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高崎から新幹線で新潟へ向かいます。上越新幹線は、平野部と山間部の変化が最も顕著と言えるでしょう。簡単に言って、高崎から長岡まではほぼトンネル。それ以外の区間は、トンネルがなし。長いトンネルと通過すると一瞬、山の風景が垣間見れ、すぐにトンネル。そして、駅という極端な、ある意味面白味がない路線ではあります。前回の記事で、高崎から長岡まで大いに迷った、と書きました。この上越国境は、上越新幹線の大清水トンネルで越えるか、在来線で越えるかで大きな風景の違いがあります。特に冬は格別で、
川端康成が書いた『伊豆の踊子』は、1933(昭和8)年に田中絹代、1954(昭和29)年に美空ひばりが、それぞれ主演し、共に大ヒットを記録した事により、『伊豆の踊子』は映画界のキラー・コンテンツとなった。そして、『伊豆の踊子』は、「必ずヒットするドル箱作品」として、重宝されて行く事となった。今回、ご紹介するのは、1957(昭和32)年に光本幸子の主演で舞台化された『伊豆の踊子』と、1960(昭和35)年に鰐淵晴子の主演で映画化された『伊豆の踊子』、そして、1961(昭和36)年
2022年4月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆IH調理器で流産5,7倍電磁波被害をもっとも強く受けるのは胎児と子ども。成長細胞ほど阻害されるというリスクがあるそうです。『テレビは見るな!新聞は取るな!』を読んで知りました。子どもは大人のおよそ10倍、胎児は100倍、電磁波の悪影響を受けると考えるべきだそうです。だから妊娠中こそ、電磁波を母体から遠ざけなければならない。たとえば、IH
サルヒツの温泉めぐり♪【第157回】湯ヶ野温泉福田家℡)0558‐35‐7201往訪日:2023年7月16日~7月17日所在地:静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野236源泉名:湯ヶ野財産区湯ヶ野12号泉質:カルシウム・ナトリウム‐硫酸塩温泉泉温:(源泉)59.1℃(浴槽)約43℃匂味:無味・淡い石膏臭色調:無色透明pH:8.4湧出量:30㍑/minその他:動力揚湯・非加水・無濾過・かけ流し■営業時間:(IN)15時(OUT)10時■料金:【踊り子1】21,000円(税別
こんばんは🌙今日は久しぶりに何も予定がない日でした朝から布団と洋服の衣替えを全てしましたぁ!やっと出来てスッキリ雨の中超大量にクリーニングだしてきてグッタリそして息子が学校から帰ってくる前に…撮り溜めてたドラマも少し見れました♡くるりのめるるが可愛すぎるのと…イケメン3人が完全に目の保養です366日は1話が1番良かったなぁ今後に期待してます✨さて、春休み中の事ですが🌸両親と息子と!新潟の越後湯沢へ一泊旅行へ行ってきました〜🚄✨4月頭ですが、ロープウェイで上まで行くと
踊子舟木一夫1986年この曲は1957年に呉羽紡績提供のラジオ番組「クレハ・ホームソング」で、三浦洸一さんが歌った楽曲です。舟木さんの柔らかな歌声にはピッタリの曲ではないでしょうか。三浦さんと言えば、この曲と「弁天小僧」を思い浮かべます。「踊子」で歌われている踊子は、川端康成さんの小説「伊豆の踊子」です。伊豆の踊子と言えば、沢山の映画が作られました。第一作は田中絹代主演の無声映画でした。その後、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵で映画化されます。吉
こないだの京都旅行で柊家旅館さんに初めて投宿しました。1818年、福井から上洛した初代庄五郎が運送業、海産物商を当地で始めました。下鴨神社の境内にある比良木神社に深く帰依し、邪気を祓うとされる柊を屋号に用いました。刀の鍔や目貫(刀の柄の装飾)を取り扱っていた二代目が1861年に旅館業を本業にして今日に至ります。幕末の志士や明治時代の政治家、文化人、アラン・ドロンやチャップリンなど海外の有名人が泊まったほか、川端康成が定宿としていて寄稿文を綴っています。場所は麩屋町姉小路上る、京都市役所
予定していた新幹線に乗り込み、熱海まで。その後、踊り子号に乗り換え、伊豆急下田まで行った。踊り子号の到着。雨がだんだんひどくなってきた、伊豆急下田に到着。下田駅で休暇村行きのバスを待つ。乗り場がわからなくて、女子高生に聞いた。とても親切に教えてくれた。それにしても、寒いです。約25分で、休暇村到着。なんとかたどり着いた。夕食には、みんなで浴衣を着て集合。みんなよく食べてくれた。満足。ハレさんのインスタを覗くと、ルーカスは、この子が気に入ったようで、何枚も子のを追いかけてる画
2024年4月12日に御室仁和寺を参拝しました。お目当ては「御室花まつり」の御室桜。この時期だけは、中門以降が有料になります。仁和寺の二王門知恩院・南禅寺の三門は何度も登った事があるのですがこちらは非公開なのか、登らせてくれませんここから御室桜を見たら、どれ程美しいだろうと思いますよ仁和寺の御室桜ご覧のように、独特の形と言うか、御室桜は、背が低いのです。
映画「変な家」を観て来ました。娘の付き添いです。娘が原作をいたく気に入っていて、何度か読むよう勧められていたのですが、気乗りがしなくて読んでいませんでした。ちょっと内容を勘違いしていて、ノンフィクションだと思っていたのです。実際に存在する変な家の間取りを集めて、過去にあった悲惨な出来事が書かれているものとばかり思っていました。悲惨な出来事は、できれば、読みたくはないのです。実際には「八つ墓村」のような推理小説だったのですね。私は邦画はほとんど観ません。寅さんぐら
女将さんは、「ようこそお越しくださいました」と三つ指ついて挨拶されて、どちらからですかと話題をふってこられたので、大津にいることを話すと、身内の方もうちのマンションに住まれていたことが分かり、話に花が咲きました。マスクについては、お子さんが海外在住とのことで、事情は理解されていて、私の言い分ももっともだという態度を取られました。せっかくなので、館内をご覧くださいと言われ、もちろんマスクは強要されずに、川端康成が愛したという客室や、谷崎潤一郎の部屋などを案内されて、三島由紀夫やチャップ
IH調理器で流産5,7倍電磁波被害をもっとも強く受けるのは胎児と子ども。成長細胞ほど阻害されるというリスクがあるそうです。『テレビは見るな!新聞は取るな!』を読んで知りました。子どもは大人のおよそ10倍、胎児は100倍、電磁波の悪影響を受けると考えるべきだそうです。だから妊娠中こそ、電磁波を母体から遠ざけなければならない。たとえば、IH調理器を普通に使っているだけで数十ミリガウスは被ばくする。すると、流産が5,7倍急増する、という研究報告がある。さらに恐ろしいのが電気
2020年11月22日新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢858に鎮座する「諏訪社」の御朱印です。こちらの神社は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で知られる川端康成の小説『雪国』の中で登場している。かつての参道から社殿を臨む現在は上越線(在来線)で分断されているこの時期は何もかも冬囲いされている。小説通りの『雪国』である境内から、かつての参道を臨む狛犬もかつての参道の方を見ているが、現在は、こちらから参拝者は訪れ
📓📓📓📓📗📓📓📓📓川端康成の「少年」から誘われるようにして、スピーチ原稿とも言える本書を読むことにしました。あまりにも近代日本文学の大御所を知らなさすぎた自分にちょっと焦ったというのもあります。かといって、小説はしんどいなと思い…川端康成関連の書評などをあれこれ渉猟していて、初めてこんな書物が出版されていると知ったのです。ご存知の方、既読の方からすると何を今更だとは思いますが、とにかく私はこの歳にして初めて、川端康成のノーベル文学賞の授賞式スピーチを読むこ
皆様からの「今日の漢字」のリクエストをお受けします。どうぞお気軽にお声掛け下さい。takasubancho@outlook.comちょっと一服(-。-)y-゜゜゜いかがですか?クリック後に又ブログに戻ってね。にほんブログ村書道ランキング2018年2月5日日々、多数のお声掛けをいただき、誠にありがとうございます。週間天気予報によると、「2月5日から6日にかけて、
本日(11/25)は、今から49年前、作家・三島由紀夫が、衝撃的な割腹自殺を遂げた日である。1970(昭和45)年11月25日、三島由紀夫は、自らが組織した「縦の会」の会員達と、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乗り込み、益田兼利総監を人質に取った。そして、三島は「憲法改正」を訴える演説をした後、それが自衛隊の隊員達に受け入れられない事を見て取ると、その後、割腹自殺をしてしまった。というわけで、今回は、この衝撃的な「三島事件」と、天才作家として活躍した、三島由紀夫の生涯について、ご紹介させ
浦佐駅に来ました。浦佐駅には、上杉謙信をはじめ上杉家が大好きな普光寺があります。普光寺の毘沙門堂が有名です(^^♪また、前内閣総理大臣の田中角栄の像が有名です(^^♪また、浦佐駅には、大湯温泉があります。なんと、開湯1300年とのことです(#^.^#)そこには、すごく立派な足湯がありました(#^.^#)そして、越後湯沢に向かいます。上越線で30分です。越後湯沢駅に到着しました。駅の中には、大きな商店街がありました。有名なつるし雛(びな)です。川端康成の小説『雪国』で有名な駒
こんばんは。梅雨の時季は雨の日が多くなるから、本を読む時間が1年のうちでも増えるのね。それで、今、読んでいるのが大好きな‘有川浩’さんの作品「三匹のおっさんふたたび」なんだけど。ボーナストラックとして「好きだよと言えずに初恋は、」って作品がおさめられているの。タイトルが聞いたことのある歌詞だったので、気になって先に読んじゃったら。「花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」この文章が出てきました。これね、同じく‘有川浩’さんの作品
”旅は道連れ世は情けと言いますから”一人旅の学生は、雨宿りで一緒になった芸人一家に同行する。が、彼らは村の手前で回り道を選ぶ。”なぜそっちへ?近道ですか?”旅芸人は立て札を指さす。この村入るべからず物乞い旅芸人”我々だけなら迂回するけど学生さんと一緒だから許してもらおう”一行が進むと村人はジロジロ白い目で睨み童たちがはやしたてる。”すみませんね、急いで通りぬけますんで”一行は頭をさげ腰低く歩みを進める。学生はそんな彼らと距離を縮めたくて学生帽を脱ぎ、代わりに鳥
まだまだ残暑厳しいけれど、朝晩は涼しくて暦の上ではもうそろそろ秋。今回は、ずっと下書きしていたブログです。冬夢が「男性同士の恋愛」に興味を持ち始めた頃は、それに特化したマンガ、小説は極々僅かでした。その代わり、はるか昔から日本には【衆道】【男色】などと呼ばれる男同士の絆が存在していて、有名な文豪の人たちもそれを経験、またはそれを題材にした小説を書いてます。大病後、家で本を読む事だけが楽しみだった少女の冬夢は、JUNEなどで紹介されたそれらを片っ端から読みました。今も、実家の宝箱の中には
タイトルにしたことは米国在住の映画評論家町山智浩さんがXに投稿していたことだ。同感である。1970年11月25日の朝日新聞の夕刊一面で三島の生首を目にしたときのショックは、心身に彫みこまれた。わたしは中学1年だった。自決とか切腹を軽率に賞賛するひとは、端的に命の重みがわかっていない無類の莫迦である。山田風太郎が集団自決を呼びかけたのは悪趣味の洒落である。山田自身が70代半ばだったから自虐の意味合いもあった。深沢七郎の「楢山節考」には「世間」を愕かせてやろうという下心がある。過激と
※考察なので、ネタバレを含みます。嫌な人はここで回れ右をしてね。国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。あまりにも有名な書き出しの一冊である。が、なぜか『トンネルを抜けると【そこは】雪国であった』と間違われやすい。本書には【そこは】はない。『雪国であった』だけだ。推察するに、なんだけど、この本の主人公の一人である、東京に妻子を持ちながら、この雪深い温泉郷を訪れる作家島村は、ここをもう初めての訪問ではないからだと思う。【そこは】と書くと、まるで初めてトンネルの向こうが雪景色だ
東京ディズニーランドは今年で40周年(昭和58年開園)を迎えるそうだが、三島由紀夫は自決の年、昭和45年正月、11歳の長女と8歳の長男を連れ家族で米国ディズニーランドに遊びに行こうと瑤子夫人に提案したが、夫人は「豊饒の海」を完成した後にしましょうと断った。【ロス近郊にあるディズニーランド】【山中湖畔にある三島由紀夫文学館】三島自身は、作家の三島由紀夫と、家庭人の平岡公威を日頃から厳密に使い分けている訳だが、同夫人は『私の結婚相手は平岡公威ではなく、実は三島由紀夫だ
まず一読して全体的に、著者のフェチの度が過ぎていて描写が細かすぎて、具体的な状況が把握しにくかったです。たとえば腕の形とか一体どの部位のことを言っているのか、どこから腕がえぐられているのかわからなかったし、腕の持ち主ではない他の女性が登場する部分ではどちらの女性の話をしているのか混乱したし、男が腕を装着する場面でもよくわからなくて自然にくっついて離れた、みたいに解釈していたし、30代くらいに設定されているんじゃないかという男の年齢も60代くらいに思っていたし、状況や状態を理解するた