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8月19日の銃撃戦で、仲間の一人、林春生を失ったものの、陳進興と高民天は逃走に成功、合流し、逃走を続けます。しかし、銃撃事件以降、さらに警戒が厳しくなり、いよいよ台北から出られなくなった彼らは。新たなアイデアを出します。――顔を整形しよう、と。そして、銃撃戦より2か月後の、10月23日。13時30分、陳進興と高天民の二人は、台北市内のマンション四階にあった、方保芳外科整形医院を襲撃します。その場にいた、外科医である67歳の方保芳と、53
これは井上さんが学生の頃に見た夢の話である。その夢は非常にリアルで、井上さんが朝学校に行くために家に出るところから始まった。玄関の扉を開け外に出ようとすると、そこに古ぼけた木箱が置いてあったという。ボロボロの木箱の蓋らしきところには何か書かれているが、字もだいぶ薄れていてなんと書いてあるかは判別出来ない。かろうじて『稲荷』という二文字だけを読み取ることが可能だった。井上さんは不気味に思い、その箱を蹴飛ばして学校へと向かった。教室に入ると、自分の机の上に何かが置かれている
1997年4月14日。陳進興・高天民・林春生の三人は、台北市郊外にて、通学途上の16歳の少女・白曉燕を拉致。予め借りていた部屋へと彼女を連れて行き、麻酔を注射。裸の写真を三枚撮影、さらに左手の小指を切り落とした上で。そこから五十キロほど離れた場所にある、ゴルフ場近くの霊園へ行くと、人目ののつかない場所に、白曉燕の写真と左手の小指、そして五百万米ドル(約5億円)の身代金を要求する内容の文書を置き、白曉燕の母親へ電話を入れ、その霊園へ行くよう、指示します。
旅行が趣味の後藤さんの話。後藤さんは学生時代、友人を連れて某所へ旅行に行った。その時、旅館の方から宿の近くにパワースポットがあると聞いた。友人は乗り気で、ちょっとその恩恵を受けに行こうと後藤さんを誘う。なんとなく嫌な気持ちがしたが、後藤さんは友人に従った。当時は夏休みの時期で観光客も多く、宿を出てから道案内も必要とせず目的地に辿り着く。そこには大きな御神木が立っており、その根に触れると『幸せになれる』との事。御神木のそばにはすでに列が出来ている。後藤さんたちもその列
1997年4月14日に、陳進興・高天民・林春生によって誘拐された、白曉燕は。誘拐直後、裸の写真を撮られ、左小指を切り落とされるという目に遭いますが。当初。陳進興達には、彼女を殺害しようという意図はありませんでした。元々、殺人も含めた、犯罪経験者の集まりである彼らも。小指を切り落とすときにも、麻酔を注射しましたし。その後も、常に睡眠薬を飲ませるなど。家族を脅す為と、白暁燕を黙らせてく為だけの行動に終始。身代金も、米ドルで準備させた上に、
白曉燕は殺され、犯人は逃走中。台湾じゅうが不安に陥る中。警察は懸命の捜索を続けます。5月24日、陳進興の義理の弟である張志輝を、犯人隠避、逃走援助の容疑で逮捕。三人に食料を届けていたという彼の証言から、警察は工場内のある部屋を襲撃しますが、既に三人は逃走済み、何も得られず、引き揚げることになります。しかし5月28日、なんと、三人の犯人から、警察に手紙が届きます。そこには、既に犯人隠避・逃走援助の罪で逮捕されていた、陳進興の妻・張素貞と、その弟
陳進興は、1958年の1月1日、台北市郊外の三重という土地で生まれました。しかし父母は未婚の状態であり。陳進興が生まれた翌年、父は母を捨てて別の女性と結婚。陳進興は、台北市内にある、母親の実家で育てられることとなります。1964年、小学校に進んだ陳進興は。成績は悪くないものの、向学心は皆無で。窃盗やいじめなどの事件を繰り返すようになります。1970年、中学校に進みますが。相変わらず問題行動を繰り返し、一年後に転校させられる有様。母が再婚し、
整形外科での三人殺害から一か月弱が経過した、11月17日。日本人学校、アメリカンスクールがあり、多くの日本人や外国人、富裕層や外交官の住む地区、「天母」のほど近く、石碑路にて。一通の通報が入ります。ある、性風俗店にて。事を終えた客が、帰宅しようと店を出ようとした時。次の番だった男が。待ち時間の間もずっと被ったままだった、フルフェイスのヘルメットを取るのを見た。その顔が、手配写真の高天民そっくりだった、と。警察はすぐさま装備を固めて、現場
1997年4月14日、白曉燕誘拐に始まった事件は、市街地の銃撃戦や、整形外科での惨殺などを経て、三人の犯人のうち、二人は、警察との銃撃戦の末死亡。残りの陳進興が、立てこもり事件の末、11月19日に投降したことで。ようやくの解決を見ます。そして、その後裁判が開かれます。その中で。あれだけの残虐な犯行を繰り返した陳進興は、しかし、態度を一転。取り調べには素直に応じ、隠し立てせずに、事件の詳細まで語り。キリスト教に帰依、常に悔恨の言葉を常にし
錦新大楼と呼ばれるその建物は、1976年、台北都心部に建設された、14階建ての大きなマンションで。台北一の「凶宅」として知られています。そう呼ばれる原因となった出来事は、数多くあり。まず、1984年5月28日、朝9時。電気コードのショートが原因で二階から出火。火は一気に燃え広がり、上層階は瞬く間に煙で満たされ。はしご車の懸命の救助も間に合わず、6名が飛び降りて死亡。消火後、内部に踏み込んだ消防士は、固くロックされた非常扉の
さてして脳ミソ埋め埋めΣ(゚Д゚;)今回は川奈まり子サン「実話怪談出没地帯」実話怪談28話の短編集です♪中でもヤバかったのは「リフォームの跡」あらすじは…著者川奈さんの行きつけのネイルサロンのネイリスト金井さんはハキハキした美人だ気心の知れた彼女にはプライベートなことを話すのにはもってこいの近すぎない距離感がちょうど良かった彼女もそう思ってたらしく数年前から交際している彼と結婚を視野に入れて同棲することになったと話し
彼女のダンスを邪魔するなセルビアの踊る女性2023年2月TikTokに奇妙な動画が投稿された動画の中の女性は深夜の路上で踊っていた「気をつけて、みんな」というコメントと共に投稿されたこの動画は瞬く間にセルビア·ダンシング·レディーという名前で広がるこの動画が話題になると目撃者が相次いで登場したこの女性はセルビアでよく見られ深い夜、女性一人で何かに取り憑かれたように踊っているということだったそして、女性が踊るのを邪魔すると凶器を持って追いかけてくるという共通
こんにちはタロットよりも簡単なあの人の気持ちを占うカード作者のハートスケープです今回の話題は…本当に体験した怖い話私は怪談ジャンルが好きなので怪談師さんの怪談Youtubeもよく視聴しますその中でも言われているのは実話怪談って実話だけに忖度なくてすごく中途半端それだけにリアル感があるここからする話は私が実際に体験した話です30年以上前に…芸術系大学受験を目指して私は画塾に通っていました画塾というのは美術芸術系大学に行
故郷にいる中学時代からの友達Mは、数年前に最愛の旦那さんを突然、病気で亡くした。その辺りからMはスピリチュアルなことに関して興味が向くようになり、心霊的なことを信じている私に、亡き旦那さんが関わる不思議なエピソードをLINEや電話で話してくるようになった。そんな彼女の職場に半年ぐらい前、新しく同年代ぐらいの女性が入社してきた。その方は霊感が非常に強い方だそうで友達も、その女性Oさんと知り合ってから影響されてきた様子で以来、M自身の霊力が強まっているようだった。話は変わるが、私は築40年以上