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昨夜ファシリテーターの櫻木よしこさんとFBにて「高齢の親との接し方お話会」前のチラ見せライブをしました。やっとハウリングせずに出来た(汗)来週ある3回目のお話会は初めてお金のお話もします。介護の目に見えないストレスはお金と時間を取られるから。終わった後のお話も今回初めて話します。家庭ごとに全く違う介護。いきなり変わっていくステージになんとかついて行くお守りになるのは「知識」です。全く同じにはなりませんが、自分はこうしようと先にイメージが出来ていたら
介護は「介護が始まる前の関係で決まる」昨日の記事の続きです。共依存の母との関係にほとほと疲れていた私にとって夫の家庭は衝撃でした。まず「ゆるい」!家族全体が失敗に対して寛容でした。え?そんなんで許されるの?え?許すんだ!っていう驚き。どんな小さな事も失敗にされる母の物差しとは真逆でビックリしました。ある日。内容は憶えていないけれど。何か行き違いがあり義父に「それは違うんです」と説明をしたら、皆んなの前で「おお。それはすまんかった!」と私に頭を下げた事があり
これは介護あるあるなのかな〜と終わってから思ったことがある。「家族それぞれ自分はめっちゃ介護をやったと思っている」地元にいた嫁の私が一番家や施設に通ってお世話したと思っていたが自分だってあれもやったこんなこともあったと葬儀の時に初めて聞く事ばかり😳これは単に介護している人同志のコミュニケーション不足ではないか?そして皆んないっぱいいっぱいだったんだな。っというより。これは葬儀で思い出として印象にある出来事を話したのだろう。でも介護まっ最中の時の心構え
嫁だから娘だからは、介護をする理由にはなりません。私の場合次男の嫁とはいえ地元だったし長男の嫁は急逝していたし実母を自宅でみていたので義父義母も助けに行くのが当たり前だと思っていました。だから…当たり前じゃない!どれも理由にならないけれど、私にはその前の両親たちとの関わり方に理由がありました。私が介護をやれると思った理由地元札幌に親たちがいたことで、会いに行く以外に我が家に4人を呼んで家でよく麻雀大会をしていました。私は雀荘で食事やお茶を出したり
私は2004年から11年間実母を自宅介護し、その最中、義理の両親の介護で施設や自宅へ通うという状況でした。現在は義父、昨年の5月に義母を見送り、96歳の母は今入院しています。私の経験とカウンセラーとしてお話できることで皆さんの悩みを少しでも解決したり、心配を和らげることができればと参加者の皆さんからの質問にもお答えするこのお話会を引き続き今年も開催します。介護真っ最中でまとまった時間が作れない方のために、Zoomオンライン&後日録画視聴が選べます。こ
自宅で母、通いで義父、義母の介護をしていた時。まだ完全に認知症になる前の義父に言われた言葉を思い出す。「一代さんはいつも元気だな〜!」くったくなく言われた当時の私は「私が陰で泣いているのは義父さんにはわからないんだな。本当は全く余裕なんてないのに…」(まだ葉がない北海道の広葉樹)私が介護の時ただ一つだけ決めていた事がある。「不機嫌な顔でやらない」虐待された子供が親になった時、虐待する割合は3割と言われている。あの鉄拳は親の愛だったんだと思う人は自分も叩くかもしれな
まさか初詣に行ってお願いしたから大丈夫と思っていないよね?「願うだけでは叶わない」曖昧な願いとは、適当な願いだ。願いを究極に具体化していくとやる事が明確になる。「どんな動きが必要だった?」一つずつ丁寧に片付けていこ!「いきなりガラッとは変わらない」変わりたいという人は劇的に変わりたいと思いがち。「急激に変わると急激に戻る」自分の本当の願いを見つけて、叶えるぞ〜と決めて、コツコツを辞めずに今出来ることを重ねていく。「願いを意思に変えて行動