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島崎今日子著『安井かずみがいた時代』。この本は、今は亡き安井かずみ加藤和彦夫妻と交流のあった26人へのインタビューをもとに、その人間像に迫ったドキュメントです。さまざまな関連資料をベースに、夫妻の近親者や友人知人からの貴重な証言を加えた、筆者渾身の快著です。島崎氏とほぼ同い年の自分にとっては、同時代感覚を甦らせてもくれます。この本の初出は雑誌の連載でした。そして本のあとがきによると、編集者は、編年体形式を著者に要望していたようです。ただ準備期間が不足していたため、やむなく本書のスタイル
ZUZU物語(1/2)~安井かずみがいた時代編年体~から続く加藤和彦1975年12月、そんな彼女の前に加藤和彦が現れる。安井のエッセイ集『TOKYO人形』出版記念パーティーに出席したのだ。加藤は11月に離婚したばかりで、失意の時を過ごしていた。離婚を聞いた安井は「しめた」と思い、「明日、電話してください」と囁いた。実は70年代初め、安井は加藤和彦と出会っている。しかし加藤は福井ミカと結婚していた。加藤は売れっ子のバリバリで、カラフルなアフロヘアで、アバンギ
9月23日(土)今発売されている「週刊現代」9月23日号に一世を風靡した作詞家「安井かずみ」さんの特集が載っていました!✴️我々の世代にとっては、グローバルな視野で活躍する憧れの女性アーティストでしたねぇ~☀️独特の世界観を鋭く繊細な言葉で紡いでいく天才的なアーティストであり、自分の生きざまでも自分を表現する誰もが憧れる女性でした!✴️ジュリー(沢田研二さん)がソロになった時に、初期の曲の作詞はほとんど安井かずみさんの作品でしたそして、結婚したのが最高にセンスの良いミュージシャン加藤和
■歌姫★由紀さおり★ビタミンボイス★三山ひろし司会の【名曲をあなたにうた恋!音楽会】!華やかな歌い手による心を奪われる歌に恋する2時間!今回は【作曲家安井かずみ特集】です。■【司会】★歌姫~由紀さおり★ビタミン・ボイス~三山ひろし★市川由紀乃/花わずらい…咲いて彩り散ればそれまで…冬の楽しみ…御鍋!★松阪ゆうき/遠い空…民謡から…オペラまで…歌いこなす松阪ゆうきさん、冬の楽しみは温泉。★坂本冬美/男の火祭り…人気、実力、歌唱力!三拍子揃った歌姫とえばこの人で決まり
ずっと前に「シンガプーラ」をアップしていますが、アルバムは開封前でー海外録音ですかー1976年ソロは5年ぶり、3thアルバム。軽快で梅雨時には最適なアルバムかも。ミカバンドサウンドからは離れて、新しいパートナーとの出会い。それから先のことは...Amazon(アマゾン)
いつからか日本でもファッション雑誌の女性モデルたちは、大きめの白いコットンシャツにブルージーンズという格好でインタビューやバラエティ番組に登場するようになった。このスタイルを最初に始めたのは、フランソワーズ・アルディとジェーン・バーキンだと思う。安井かずみは、著書「旅の手帖」の中で、次のように書いている。彼女は、真冬でも木綿の衣服が好きだった。男仕立てのシャツだとかコットンパンツはもちろん、ポロシャツや厚手のトレーニングウェアなど冬の木綿は彼女が着ると粋だった。安井かず
沢田研二(ジュリー)についていろいろ調べている。評伝などによれば、驚くべきエピソードが次から次へと出て来て、凄いなと思わざるを得ない。2つ目のエピソードは、「危険なふたり」について。1973年、沢田研二の「危険なふたり」は、軽快なリズムに乗ってヒットを続けていた。渡辺プロダクションのマネージャーやレコード会社のプロデューサーは、レコード大賞を狙えると期待していた。一方、ライバルになるであろう五木ひろしの「ふるさと」は地味な歌だったため、レコード売上で大きく水を開けられていた。前哨
こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。前回の記事で。日本の60年代末から70年代中頃の、サイケでハレンチな時代に生まれた音楽を紹介したら、今度はそのサイケでハレンチな時代を彩った女性たちのことを書いてみたくなった。そういうことで。今回のタイトルは『60~70年代的レトロ・スペクティヴ。時代を彩った魅力的な女性たち』。そう。60~70年代という過剰な時代に活躍した女性たち。女優や歌手、ファッション・モデル、TVタレントを中心として、さまざまな女性たちが僕の頭の中
昨日のテレビで作詞家のなかにし礼氏は、加藤和彦さんが妻で作詞家の安井かずみさんが15年前に肺癌で亡くなった直後の異常な行動を指摘していました。「安井かずみさんは音楽関係者の間で女神みたいな存在だった。それを結婚して独占していたのに亡くなって悲しいと言った舌の根が乾かないうちに再婚するなんて、彼はイメージを悪くしたよ。」なかにし礼氏は「トラウマ・PTSD・解離」という精神医学知識がない。加藤和彦さんが安井かずみさんを喪ったトラウマを受け止めきれず「人格の解離」を起こし、不自然な再婚をしたこと
若き日のユーミンがフランソワーズ・アルディが大好きだったことは、「私のフランソワーズ」という楽曲が荒井由実時代にあることからも明らかだ。また、ユーミンは、料理が得意で家でキッチンに立つことも多かった。音楽ライターの岩田由記夫によれば、彼女の家庭料理はとても美味しかったと言う。つまり、ユーミンはナチュラルにフランソワーズ・アルディに似ていた。これは、安井かずみがフランソワーズの模倣をしたのとは違う。ところが、ユーミンは、松任谷正隆と結婚した後で、ファンから「最近の歌は、糠味噌臭くなっ
=今日も懐メロ昭和歌謡=昭和43年布施明愛の園布施明、愛の三部作の1曲どこにどこにあるの愛の園ふたりふたりだけの愛の園作詞:山上路夫作曲:平尾昌晃平尾昌晃が、結核治療入院中に作ったと云われています。三部作は、いずれも平尾昌晃作曲「愛のこころ」作詞なかにし礼「愛の香り」作詞安井かずみこの三部作により、アイドルからアダルト歌手へ進みました。クリックお願いしますにほんブログ村
安井かずみがフランソワーズ・アルディの影響を受けて、キッチンに立った話を書いたところ、イマイチ理解されていないフシがあるので、もう少し説明してみたい。フランソワーズ・アルディが自宅でキッチンに立ち料理を作ったというのは、女性はいつも家にいて家事をし子供を育てるという保守的な男社会の制度に甘んじたからではない。外で働いていることでいくら忙しくても、女性なら料理を作るという家庭におけるクリエイティブな作業を放棄してはならない、というフランス女性の気概というか一本筋の通った考えに基づいてい
1978年、前のアルバムからは2年後4thアルバム。今回は、国内録音にこだわったのだとかー坂本龍一との付き合いがここから、ブラジル音楽を意識してサンバ、ボサノバの曲にアレンジ?笠井紀美子、村岡建、尾形道子等、ジャズ、フュージョン系のプレイヤーの名前も見受けられます。ガーディニアAmazon(アマゾン)
竹内まりやの1980年リリースのシングル。BW「さよならの夜明け」作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦、3rdアルバム「LOVESONGS」収録。キュートで甘酸っぱいアイドル・ポップ。軽やかなリズムと爽快な歌声が春を感じさせる曲。タイトル&サビの「不思議な不思議なピーチパイ」が印象的。安井かずみ&加藤和彦の黄金コンビ作。商品キャッチコピー「ピーチパイ」に、糸井重里が「不思議な」を付け完成。当時竹内まりやはアイドルとして売り出されており、歌番組では(2フレーズ目の所?
安井かずみに関する書籍を一気読みして、二度にわたりnoteに書いたのですが、書きそびれたエピソードがありますので、ご紹介します。吉田拓郎が1986年に音楽プロデューサーとアレンジャーに加藤和彦、そして作詞に安井かずみを迎えたアルバム「サマルカンド・ブルー」を創作していた時の話です。打ち合わせのため加藤・安田宅に行ったのですが...中に入ると、まるでホテルの部屋のようにまったく生活感が無い空間で驚いたそうです。普通、夫婦で10年暮らせば、もっと生活臭が漂うようはずなのに「これ
オー・シャンゼリゼは、シャンソンのオムニバス形式のコンサートやシャンソン教室の発表会などで出演者全員、時にはお客様も一緒に歌われることが多い。あの日本語歌詞は、こう始まる。街を歩く心軽く誰かに会えるこの道で可愛い君に声をかけてこんにちは僕と歩きましょうあの日本語歌詞は、安井かずみが書いた。実は、もう一つの日本語詞がある。越路吹雪が歌っているので、当然訳詞は岩谷時子だ。ひとりで街をぶらぶらしながら話しかけたいなこんにちは相手はだれでもあなたでも
リピート公開Jビートエッセイ987⑧沢田研二「勝手にしやがれ」試論・男はなぜ、「バーボンのボトルを抱いて」いるのか?4安井かずみ。「あなた」への「ああ」安井かずみの詞を眺めて見ると、後の阿久悠の世界と明確な違いが、二点ある。まず一点目は、歌の中の女性に対して「あなた」と呼び掛けること。安井かずみの詞作品の中でもビッグ・ヒットを記録した「危険なふたり」。この曲が彼女の詞を最も典型的に集約している。一つの恋に自ら終わりを告げようとする「年上」の女性。彼女に