ブログ記事3,638件
小細胞肺がんだけの患者と家族、遺族のおしゃべり会のご案内です。その名も「小細胞肺がんの患者と家族この指と~まれ!」を開催します。小細胞肺がんの患者、家族、遺族であれば誰でも参加できますよ。まわりに話をする相手がいないなんて思ってるあなたチャンスです、思ってること、気になってることをお話ましょう。そしてみんなに聞きたし事も聞いちゃいましょう。誰か同じ経験をしている人がいるもんなんですよね。当日質問も大丈夫ですが、これは聞いておきたいなんてのがあったら申込み時に記入してください。優先的にみ
抗がん剤第1クール後の骨髄抑制により感染症にかかってしまい、緊急入院からようやく退院となってから4日経過しました。4日前の退院の時にはC反応性蛋白の数値は依然として高く、バイ菌が体の中に残っている可能性もありましたが、白血球の数値も戻り、熱も下がっていたので退院させてもらいました。今日はその後のC反応性蛋白の数値を見るのと、昨日CT撮影をしましたので、その結果確認も兼ねて通院しました。血液検査は特に問題なく無事感染症から脱出できていたようです。そしてCTですが、3月18日の画像
再発してからステージ4になりイミフィンジの治療を1年無事に受けることができよかった。また主治医が変わることとなり若い先生になった(少し不安に思ったが大学病院ではよくあると聞いていたので仕方がないと思い次に進むことだけに決める)主治医がかわるときに中性脂肪の数値が上がったので薬を処方してもらった1か月後診察にいくと先生から体の調子はおかしくないですかと聞かれいえ変わらないですと答えると肝臓の数値(r-GT)が1200以上になっているこのときAST,ALTとも3桁になっていた先生か
あーついに癌患者となった事を認めざるおえない時が来たま-だそんな事言ってるよ実際の告知日は2023.1.251.26なんだけど正確に言えば病院的には診断書を書ける日(保険とかの書類が出せる)だから今日が告知日って事になるのかなまっそんなこたーどーでもいい話なんだけど…私は記念日大事にするタイプなんだわ(笑)全然嬉しくない記念日なのにね入院で検査した気管支内視鏡検査の癌細胞結果全身PETと脳のMRIの結果転移があるかそして今後の治療法の話を聞きに行きました。今
4次治療で抗がん剤をするか放射線治療をするかで悩んで主治医から放射線治療を薦められたので今日は放射線科で新規診察してもらいました血液検査で血球の数値が基準に戻ってたらの話ですがGW明けの9日から毎日1回合計33回の放射線をすることになりました33回土日祝日抜かした平日33日通うって結構大---変最初の3週間位は特に副作用もなく胸に日焼けした感じだそうで(日焼けは得意笑)その後はヤケドによる肺炎になる可能性も数パーセントあるけれど(生きる死ぬに関わる)抗がん剤
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です週刊現代のこの記事70代「肺がんステージ4」から奇跡の生還…「余命1年」の俳優を救った「診察室での娘のひと言」(週刊現代)@gendai_bizがん告知が「死の宣告」と恐れられた時代は終わり、がんとともに生きるのが令和の当たり前になった。ただし、より早く、よりラクに治すならコツも必要だ。ほんの少しの知識が、その分かれ目になる。gendai.media違和感だらけでした、、、こちらも参照にしながら簡単にまとめると「ステージ4
こんにちは(❁´◡`❁)1日空いたけど更新できそうです早速ですが私の現状ですこうして文字に起こすということは過去の出来事を鮮明に思い出そうとする毎回やなぁついさっきまで、私は成長したもう大丈夫って言い切られへんけど言える←語彙力wwwそう思ってましたがまだまだやなーーーーーーーー(ノへ ̄、)ここで沢山の先輩方がコメントやメッセージをくださってた言葉が身にしみる何年たっても何十年たっても。。。すなわち
息子の高校は2回戦予選で敗退し同時に息子の野球生活も終えた先輩が引退するとき涙を流していた息子自分の引退の時も、涙を流すんだろうなと思っていたら、びっくりするぐらいすがすがしい顔をしていた←こんなんwwまさに、やり切った完全燃焼したようだったO記者も最後まで息子の野球生活を見送ってくださった親心としてはいつ記事が見れるのか楽しみだった息子の、記事を出す日が決まったと連絡が来た49日の前にりあんの夢に出てきたときちゃんり
いつもの日曜日の朝。今日は何しよっかなー。おや?ん?身体がダルい。あれ?寒気するなぁ。熱を測ると37.5度。退院の時に37.5度超えたら直ぐに連絡して外来に来てくださいと言われてましたので、何とかこれ以上上がりませんように!って、次に測ったら38.4度!!!あちゃー。ってことで直ぐに九○大学病院に電話して緊急外来に行きましたがな。血液検査の結果、白血球が鬼下がりしてるので、そのまま入院に。そして今点滴で抗生物質流し込んでます。そんでもって1日、2日の入院でしょ?って思ってたら1週間
今日は土曜日。急遽、明日の日曜日に退院となりました。第2クールの今回は、前回の第1クールで血球数値が想定以上に下がったことから大事を取って2週間の入院プランでした(普通は5〜7日)。その予定でいくと明日の日曜日か、明後日の月曜日に退院だろうと聞いていましたが、告げられたのは明後日月曜日の退院でした。抗がん剤投与後、血球数値を観察していましたが抗がん剤の量を減らしたこともあり、大きな血球低下はなく順調とのことでしたのでてっきり日曜日の退院だと思ってました。でも3日前に告げられた退院日は月曜日
2024.04.27父を思い出し、また泣けてきてしまう。いまだに夢にも出てきてくれない父葬儀の孫たちからの手紙に号泣した後は火葬場へ。父の顔が見れるのはこれが最後。父の頬を触ったまま泣き崩れる私。母は、頭のネジが外れたように、空元気のように、変に明るく振る舞うまだまだ受け入れられない様子ふと隣を見ると姉も号泣お通夜、葬儀と私と母がメソメソしているため気丈に振る舞っていた姉が号泣。2人で手を繋いで、抱き合って、大泣き。火葬の扉が閉められたあとも2人でずっとその場に留まり泣いて
家族が揃ったときちゃんの呼吸が胸に耳を当てても分からないぐらいになってきたそうしたら看護師さんが一人やってきた脈や呼吸を確認したその後、女医さんと看護師がもう一名やってきた女医さんも私が一緒に添い寝する姿にびっくりしてたなぁまた少し離れる様に言われたのでベッドからおりた女医さんが再度、ときちゃんに触れ確認したそして、真剣な顔で腕時計を見て時間を読みこう言った『5月26日14時39分
第2クールを終えて2週間ぶりに出勤しました。今朝から体調も良くて、昨日まで枯れてた声も良く通るようになったこともあって張り切りすぎてます。いかん。そして何より今日からウイッグを装着しての出勤です。ドキドキです。スキンヘッドにしてから2日間だけニットキャップを被って勤務しましたので、今ならまだ間に合うかと思いまして。昨日午前中に退院し、その足で『スヴェンソン』さんへ。いくつかのサンプルを試着し、少しパーマっ毛あり、2割程度の白髪のウイッグを選択しました。料金体系は購入であれば3
私の母は2018年の6月に小細胞肺がんが見つかりました。すでに播種状で脳転移、腰骨にも転移をしていて、ステージ4でした。今思えば、1年前に症状は出ていたのです。2017年の夏、真夏の8月に胸が痛いと言ってカイロを当てていたことがあったのです。風邪のような症状も出ていたので、かかりつけの地元の総合病院に行きましたが、普通の診察で終わりました。ですから、母も私も疲労からきているものと思っていました。3年くらい前からでしょうか。母は祖母の介護で、長い時は月の半分、短くても1週間ほ
2024.01.20抗がん剤4クール目の為1/16から入院していた父が帰宅。今回の入院でも、副作用の便秘に悩まされ、食欲が落ちてしまったと2023.10.13にステージ4bの診断を受けてからイミフィンジシスプラチンエトポシドの3種類を4回うけました来月からは1種類を4週間に一度になるそう。病院で知り合った闘病仲間が、抗がん剤の効き目がなくなり、ターミナルケアに切り替わったりと父もショックをうけていましたそーゆう報告はあったのですが、肝心なことは秘密にする父。心配かけたくない
一喜一憂したくないからもう期待はしない諦めたって言うわけじゃあなくて良い方向へ考えるとダメな時に凄くテンション落ちるからそれがいちいち疲れてストレスになるからまあ元々ネガティブシンキングなんだから今さらねー笑今日は注射で白血球上がっていたので(想定内)GW明けからの放射線治療の為のレントゲンを撮り当てる所に無事マーキングしてもらいました呼吸器内科で血液検査の結果を聞く先生が今日は主治医がお休みだったので代わりの先生。な---んと懐かしの家城チームにいた自称「ご用聞き
今日の表題『あなたはもし親がガンになったら告知しますか』むかーし大学時代のある授業の試験でまさにテーマがこれでした。外部講師で確か本職お医者さんだったかなー(うろ覚え)とにかく事前に試験テーマが知らされ試験中に文章式で自分の選択と考えを書くという方やり方でした。わたしの専攻は医療系ではなく文系でしたが一般常識の保健の授業か何かだったかなぁ。講師「君たちはいつか親を亡くすだろう。日本で病死する人のうちガンで亡くなるのは4人に1人と言われています。
忘れることのない日3月3日咳が続くので近くの小さい病院にレントゲン撮ってくれてその後、今から近くの画像センターにCT撮りに行ってと言われ直ぐに行きました。その画像センターの院長がえらいこっちゃ!って言うてもえーんかなぁって。私は、何?何?言うてと。で小細胞肺がんや。初めて聞いた言葉もう一度言うてもらってメモりました。会計待ちの時、ネットで小細胞肺がん検索そして、その画像持って小さい病院に戻りました。その先生はハッキリ言うてくれなかったけど今日は、金曜日だ
昨日に無事に退院しまして、本日より職場に出勤しています。この10日間ですっかり季節は移り変わり、街は初夏の様相を呈しています。道行く人々の服装も軽くなり、心なしか足取りも弾んでいるようです。好きだな、この季節。さて、久しぶりに職場に顔を出すと、案の定皆遠慮がちに接してきます。私は癌をカミングアウトしていませんので、この10日間は在宅勤務ということにしていました。もちろん噂は駆け巡っているでしょうし、どこからか私の病状のことを聞いているという人間もたくさんいると思います。それもあってか
昨日、カルボプラチン、パクリタキセル、アバスチン、テセントリク(abcp療法)の1回目の投与を終えました。前回の治療は1クール3日間でしたが、今回は1日で終了です。点滴の管を付けたまま眠らなくていいのと翌日にはシャワーが浴びられるのはとてもありがたいんですけど、とにかく投与時間が長い!!11時半頃スタートして、途中点滴箇所が少し痛み始めたので点滴を刺し直したりしたんですが終わったのは夜の8時15分頃。その間あんまり動かないから腰は痛くなるし、トイレに行くのも面倒だしと意外としんどい時間でした
おはようございます。昨日は抗がん剤第一クール投与後2日目の経過観察でした。特に変わりもなく体調も落ち着いていました。朝から仕事のメールを片付けて、院内を彷徨いて軽い散歩をしました。と、ここまではよかったんですが。。午後からオンラインで会議に2つ参加。そのうちの一つ目の会議。九州エリア4拠点のマネージャー会議です。議題はそのうちの1拠点の業績改善に向けての横断的な人員配置と業務再編計画。ターゲットになる拠点は私の管轄ではありません。ですがその拠点の管轄マネージャーは及び腰(これが平常運転です
イミフィンジによる免疫維持療法。昨日が2回目のケモでした。事前に採血とレントゲン撮影をし、主治医の検診のもと問題なければイミフィンジの投与となるはずでした。まずは血液検査。小細胞肺癌の腫瘍マーカーであるNSEとProGRPは安定しており問題なし。腺癌の腫瘍マーカーであるCEAが7.4とはみ出してました。今の治療は小細胞肺癌を主たるターゲットにしていますので主治医としてもある程度は許容範囲のようでした。このまま何もなさそうな雰囲気の中で最後にレントゲンを見ます。「あれ?」!!
3ヶ月毎の開催が恒例となった小細胞肺がんのおしゃべり会色んな人が参加してくれるようになり有難うございます。9回目の開催が決まりました。初めての人も何度も参加してくれてる人も遠慮なく参加して下さい。他の人がどんな治療をしてるんだろう?自分の治療はどうなんだろ?なんて、近くに同じ病気の人がいないと聞けませんよね。そんな人は、折角なので、この機会に参加してみてください。患者だけじゃなく、家族でも遺族でも参加できます。皆さんの参加をお待ちしています。開催日:2月2
22日、三男の卒業式に出席。夫、古希にしてやっと教育費の支払いが終了しました。長かった学費と生活費の仕送りは中々の出費でした。そして長男がお世話になった大学病院に寄付も無事できました。本当は命日の23日にしたかったけど、土曜日の為、一日早めました。寄付額は10万円、以前息子が寄付した額よりかなり少ないけれど、これから毎年寄付していきたいと思ってます(3年後、30万以上になったら、名前が寄付名簿に載るらしい)あと、国境なき医師団とユニセフにもしたい。息子の命日は旅行の移動日で、バタバタ。
先週は新しい主治医さんに会って「はじめまして」のご挨拶から今後の治療の見解を聞いてそれは先生の考えだからチームで話し合いをしてまた来週にって事になっていましたただその時のお話で緩和ケアに移行するかこのままもう少し同じ抗がん剤を続けるかセカンドオピニオンを受けるかと言う内容だったので帰宅しながら考えて今さらだけれど最後にセカンドオピニオンをしようって思い電話でその旨を伝えて紹介状とデータをいただきたいとお願いしておきました今日はそれを受け取る事も重要な事でした。
あれから1週間(再発、転移のことが頭から離れなかった)体調はとくに変わりはなかった。いろいろとネット検索をした結果頭の転移がとにかく気になりながら検査結果を聞きに行く時が来た。診察室に入ると先生からこれを見てとct画像を見せられ,ここと指を差されたおなかの右中心のリンパ節に7ミリぐらいの腫瘍があった先生曰くこれは大きくなっても痛くならないとこだと言われそのあとMRIの画像を見たとき右前頭部に15ミリぐらいの転移があり頭が真っ白になったのを覚えている。(先生にあとどれぐらい生きれま
抗がん剤第2クールを終えて経過観察入院も5日目です。そろそろ好中球落ちてくる頃かな?って思ってるところです。さて、私、個室代をケチってるのと1人だと何となく気が滅入るという理由で4人部屋に入院しています。もちろん他の人の生活音が聞こえてくることやこういう団体生活は全然苦じゃないし、ましてやそんなに神経質な方ではありません。しかし、同部屋の方が入れ替わる中でコレはさすがに。。。と思わせる方がいるのも事実です。今のパーティはなかなかのツワモノ揃い。言っておきますが、日中の生活音全般、夜中のイビ
ついについにこの日が来た。初の抗がん剤の日。どんな時でも寝れない時なんてほぼないけど、今回は何回も目が覚めてあんまり寝れず…ま、抗がん剤で寝れるしいっか?と思ってたらそんなに甘くなかった〜まずは吐き気どめと水分を点滴で入れて(1時間半かかった)そしていよいよエトポシド投入1時間!何か起きるかな〜?とドキドキしてたけど、特に何も起きず!!嬉しい!!主治医の先生が、「1日目はあまり何も起きないよ?」と言われたけど、それでもいい!嬉しい!
皆さん、いつも本当にありがとうございます。いいねや前回の記事ではお言葉を下さった方々...心より感謝申し上げます。優しくとても温かな気持ちになりました!また励みにもなりました暫くの間…コメント欄といいねの方も閉じさせて頂きますが、また開いたときは宜しくお願い致します。小細胞肺がん経過観察3年目に入りました。昨日は、先週受けたCT検査と血液検査結果説明を聞きに病院へ行って来ました。今までの主治医が今年の3月いっぱいで代わり、新しい主治医と昨日はじめましてお会いしました
2023.12.09父の状態は変わらず。腰痛少しと、抗がん剤の副作用で足の痺れが少し。父がこの前、ボソッと母に「最期は病院で1人で死ぬのかな」と父の前では最期の話はできないので、母と姉と私で『最期は家で過ごさせてあげたい。コロナが5種に引き下げになった今も面会制限があったりするなかなか会えないままのお別れは嫌だよね』と話し合っていた。なので、母は、「子供ら家でみてくれるっていってたよ。看護師だから点滴管理とかだってやれるしー。」と答えたと。父は「俺はラッキーだな」と答えたそう