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GWが終わっちゃった~前半は、天候にも恵まれ二泊三日で旅行を楽しんできました♪なんだかんだで、後半も…日帰りお出かけしちゃったし♪♪でも、ブログに関しては、遅れを挽回するチャンスだったのに…また溜まっちゃった(笑)ごゆるりとお付き合いくださいね∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴☆高知県高知市★2018.3.5四国旅行⑧モコ毬ショコのお城巡りvol.49☆高知城☆築城主山内一豊『三大がっかり名所』のひとつ。といわれるはりま
◆「山内一豊」所縁のお城です天守閣を築城したのが山内一豊(お城に行って初めて知りました)織田VS今川徳川VS武田最前線のお城でした。(1854年東海地震で倒壊)★大手門公共駐車場「大手門駐車場」前に大手門があります。門の奥に詰め所が有りました。重厚な木造門でカッコ良いです。★逆川から天守閣を望む逆川に沿って天守閣に向かいます。新緑と川を吹き抜ける風が気持ち良いです。★天守閣へ続く門お
4月中旬、静岡県掛川市にある掛川城に行ってきた。掛川城は、室町時代に駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのがはじまり。戦国時代には、山内一豊が城主として大規模な修築を行い、天守閣、大手門を建設、城下町の整備や大井川の治水工事等を行った。しかし、1854年の嘉永の大地震により天守が倒壊、明治以降は、廃城令によって処分され、大半の遺構は撤去された。現在の掛川城天守閣は、平成6年(1994年)に日本で初めて本格木造復元されたもの。スケッチは、掛川城御
前回に引き続き、掛川城のスケッチ。天守閣に向かって登っていく坂の手前から、東海の名城と呼ばれた美しい天守閣を望むスケッチ。クレスター水彩紙210g/㎡F6
昨日の続きです。今日は天守(天守閣ですが天守といいます)の紹介です。高知城のWeb公式やパンフレットから引用しています。高知城の天守は望楼型天守で、外観は4重、内部は3層6階建てで、入母屋造りの屋根の上に、望楼を載せています。天守最上階には、初代藩主一豊が、以前の居城である遠州掛川城を模して造ったという廻縁高欄があります。当時の四国では高知城のみに見られる珍しいものでした。高さは18.5メートルです。高知城天守のある本丸の標高は、海抜44.4メートルです。高知城の構造で
三つ下の妹がいる。身長が兄の私とほぼ同じ(私は171㎝)だから、昭和女子としては背が高い。私と正反対で子供の頃からスポーツが得意、社交的で友達も多かった。その妹が大学生だった夏、私もまだ実家に住んでいた頃だが、何やら家の中をどたばたと行ったりきたりし、何枚ものコピーをばさばさ持ち歩き、かと思うとあちこちに電話している数日があった。「ここんとこ、何してんだよ。どたばたどたばたして」私が「暑苦しいぞ」という意味で聞くと、妹が答えた。「大学の夏休みの宿題。レポート。先祖の事」「先祖?」
妻の実家の近くをウォーキングしました40分程歩きましたが、写真を撮りながら歩いたのでそんなに距離を歩いていません。でも、汗びっしょりになりました。黒田城跡とは、愛知県一宮市木曽川町にあり現存せず、黒田小学校の片隅に碑がある安土桃山時代にあった城初代土佐藩主となった山内一豊の生まれた城です。JR東海道線の脇にある。山内一豊公の生誕の地とされている。(岩倉の神明生田神社にも誕生の碑があるどちらか不明)山内家の家紋がついている大正6年(19