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突然ですが、知る人ぞ知る日本三大神社と言えば、◯天日津久神社(麻賀多神社内)千葉県成田市◯御岩神社茨城県日立市◯太田山神社北海道久遠郡せたな町ですが、御岩神社、祭神筆頭:国之常立神やっと出会えました。国之常立神、国常立尊でも、御岩神社の祭神て全部でな、なんと、188柱次に、意外というか、北海道の太田神社、太田山神社祭神:猿田彦大神なんですよねー猿田彦と北海道、猿田彦とアイヌ、猿田彦と犬?どう言ったご関係か??_関連動画YouTubech:DEEP
こんばんはご訪問ありがとうございますこちらの続きです👇『春の小旅行学びの旅前編』こんばんはご訪問ありがとうございます連休中日は息子のリクエストにて偕楽園へ🚃神社でお参りしてからの梅は終わりかけでしたが混んでなくてそれはそれでよし竹林も素晴…ameblo.jp徳川ミュージアムも気になったのですが今回車ではなかったので偕楽園とセットと言えばこちら弘道館日本最大規模の藩校江戸時代の総合大学。弘道館は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が、天保12年(1841年)に開設した日本最大規模の藩校で
常陸津田駅。水戸から2駅なので、結構な住宅街。でも、ひたちなか市。
2026年新春常陸(ひたち)神社巡り『大洗磯前神社』久しぶり(10年ぶり位)参拝しました⛩️😊👏『原始眞宗願入寺』参拝『原始眞宗願入寺』参拝からの『大洗磯前神社』の「神磯の鳥居」神が降り立った地と言われる神磯に立つ鳥居。朝日に照らされ、太平洋の荒波のなかで堂々とそびえる光景は実に神秘的。茨城県にある大洗磯前神社の「神磯の鳥居」。via:https://www.instagram.com/p/DFXcvJ-vyRq/photoby@stan_hansen_1970茨城県
2026年新春常陸(ひたち)神社巡り『酒列磯前神社』久しぶり(10年ぶり位)参拝しました⛩️😊👏初めて乗りました『ひたちなか海浜鉄道』『『初めて乗りました∶ひたちなか海浜鉄道(勝田〜那珂湊〜磯崎〜阿字ヶ浦)』』『初めて乗りました∶ひたちなか海浜鉄道(勝田〜那珂湊〜磯崎〜阿字ヶ浦)』ー勝田駅ー勝田駅〜磯崎駅🚃ー磯崎駅ー『初めて降りました駅シリーズ∶磯崎』ー阿字ヶ浦駅ー…ameblo.jpー磯崎駅ー馬みくじ引いた🐴『馬みくじ引いた』馬みくじ引いた😄👍【マニーク(青い手)の13日】昨日
それでは八剣士について書いて見よう。生い立ちはまちまちで、お互いを知らずに、争ったり、助け合ったりしていくうちに、お互いに不思議なつながりを知るのである。冒頭に出てきた伏姫の体内から飛び散った文字の書かれた「玉」を持っていること、体に牡丹の花の形の痣があるあること、名前に犬と玉の文字があることに気づいていく。物語の最初の剣士は犬塚しの守孝(モリタカ)である19才である。父の遺言の秘刀「村雨丸」を常陸の古賀にある関東管領足利家に献上しに武蔵の大塚の里を発つ。下男角蔵がとちゅうまで見送る。こ
「鈴鹿山脈」と「ひつまぶし」先日、ご縁があって三重県の桑名へ行ってきました。そうです。「その手は桑名の焼き蛤」の桑名です。泊まったホテルは、四日市の「都ホテル」。朝起きて窓を開けたら、ずっと向こうに鈴鹿山脈が見えました残念なことに、雲がかかっていて綺麗には見えませんでしたけど…。「歎異抄」という書物には、常陸国(茨城県)からお弟子さんたちが親鸞聖人に会うために、はるばる京都へやって来たと書いてあります。おそらく美濃国(岐阜県)から鈴鹿山脈を越えて近江国(滋賀県)へ
両親からの、どっか行こうかな提案で家から1時間の日立の焼き芋屋さんへなぜ、焼き芋屋さん?!更に1時間先に進み御岩神社に行くことになりました帰省3回連続で御岩神社参拝(連続で訪れるって、なんか忘れてるのかな?)入り口でクロアゲハ3羽ヒラヒラお出迎え🦋参拝する直前に太鼓とお祓いの練習が始まり神主さんの姿をした方が3人いました学ぶ姿、受け継がれていく神事素敵ねお不動さんの場所では日本カナヘビが出てきました♪ちっこい恐竜(苦手な方がいたらゴメンナサイ)真ん中あたりにヒ
こんにちは森田です今回は以前お伝えしたイチゴ狩りの様子をお伝えします4月19日(土)は茨城県常総市にあるグランベリー大地さんに行って、イチゴをたくさん食べましたGRANBERRYDAICHI|関東初のリフト式いちご狩りが楽しめる農園!いちごが宙に浮いているまさに「空中いちご園」いちごが空から降ってくる見上げればいちごだらけ。国内でも珍しいいちごの栽培棚が吊ってあり、上下に自動で動くこの方法を取り入れたいちご園では日本最大規模。当園ならではのいちご狩りを是非お楽しみください!g
訪問した城郭が1000城を越えていますが、なかなか城巡りの記事作成が捗らず、現在280もの城が未だ記事が未作成のまま、どんどん宿題のみが溜まってしまっています。特に「これは素晴らしい!」と思った名城ほど写真を多く撮ってしまいますので、必然的に文量が多くなってしまい、後回しにしてしまう傾向がありまして(滝汗)そんなこんなで、いつの間にか溜まる一方。今年の夏場は外出を控えて、城郭紹介記事作成に専念しようかと思う次第。さてそういうわけで、なかなか「これは良い城だ!」という皆さまにお勧めしたい城
15日~17日は茨城県、20日~22日は関西に出張。いよいよ年末ジャンボも最終週に突入しました。出張続きで疲れもピークですが、もうひと頑張りです。さて、本日のテーマは、備中/倉敷の年活字左書き誤刻の丸一型日付印です。ジャパンスタンプオークションで落札できた2点のうちの1点です。メールは入っておらず、岡山の方は気付いたにもかかわらず、小生に譲ってくださいました。最低値で落とすことができ、ありがたいことです。データは、備中/倉敷明治35年(卅五年)12月5日ニ便→備
今日、母を施設に入れてきました。さだまさし世代の小生としては、いろいろな思いが沸き上がって、無縁坂を歌いたい心境です。母がまだ若い頃僕の手を引いてこの坂を上る度いつもため息をついたため息着けばそれですむ後ろだけは見ちゃ駄目と笑ってた白い手はとても柔らかだあった運がいいとか悪いとか人は時々口にするけどそういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う忍ぶ不忍無縁坂かみしめるようなささやかな僕の母の人生→無
※こちらの記事は、平成20年1月4日に書かれたものです。さて、最近では一ヶ月に一遍、ゲーム上でも一ヶ月進めるのが精一杯な『信長(のぶなが)の野望嵐世記(らんせいき)』ですが、ついに(12)まで行きましたね。【これまでの記事】・第1回・第2回・第3回―九州の統一・第4回―四国制圧と長宗我部・第5回―毛利撃破・第6回―本願寺との激戦・第7回―足利将軍家の滅亡と本願寺・第8回―畿内制圧完了!・第9回―東海制圧!・第10回―武田信玄を打ち倒す・第11回―結城家との対決と北上す
お久しぶりです。SNSの新たなフォローをいただいたので、踊り手さん紹介です。【常陸(ひたち)】常陸(ひたち)さんです。違法でにむさんとのユニットで多くの動画を投稿しています。ソロの動画もあります。【知るきっかけ】常陸さんを知るきっかけとなったのは、「愛言葉III」でした。ユーチューブのお勧めでホーム画面に現れたので再生してみたのがきっかけです。2022年3月8日に投稿されています。踊り手としての「周年動画(この時点で5周年)」です。後半で、過去動画も紹介されています。気になる動画があれ
道の駅3日は栃木のホテルからのスタート1つ目は栃木の道の駅、その後はずっと茨城県回ってましたお手洗いのところにおもしろい方言の手拭いあったンダッペってなんかめちゃかわいい常陸近辺に沢山の道の駅がありました駅舎がすごく素敵でした機関車飾ってたから見にいってみた途中、袋田の滝って表示がやたら出てくるのでいってみたけどバイク停めるとこないねんぎりぎりまでいったけどあかんから止めようかってなったんやけど折角だからバイクみとかなあか
以下、大和岩雄『神社と古代民間祭祀』(白水社、2009年)から引用です。ーーーーーーーーーー白神[しらがみ]社――オシラサマ信仰と「シラ」の原義柳田国男と折口信夫の「シラ」考p.87この「よに籠って」いる状態は、死の状態である。「ヨル」と「ヒル」は、死と再生、闇と明、黒と白の関係と対応する。生は再生であった死を前提とする。「よに籠る」の「夜」は、時間の「ヨ」だが、空間のうえで「ヒル」を遮断した行為が、「洞穴」や「産屋」に入る(隠る)行為である。「シラヤマ」が洞穴で、「シラ」が倉・産屋
〇茨城最後の城巡り2年という僅かな期間でしたが、楽しく過ごしていた常陸国。その去り際の最後に訪れたのはここ助川海防城。茨城県は中南部は結構多くの城跡を訪れていましたが、北部は列車の本数が激減する関係でなかなか訪れる機会がありませんでした。その中で今回茨城県最北、そして最後の城巡りをご紹介します。ああ、また茨城に行きたいなぁ…常磐線で住まいから数駅ほど北の日立駅に到着。水戸以北の常磐線では流石は企業城下町の駅とあって、結構な大きな駅です。この駅、最大の特徴は太平洋の海を大パ
NHK大河ドラマ、鎌倉殿の13人で市原隼人さん演じる八田知家こそが小田家のルーツであり、常盤国の初代守護職に就くなど名家でありながら、1300年代初頭にはその守護職も失っているようです。また、「神皇正統記」で知られる北畠親房は、7代小田城主治久の招きで執筆したと言われています。その後、一進一退を続けながら、小田家の最後の小田城主、氏治さんへとつながっていくのです。実はおだ姓でも、かの有名な織田信長より、小田氏治のほうが家柄でいうと名家であると言えます。小田氏治の野望・・・そんなゲー
なかきよちたひらくはいにもとのきのともにいはくらひたちよきかな(永き輿地平らぐ拝に元の気の共に磐座日立ち良きかな)解説輿地(よち)は「地球。大地。全世界。」、平らぐ(たいらぐ/たひらぐ)は「穏やかになる。おさまる。しずまる。」、拝(はい)は「頭を垂れて敬礼すること。おがむこと。」、磐座(いわくら/いはくら)は「神の御座所。いわさか。」の意味です。余談この歌は、下記動画を見て、それをモチーフに書いた歌です。『【part2】弥勒の世をSHOGENさんと表博耀が語り
今回題名の通り石岡市にある常陸国分寺と国分尼寺跡に行って来ましたが、最初の目的はイタリアンレストラン「ピッツェリア・トラットリア・レプロット」さんでの食事でした。で、なんでこの店に行ったかというときっかけは↓です。土曜スペシャル:テレビ東京全国各地の特選宿・秘湯・グルメなど、旬でお得な情報をお届けします。テレビ東京「土曜スペシャル」の公式サイトですwww.tv-tokyo.co.jpいとうあさこさんとかたせ梨乃さん、そしてなんと”かしゆか”ちゃんが行ったお店だからです。(いい年してなにやって
よく創作ものだと城攻めの際に出てくるのが坑道戦術ですね。堅固な城塞を攻囲軍が攻略せんと密かに地下に穴を掘り、坑道を創り上げようとする。それに対して、城の守備軍は何として潰そうと地面に耳を当てて、更に対抗の坑道を掘るせめぎ合い。もっとも現実世界ではなかなかその跡地はお目にかかれない。そんななか貴重な坑道が残っているのがここ茨城県筑西市にある関城です。鎌倉時代には結城氏一族の関氏が領主であった頃に築かれた城で、この城がスポットが当たるのは南北朝時代の争乱の頃でした。暦応4年/
〇関東のローカル鉄道線光景戦国期北関東常陸国において勢力をふるった多賀谷氏。その本拠地が今回訪問する下妻城です。地元では「多賀谷城」とも呼称され、昭和20年代まで遺構は良く残っていましたが、関東の城の常としてその後の再開発で城跡の遺構の殆どは失われてしまいました。そこまで行くには関東鉄道常総線で行くことにしました。この鉄道、JR常磐線とつくばエクスプレスという茨城県の通勤鉄道路線の「横」をつなげる貴重な鉄道であるだけでなく、関東でも貴重な長閑なローカル線光景が見られる路線です。JR
茨城県…かつての常陸国は南北朝時代には南朝側と北朝側の間で激しい攻防戦を繰り広げていました。これは常陸が南朝側にとっては数少ない有力拠点であったためであり、そのため北朝…実質的には足利軍にとっては攻略を目指すべき目標であったからです。そんな常陸国で最期まで抵抗を続けた公家武将がおりました。現在、『逃げ上手の若君』でも絶賛活躍中の春日顕国です。基本的には使い物にならない公家武将の中では数少ない戦において有能ぶりを発揮していた貴族。同じく日本史最強の貴族・北畠顕家卿の下で活躍し、彼の死後もそ
茨城県…思えば2年間だけの生活でしたが、その職場は過去最高で初めて「この職場で一生働きたい…」と思えるものでした。東京からも近く、色々な意味で過ごし易かった茨城での生活…今となっては懐かしく感じています。そんな常陸国は城跡巡りの方も2年間で多く回ってきました。これまで旅行の中では比較的関東の中では少なかった茨城県…しかし「地元」として過ごしてみると色々なこれはこれで茨城らしい特徴ある多くの城跡と歴史がありました。今回からはそれを紹介していきます。まずは一つ目は県南部の城から。〇北関
またまた某SNSで知り合った友人とオフで会う約束をしていたため、到着時刻を考慮しながら出発。今回の集合場所は千葉で、どうあがいても首都高かアクアラインを通る必要があったため、観念して朝早めに出ました。相手から教えてもらった保土ヶ谷バイパスを経由し、アクアラインへ。最初は「お、空いてーんじゃーん!」と思い大黒PAで相手方に「早く着いたらゴメンね☆」と超絶フラグなメッセージを送った矢先にアクアライン入口で渋滞。どうやらアクアラインで事故ったようで完全に流れが止まってて20~30分くらい動きません
4月7日(日)に、坂東市の逆井城祭りに行って来ました。初めての出陣でした。「逆井」と書いて「さかさい」って読むんですね。「遠江」と書いて「とおとおみ」と読むのよりはマシ?かも知れませんが、難読ですねなんでも、このお祭り今回が35回目ということで、結構盛り上がっていましたよ。逆井城まつり(旧名:ふる里さしま古城まつり)–坂東市観光協会bandokanko.jp逆井城は戦国時代、小田原北条氏の常陸方面の最前線の城として築かれ、佐竹氏や結城氏と対峙していたようです。築城時期は徳川家
昨日は、まず、常陸国府中を目指すため、上野から、「ひたち」に乗車。常陸国府「石岡」へ「ひたち」この国の由来が知りたくて、まずは、国府の街で降りてみたら、駅前からもう「府中」であったことが面白い街であることを気付かされました。そして、この地を歩いて見て、ふとした気付きを感じましたので、順を追って、書いていきます~それにしても、常陸国が、「水戸」では無く、南の「石岡」が国府であったことには、ちょっと、驚きましたが、その理由は、後ほど、博物館でお伺いして、気付かされましたので、順を追っ
常陸国、今の茨城県のお殿様と言えば、なんと言っても黄門さま、つまり御三家のひとつ、水戸徳川家ですけど。戦国時代、常陸国にいたのは源氏の名門、佐竹氏でした。小田原北条氏とも張り合っていましたが、北条氏が滅んで徳川家康が関東に乗り込んでくると、佐竹はその傘下になり、さらに関ヶ原の戦いのときにどっち付かずの態度を取ったため、戦後に羽後の秋田に飛ばされてしまいました。どうしたら、佐竹氏は常陸の大名として生き残ることができたか?という設問がありましたが。正直、それはとても難しいでしょう。少なくと