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いやはやひと月近くかかってようやっと、一書を読了。久しぶりにボリュームたっぷりを堪能いたしましたよ。タイトルは『クアトロ・ラガッツィ天正少年使節と世界帝国』というものでして、予て気にかかっていたのものを先月に東洋文庫ミュージアムで「キリスト教交流史-宣教師のみた日本、アジア-」展を見たのを契機に読み始めましたですが、いやあ、長かった。500頁超の厚さで本文が二段組みとは、ぎゅうぎゅうに詰めたお弁当状態でしたなあ(笑)。ですが、このボリュームたっぷりのお弁当、思いのほか味に広がりがあっ
本日の言霊2024.05.14秀吉が統治していた時代、ポルトガルはフィリピンの修道士は日本やシナ(=中国、当時の明)に赴いて布教活動をするなとした。ポルトガルはトルデシリャス条約に従って、東回りの航路を開いてインド、東南アジア、明、そして日本にまでやってきていたからで、フィリピンはスペイン領だったからだ。日本にすれば「何を勝手な」という話だが、ローマ教皇は「神の代理人」で、キリスト教国にとって、ローマ教皇の裁定は「神の裁定」だったからである。なぜ、こんなバカなことができたの
いにしえの丘公園旧宣教師館カナダ・メソジスト教会から派遣されたカナダ人女性宣教師の住宅として明治37年(1904年)上田城近く(現在の大手町)に立てられた。建物の特徴は独立前のイギリス系の殖民者によって成立した下見板張りの簡素な外観が特徴アーリー・アメリカン様式又はアメリカン・コロニアル様式と呼ばれる建築様式平成3年に前所有者の三吉治敬氏により上田市に寄贈平成6年、現在地に移築復元された。建物内部
お帰りなさ〜い!昨日の夜11時も回った頃、ライアンが、「あっ。そういえばS(義妹の次女)が明日伝道から戻って来るから、飛行場まで迎えに行きたいんだよね。」と言ってきた。迎えに行きたい=私が運転して行くなのに、なぜ前日の深夜に言うぅぅぅ!!!と言うことで、今日は用事の多い土曜日だったんだけど、予定を半分以上繰り上げてお昼前から空港へ🚗この前次女家族を送りに行ったばかりのソルトレイク国際空港。まだ新しくてとっ
清州街歩きの6回目。もう少々お付き合いください小高い丘の上の聖堂を後にして次の目的地は徒歩で40分ほど。かなり遠かったですが(笑)街の風景を見ながらなのでそれほど気にもならずに到着しました。일신여자고등학교一信女子高校場所はこちらkonest,google,NAVER,Kakaomap勝手に女子校に入っても良いの?と思いつつ管理人さんも特に気にする様子も無くそのまま入っていきます立派な校舎が立ち並ぶ脇に次の目的地が見えてきました
テクラ橋本の足跡<京都の大殉教ダイウス町>テクラは家族と共に、「ダイウス町」というところに住んでいました。このダイウス町は、京都の一条油小路道と堀川通のあたりにありました。ダイウス町は、デウスの町といって、キリシタンたちの居住区域でした。この名前の由来は、京都奉行前田玄以法印の一族で、熱心なキリシタンであった慶友法印が住んでいたことから「ダイウス町」と言われていました。慶友はキリシタンだという理由だけで、豊臣秀吉から財産も位階も没収剥奪され
●若過ぎる男性は〇〇長老、女性は〇〇姉妹と呼ばれます。私が宣教師だった頃、同僚が「大体、長老とか言いながら、あんなに若いしさ。」と言ったことがあります。モルモン教会では、以前は男性は19歳、女性は21歳から伝道に出ていましたが、今は18歳と19歳になったみたいですね。。小さいころから、私はお年玉を貯めて、宣教師になった時の為に、と、無駄遣いしませんでした。若すぎる故、いろんなことが起こります。私が宣教師だった時実際に起こったハプニングは以下の通りです。ー自転車でおばあさんをはね、
戦国日本VS白人列強〜英雄・豊臣秀吉で読み解く日本が植民地にならなかった理由秀吉の朝鮮出兵は「世界の植民地化をめざすイベリア両国(スペイン&ポルトガル)に対する東洋からの反抗と挑戦」だったと言えそうです。ここで知っておかないといけないのが当時の世界情勢です。簡単に言うと、多くの有色人種が白人によって迫害されていたということです。植民地にされたとしても、現地の人々が幸せに暮らせていたらまだ良いのですが、そうではなく、とても酷い扱いを受けていました。その始まり
宣教師の帰国の支援を皆様にお願いします。10年間の日本での宣教生活を終えて帰国の準備を始めました。韓国での住居の確保、新しい働き始めるために切実な思いでお願いを申し上げます。お祈りとご支援とで仕えてくださるすべての方々の上にイエス様の驚くべき祝福と溢れんばかりの恵みが共におられることをお祈りします。http://www.3927.jpkirinmission@gmail.com
正常位の事を英国では、こう呼ぶそうです。一説では、キリスト教では、体位は正常位しか許されていなかったから、とも未開の南の島に宣教師が赴任した際に宣教師夫婦の営みを見た現地人が、それまで見た事のない体位だったので、驚いて、そう呼ぶようになった、とか。(^◇^;)そもそも正常位は正常で、他のは異常なのか?ということもありますが、正常位が真面目なもの(?)と欧米でも認知されていたのは、確かなようですね。しかし、女性にアンケートを実施すると世界的には、一位騎乗位二位後輩位三位
豊臣秀吉画像(写真=名古屋市秀吉清正記念館蔵)秀吉の指貧しい身分から出世し天下統一を果たした豊臣秀吉とはどんな人物だったのか。山川出版社の高校用教科書『詳説日本史』(2006年文部科学省検定済、2011年発行)を開き、豊臣秀吉についてどう書かれているかを確認すると、核になる説明は以下のとおりだった。「秀吉は、信長の後継者としての道を歩みながらも、軍事征服のみにたよらず、1588(天正16)年京都に新築した聚楽第に後陽成天皇をむかえて歓待し、その機会に、諸大名に天皇と秀
熊本の震災で被災された方々を覚え、家や家族を失った方々の悲しみ、不自由な生活を余儀なくされていらっしゃる地域の方々の上に、必要な助けがあり、一日も早い復興をお祈りしています。「遠き国や」聖歌397番「遠き国や」という聖歌397番の曲があります。この曲は、1923年9月1日、関東大震災が起きた時に作られた曲だと聞きました。英語教師として来日していたアメリカ人宣教師・J.V.マーチンによって作詞・作曲された聖歌です。余震が続く夜、マーチン宣教師は、明治学院の校庭を