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【問題】越後上杉家の家臣・黒田秀忠が手を下したとされる事柄は、次のうちどれか?【選択肢】林泉寺を焼き討ちにした上杉謙信の兄を殺害した佐渡金山の坑を破壊した下向中の公家を拉致した【正解】上杉謙信の兄を殺害した【解説】黒田秀忠は、越後守護上杉家の家臣であったが、守護代・長尾晴景の弟(上杉謙信の兄)を殺害し反旗を翻した。一度は赦されるが、翌年、謙信に攻められ敗死した。
【問題】≪難問≫村山慶綱とは、次のうちどの大名家の家臣か?【選択肢】三好家島津家尼子家上杉家六角家南部家【正解】上杉家【解説】村山慶綱は上杉家に仕えた武将である。景勝の代には黒滝城など、越後内外の重要拠点を任されている。御館の乱では景勝方に付いてその勝利に貢献した。
【問題】小島職鎮は、上杉氏の家臣となる以前、次のうちどの大名の家臣であったか?【選択肢】蘆名氏神保氏姉小路氏佐野氏【正解】神保氏【解説】小島職鎮(もとしげ)は、越中神保氏の家臣である。神保長職に仕えたが、長職の死後は主家から離れ、上杉家臣として越中衆の筆頭に挙げられている。
ガイドで郷土史家の、大林輝久(元小学校校長)さんの史料に、長篠の戦のこぼれ話が1~16までありましたので、その一部を引用させてもらいました。ほとんどは地元の昔話です。今日は望月義勝(重氏)のこぼれ話です。望月氏は信濃佐久郡望月邑に住んで望月太郎を称したことに始まると伝えられます。ちなみに、望月則重の嫡子重道の流れは海野を称し、その後裔に真田氏がいます。その望月重氏は屏風図では、真田氏と同じ武田右翼隊として、戦いに参加しています。屏風図上の方に望月重氏の姿が見えます。
戦国武将の数字を見てみよう❤️・・・・・・・・というわけで、第三回目は、徳川家康さんです❗※戦国武将の名字には、「氏、姓、名字」とがありますが、ここでは、純粋な名字のみ使用しました。※名前は、幼名を使用しました。(まったくもう!武将は改名しすぎなんだよ!木下藤吉郎といい、松平竹千代といい!!(笑))※詳しく読み解くと長文になるため、気になる数字のみピックアップしました。徳川家康さん1543年1月31日生まれライフパス9ペルソナ数6ハート数9表現使命数6(※数秘
この記事は、「ニッポン城めぐり」内で行われる“合戦イベント”についての解説です。┃合戦イベントとは?ユーザーが2つの軍に分かれ、どちらの軍が軍功(ポイント)を多く獲得できるかで勝敗を競う期間限定イベントです。┃軍を選択する参戦に際して、初めにどちらの軍で戦うかを選択します(変更不可)。それぞれの軍には複数の部隊が存在します。参戦後、そのいずれかの部隊に配属されます(どの部隊になるかは運次第です)。┃軍功を獲得する軍功は以下のように集計され、リアルタイムで合戦TOP(主戦場