました。平安時代から鎌倉時代にかけて彫られたと言う石仏群、圧巻でしたよ。そんな悠久の歴史を目の当たりにするとなんだかプンスカ怒っているのが段々、どうでも良くなって来ました。願い事を紙に書いて石仏の前の祈願箱に入れる事に。夫が「家内安全か?」と