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よく創作ものだと城攻めの際に出てくるのが坑道戦術ですね。堅固な城塞を攻囲軍が攻略せんと密かに地下に穴を掘り、坑道を創り上げようとする。それに対して、城の守備軍は何として潰そうと地面に耳を当てて、更に対抗の坑道を掘るせめぎ合い。もっとも現実世界ではなかなかその跡地はお目にかかれない。そんななか貴重な坑道が残っているのがここ茨城県筑西市にある関城です。鎌倉時代には結城氏一族の関氏が領主であった頃に築かれた城で、この城がスポットが当たるのは南北朝時代の争乱の頃でした。暦応4年/
〇関東のローカル鉄道線光景戦国期北関東常陸国において勢力をふるった多賀谷氏。その本拠地が今回訪問する下妻城です。地元では「多賀谷城」とも呼称され、昭和20年代まで遺構は良く残っていましたが、関東の城の常としてその後の再開発で城跡の遺構の殆どは失われてしまいました。そこまで行くには関東鉄道常総線で行くことにしました。この鉄道、JR常磐線とつくばエクスプレスという茨城県の通勤鉄道路線の「横」をつなげる貴重な鉄道であるだけでなく、関東でも貴重な長閑なローカル線光景が見られる路線です。JR
茨城県…かつての常陸国は南北朝時代には南朝側と北朝側の間で激しい攻防戦を繰り広げていました。これは常陸が南朝側にとっては数少ない有力拠点であったためであり、そのため北朝…実質的には足利軍にとっては攻略を目指すべき目標であったからです。そんな常陸国で最期まで抵抗を続けた公家武将がおりました。現在、『逃げ上手の若君』でも絶賛活躍中の春日顕国です。基本的には使い物にならない公家武将の中では数少ない戦において有能ぶりを発揮していた貴族。同じく日本史最強の貴族・北畠顕家卿の下で活躍し、彼の死後もそ